第8話 真夏の真昼の夢?
「竹之井さん、見る角度を変えて、鏡に少しの汚れもないように気を付けて。それと蛇口の銀色のところはよく磨いて。」
「はい、わかりました。」
客室係の合宿は進むが、なかなか一発合格はなく、何度もチェック係のフロントの人に呼ばれてやり直しをしなくてはいけない。呼ばれていって元の部屋に戻ると、それまでどこをやっていたかわからなくなり、トイレの掃除を丸ごと飛ばしたり、空気清浄機の水チェックを忘れてしまったりと大変だ。やることが多すぎる。
清掃の仕事はAIが代われないっていうけど、代わってほしい。
でもベットシーツをはがして、張れないよな。
今日のチェック係は私たちに彼氏がいると決めつけられてしまった篠山さん。
なんでこんなかっこいい人が…もったいない。女子ガッカリじゃないの。
「毎年、この時期は夏休みの旅行でホテルの客室稼働率が高くて人手不足だから助かるよ。高校生なのに十分戦力になるってパートの人も褒めていたよ。」
「ありがとうございます、篠山さん。あの、このホテルってお化けとか幽霊って出るんですか?」
「え?僕はそんな話聞かないけど。」
「私も見たことないものは信じないです。でも、宇宙人はいるかも…。」
「ははっ、宇宙人はいるかもね。それより掃除の続き、頑張って。」
「はい。」
お化けなんて話題が出たから気になって聞いたけど、ホテル側の人間が『はい、このホテルに幽霊出ます。』なんて言わないだろう。
それにしてもこの部屋のバスタブは一人の人間が一泊しただけなのに、どうしてこんなにザラザラしているんだろう。初めは洗剤とか掃除のお湯を節約していたけど、きれいにすることが一番で、節約については考えなくていいといわれたので洗剤もお湯もガンガン使って掃除する。
実は私、家でお風呂なんて掃除しない。トイレだって。頼まれればしぶしぶやるけど自分の家だから今思うと甘い掃除だった。だってホテルってトイレにほんのポチっと、う〇こがついていてもやり直し。タオルのたたみ方も、ピシッとたたんでないと注意される。お客様がお金を払って泊まるのだから当たり前かもしれないけど、相当神経を使う。でも、シングルルームだけど一部屋を自分一人の力で仕上げた時の達成感は半端ない。
にしても暑い。エアコン、本当に効いているのかしら。そして働いている場所にお風呂もトイレもついているのに使えないなんて。(トイレは間に合いそうにないときは客室のを使ってもいいって言われてるけど、従業員用トイレに毎回走っている。)
何部屋も掃除してわかったことだけど、ほとんどのお客様はキレイに部屋を使ってくれる。全ての部屋がとても汚れていたらパートのおばちゃんたちでも時間内にやり切れないだろう。ベットシーツを張りながら、ありがとうございます、と感謝の祈りをささげた。
ちょうどその時、私の背後から、
『ねえ、ねえ。』
と呼びかける声がする。誰だろう。
お客様か、このフロアの担当パートのおばちゃんか。
「はい。何でしょうか。」
振り向くと誰もいない。なんで。確かに女の人の声がしたのに。
急いで廊下に出た。廊下に人影はない。隣の部屋にも誰もいない…。
「マジか…。お化けが出た?それとも私の空耳…。」
真夏の正午、出るか?
怖かったけど、大騒ぎしても証拠がなければ笑われてお終い。
しかもまだ丸々一部屋掃除しなくてはならない。任務を遂行する心が勝った。
「清めて清めまくってやる。お化けなんてトイレのう〇こと一緒に流れてしまうがいい!」
いつもお終いのほうは疲れてスピードが落ちるが、フルスロットルで働き、この部屋に泊まる人が無事でありますようにと祈る。
チェック係のOKが出るとダッシュで部屋に戻った。
優が一足先に戻っていていつもと変わらない調子で声をかけてくる。
「メグお風呂にお湯張っておいたわ。バスソルトも入ってるから身を清めたほうがいいわね。」
「優!なんでお化け出たこと知ってるの!」
「あら、出たの?別にお化けが出るなんて知らないわよ。なんとなく用意しておいただけ。」
「ただいまー。お風呂使っていい?」
「駄目よ、佐智!私が先なんだから!」
滝に打たれるかわりにシャワーでざあざあとお湯をかぶって身を清める。
汚れも、そしてもしかして
お湯だけど。
「何があったのよぅ、メグ。」
「私、お化けに話しかけられちゃったのよ、佐智。」
「あっ、それ結構パートのおばちゃんもやられてるって。パートのおばちゃん並みって認められたんじゃないの?」
「そんなの認められたくないよう、どうしよう。また呼びかけられたら。」
「一応、音の出るもの持っているといいらしいわ。この鈴のキーホルダー貸してあげる。気休めかもしれないけど。」
優が家の鍵から鈴のキーホルダーを外して貸してくれた。
とりあえず、これに守ってもらおう。
お化けを見たわけではなく、気配というか聞いただけだけど、そういうものはいるのかもしれない。
いないよーと言っていた私が遠い過去の能天気な奴に思えた、真夏の真昼の出来事だった。
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