3-3


 ***


 サラがいる方向とは逆に、なるべく遠くに。それだけを念じて、やみくもに走ってきた。息が上がり、足がもつれ、き出した汗が流れ落ちる。


「いたぞ!!」


 聖兵せいへいの声が聞こえたかと思うと、またたく間に取りかこまれていた。

 白地に青い紋章もんしょうの入った制服に、弓や剣を持った屈強くっきょうな聖兵たち。十名ほどの中で、隊長格と思われる一人が前に進み出た。


「ノア・オズウェルだな」

「無礼者」


 反射的はんしゃてきに、ノアは言い返していた。


みずから名乗りもせず人の名をたずねる不躾ぶしつけやからに、教える名前などない!」


 覇気はきに圧倒されてか、ぎくりとしたように何名かの肩がねた。

 隊長格の男は目をり上げる。


貴様きさま、自分の立場が分かっているのか? レガリアを奪い、新王即位を妨害ぼうがいする反逆者め」


 非難をびることは想定済みだった。教会らしい、お決まりの台詞セリフにノアは苦笑する。

 指先で確かめるが、ふところの中でレガリアはややかに沈黙ちんもくしている。

 ノアは大きく息を吸うと、あごを引いて胸を張った。


「そなたらこそ立場をわきまえよ。教会はあまねく民を救う公平な機関。宣誓式せんせいしきで王を承認しょうにんこそすれ、政治や王位には不介入ふかいにゅうの原則を持つ。ましてや聖兵がレガリアを奪い、特定の王族に肩入れするなど、あってはならないこと。そなたらは、いつからアルビオン公爵こうしゃくの私兵に成り下がったのか」


 にらみつけるノアの眼光に、今度ははっきりと、聖兵たちの間に動揺どうようが見えた。隊長格の男の顔がゆがむ。

 体勢を立て直そうとしてか、彼は長身の剣を抜き払った。


「思い違いもはなはだしいわ。我らは教会に属する聖兵、我らにめいじることができるのは神官長のみ!」


 月明かりを浴びて、抜身の刃が不穏ふおんな光を放っている。

 それをノアの首元に突きつけ、隊長格の男は言い放った。


「レガリアを渡せ。そうすれば楽な死に方を選ばせてやる。拷問ごうもんおそろしさは貴様も知っているだろう」

「できるかな?」


 ノアは不敵な笑みで言った。


「ここで私が死ねば、父エリシャ・オズウェル公は必ずそなたらの息を止めるぞ」


『サフィラスの賢君けんくん』の異名を持つ領主エリシャ・オズウェルの名は、聖兵たちにも強い影響力がある。その息子むすこノアの言葉は、真にせまるものがあった。

 だが、隊長格の男は高笑いした。


馬鹿ばかめ! 何も知らないようだな、おっちゃん。我らがこれほど速く貴様らに追いついたのはなぜだと思う? その領主様ご自身が教会にうったえ出たからだ。『レガリアを奪われた』とな」


 頭をなぐられたような衝撃しょうげきに、ノアはよろめいた。


「なっ……」


 父が、自分を教会に売った?

 そんなはずはない、あり得ないと打ち消しても、目の前にいる隊長格の男の自信に満ちた笑みが心を突き崩してくる。


「オズウェル公爵家の方々は、皆、教会の取り調べに進んでご協力くださった。領主様も最後には我々の説得に応じられ、《伝令ヘルメス》の廃止とレガリアの返却へんきゃく、そして反逆者ノア・オズウェルの処刑に賛同さんどうなさったのだ」


 隊長格の男の言葉が、一つ一つ胸に突きさる。

 血のつながらない母や異母兄弟きょうかいが教会に協力するのは分かる。だが父が、自分が唯一ゆいいつ信頼し、心から尊敬していた父が、呆気あっけなく自分を裏切るとは。

 それとも、妻や息子を人質ひとじちに取られ、そうせざるを得なくなったのか? 最後の最後で、国やレガリアではなく、本物の家族を選んだというのか?


あわれな捨てごまめ。貴様の味方など誰もいない、帰りを待つ者もない。せめてもの慈悲じひだ、ここでつゆと消えるがいい」


 そう言うと、隊長格の男は剣を振り上げた。


 ――まずい。


 けなければ。そう思うのに、地面にいつけられたように体が動かない。

 ノアは立ちすくみ、思わず目をつむった。


「待ちなさい」


 声と同時に、キンと金属質の音がして、ノアは顔を上げた。

 見ると、隊長格の男の剣が空中で不自然に止まっている。まるでノアとの間に、見えないたてがあるかのように。

 月光をたばねたような白銀のかみ。大きな菫色すみれいろひとみ。透きとおる白いはだに、薔薇色ばらいろほお

 サラだった。サラがそこに立っていた。だが、知っているはずの少女が、まるで見覚えのない者のように思える。

 彼女の周りを白くかがやく光が包み、辺りを明るく照らしているからだ。


「サラ、どうして」


 ――どうして来たんだ。それに、どうやって。


 あんなに体調が悪く、もはや起き上がることさえ難しそうだったのに。

 もうこれ以上、危険にさらされてほしくなかったのに。


「貴様、何者だ!!!」


 隊長格の男の剣の切っ先が、ぶるぶるふるえている。透明とうめいな盾に抵抗ていこうしてか、恐怖からか、それとも両方か定かではなかった。

 サラは静かな瞳で彼を見つめた。それだけで手がはじかれ、隊長格の男は剣を取り落とす。

 一体何が起こっているのか分からず、混乱が聖兵たちに伝わっていく。


「その人を傷つけるのは、私が許しません」


 サラは気高く、神々こうごうしい表情で言った。


 ――これが本当に、あのサラなのか。


 つい先ほどまで不安や恐怖におびえて泣いていたのに、今の彼女からはその面影おもかげ微塵みじんも感じられない。


「立ち去りなさい」

「立ち去れだと……?」


 隊長格の男は額に青筋あおすじを立てて激怒げきどしている。その手が懐から取り出したのは、黄金に輝く鈴だった。


 ――《聖具》だ。


「サラ、下がれ」


 ノアは言ったが、それより早く金の鈴がれ、んだ音と共に火炎が巻き起こった。

 赤々とした蛇のようなほのおが、うずを巻いてサラにおそいかかる。


「危ない!!!」


 ノアは手を伸ばしたが、到底とうてい届く距離ではない。

 そのとき、再び信じられないことが起こった。

 炎の渦がサラに届く直前で、ぱっと消えてなくなってしまったのだ。


「なっ……!」


 隊長格の男も、さすがに言葉を失っている。聖兵たちは恐怖の目でサラを見つめ、じりじりと後ずさり始めた。この状況の異様さに怯えているのだ。

 サラだけが涼しい顔でそこに立っていた。


「あなたに《マナ》を使う資格はない。立ち去りなさい」

「黙れ黙れ黙れえええっ!!!」


 隊長格の男は、今度は宝石のついたおうぎを取り出した。


「隊長!! それは」


 聖兵の一人が止めようとするが、その腕を振り払う。


「貴様ら、何をぼさっとしている! 早くこの二人を殺し、レガリアを取り戻すのだ!! 任務をたせなければ、生きて戻れぬことを忘れたか!!」


 その言葉で、聖兵たちの心に火がついた。彼らは弓を構え、剣を取り、《聖具》を手にねらいをつける。

 ノアはサラの元へけ寄った。彼女に近づけば近づくほど、光が強すぎて、目を開けていられないほどだった。


「サラ!!」

「大丈夫」


 サラは微笑ほほえんだ。この世のものとは思えないほど美しい笑顔だった。


「かかれ!!!」


 隊長の合図で、全員が一斉いっせいに襲いかかってくる。

 サラは右手を顔の高さに上げ、左から右に空気をなぎ払うような仕草をした。


「うわああああああっ!!!」


 地面が割れて大穴が空き、何人かがそこへ落ちてゆく。何とかとどまった者も、巨大な木が何本も倒れてくるのに逃げまどい、次々と武器を取り落とした。

 呆然ぼうぜんと立ちくす隊長や、聖兵たちの手から《聖具》が離れ、自然と宙へ浮かび上がる。


「ま、待てっ」


 慌てて手を伸ばすが、それらは飛んでゆき、サラの元に集まると、彼女を守るように周囲をぐるぐると回っている。

 ノアはただひたすら、目の前の現実離れした光景に圧倒されていた。


「化け物……」


 誰かがつぶやいた声に、サラはかなしく笑う。


「これが最後のチャンスです。今すぐ立ち去りなさい」


 もはや誰も刃向はむおうとする者はいなかった。聖兵も、隊長でさえも、悲鳴を上げて一目散にその場を逃げ出していった。

 彼らがいなくなるのを見届けると、サラの周囲から白い光が消えた。


「サラ、君は一体……」


 言いかけたノアの前で、彼女の体がぐらりとかたむく。


「サラ!!」


 あわてて抱きとめると、サラはノアの腕の中で気を失っていた。

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