第6話 夏休みの合宿はホテル客室清掃?

 夏休みになるとお掃除部は、毎年お世話になる駅前の大きなホテルに泊まり込みでお掃除合宿に行く。一度に全員を受け入れるのは無理なので、夏休みに入ってすぐ組と、お盆明け後組に分かれて十日ほど客室清掃をする。ОGのコネと娘がお世話になるならとランチやディナーはもちろん、会社で使うことがあるならこのホテルを使おうという父兄が多く、ホテルにとってもいい話で、三食付き(客室以外にも朝食バイキング後片付け、ディナーバイキング後片付けも入る)宿泊費タダというウィンウィンな関係らしい。


 ホテルの客室係というと大変なイメージがあるが、個人宅の掃除よりは、やりやすいらしい。客室はマニュアルがあるのでその通りにやっていけばいいが、個人宅は間取りもまちまちで住んでいる人たちの長年の気配が空間を支配していて手を出しにくいし、物が多くて何が大切なものかも判断しにくい。客室は一人か二人の人間が、一、二泊した部屋を元通りに戻すだけ。だけ、なんだけど……。



「どうしてこんなことに……。」


 一歩足を踏み入れた目の前のシングルルームはカオスだった。

 クローゼットのズボンプレッサーと荷物スタンドは定位置から離れた部屋の向こう側に置いてあるし、バスルームはチェックアウト直前に大急ぎで使ったらしくビショビショ。灰皿には山盛りの吸い殻にペットボトルやお酒の缶に飲み残しが結構入っている。冷蔵庫の未開封のペットボトルのお茶は忘れものとしてごみとは別に出さないといけない。しかも、ティーセットのカップもバッチリ使ってある。


 客室清掃はシングルルームを一人で清掃する。

 もちろん、ツインやダブル、キングルームや、スイートルームもあるけど、それはパートのベテランおばちゃんがやる。

 シングルルームは去年一通りできるようにはなっていたが、すっかり忘れていて、さっきパートのおばちゃんと一緒に教えてもらったが、この部屋は段違いに汚い。


「ババを引いたわ……。」


 ホテルの部屋は使った人によって汚れ具合が全然違う。

 外で夕ご飯を食べてお風呂も入らず寝ちゃった人はありがたいくらいにきれいだし、私たちはやらないけどスイートルームでプチ宴会でもしようものなら大変なことになっているらしい。


 やってやろうじゃないの、私に挑戦しているのかしら、それともお掃除の神が私に与えた試練?


 まず、ゴミを二往復かけて廊下のカートの所定の袋に分別して捨てる。

 飲み残しはトイレに流す。

 取り掛かる順番は人によるけど、私はゴミが視界に入るとごちゃごちゃして集中しにくいから先に始末したい。

 次にベットシーツをお客様の忘れ物がないか気を付けてはがして一まとめにして部屋の入り口付近に置いておく。

 冷蔵庫の中に忘れ物がないか確認して、ティーセットのカップ類を新しいものと交換する。ポットとティッシュケースと空気清浄機の水をチェック。

 ここでベットシーツを先に張る人と、水回りを先にやる人がいるけど、私は水回りを先にやる。ビショビショのお風呂を掃除して専用の吹き上げタオルで水分が残らない様に拭く。シャワーカーテンは濡れてるから広げておこう。トイレは最近は座って用を足す人が多くて楽になってきたとパートのおばちゃんは言ってたけど、この人は立ってやったな。ゆるさん。……私、この部屋に泊まった人がどんなにイケメンでも、どんなに高給取りでも一緒に暮らせない…っていうか女子高生がこんなこと考えてるって泊まった人は思ってもみないだろうな。

 畳んだタオルをバスルームの決まった位置にセットして、ベットに取り掛かる。

 寝巻は使う人がエレベーターホールの棚に入っているのを持ってくるからなし。

 引き出しに聖書とコーランの経典?とランドリーのビニール袋が入っているかチェック。あと、鏡が机と入り口と洗面所にあるけど、このチェックが厳しい。

 エアコンをかけていても一部屋やるのに一時間近くかかって汗だくだ。

 パートのおばちゃんは倍以上の速さ。こんなに素早く動く六十代の人たちを見たことがない。一部屋済んで『今日この部屋に泊まる人がゆっくりと休めますように。』と祈っている余裕はない。大抵何かミスがあってチェック係のフロントの人に呼ばれてやり直しをする。トイレにどんなにちょっとした汚れが残っていても、鏡にちょっと水滴の跡があっても許されない。当然だけど。

 

 初日は四時間で四部屋しかできなかった。チェックインの時間があるから、いつまでかかってもいいからゆっくりというわけにはいかない。

 午後二時には終わって社員食堂でお昼を頂き、自分たちで泊っている部屋に戻る。

 部屋はツインルームにエキストラベットが入っていて私と優と佐智の三人部屋。



「腰が痛いよう。こんなに急いで物事をするのってこの時だけよね。」


「私、ふくらはぎがパンパン。」


「どうして一泊するだけなのに、部屋で爪を切るのかしら。爪切り持ってこないで家で切ればいいのに。掃除機で吸い残しがあって叱られたわ。」


 私たちがお掃除するのはホテルにお客様が一、二泊してチェックアウトした部屋。連泊している部屋はお客様の荷物が部屋に残っているので私たちにはさせられないのだそうだ。


「見忘れた部屋に限って冷蔵庫の中にペットボトルとか入ってんのよねー。いつもちゃんと見てるのにさ。たいてい何も入ってないのに。」


「わかるー。」


 三人でベットに寝そべっておしゃべりをしていると、一年生が訪ねてきた。


「先輩方、お疲れ様です。あの、ちょっといいですか。」


「あら、芦谷ちゃんに川西ちゃんに三田ちゃん、お疲れ様、大変だったでしょう?」


「いいえ、あの、先輩たちに聞きたいことがあって…。」


「何かしら、私たちに聞きたいって。お掃除の手順かしら。」


「そうじゃなくて優先輩、フロント係の篠山ささやまさんのことで…。」


 芦谷ちゃんが代表して遠慮がちに聞いてくる。


「有馬先輩から説明はなかった?」


「え、特にありませんけど。」


 私と佐智は顔を見合わせて苦笑いした。



 去年のホテル実習は、私と佐智とゆかりんが先発チームで優と友ちゃんが後発チームだった。そのときに私たち三人は篠山さんを巡ってちょっとしたバトルを繰り広げたのだ……。

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