3-2



 それからが落ちるまでずっと、ノアはサラを背負って歩き続けた。途中、何度か短い休憩きゅうけいは取ったものの、歩調は決して遅くなることはなかった。

 清らかに降りそそぐ月の光に、サラは目を細める。今夜は月夜らしい。


「寒い……」


 体は燃えるように熱いのに、背骨のあたりが冷水を注がれたように寒い。頭の中でがんがんと音が鳴りひびき、目の前がぼやけた。


「ほら、これを着て」


 ノアが自分の上着をぎ、荷物に入っていた衣服や布をすべて取り出して、サラにきつく巻きつけた。おかげでぶくぶくとふくれ上がった状態で団子のように丸まることになった。


「変な格好かっこう……」


 笑いたいのに、っぺたの筋肉きんにくがうまく動かない。

 ノアにもらった粉薬を飲んだのがお昼前。それからも、体調は坂道を転がり落ちるように悪化し続けている。


「……瘴気病しょうきびょうかもしれない」


 低い声でノアはつぶやいた。


 ――瘴気病。

 瘴気を吸い続けたことでかかる病気。症状しょうじょうは人によってさまざまだが、最初は風邪かぜと見分けがつかないことも多い。あまり急激きゅうげきに悪化することはないが、皮膚ひふが黒ずんでくると手遅れで、そのまま石化してしまう。


「大丈夫です。私……瘴気なんかに……負けませんから」


 言葉を発するたびに、のどが焼けつくように痛む。

 ノアは「しゃべらなくていいよ」とサラの頭をでた。


「ごめん……なさい。私のせいで、遅れて……」


 熱で目がうるんで、涙がこぼれそうだった。


「大丈夫だよ。サラは軽いから全然疲れなかった。それに行程の半分は越えたはずだ」


 ノアはサラの両手をにぎりしめる。


 ――足を引っ張るなんて、最低だわ……。


 この任務には国の未来がかかっているのだ。三日以内にレガリアを王都へ運ばなければ、真の王は即位できない。


 ――こうなったらもう、置いていってもらうしかない。


 意を決して口を開こうとすると、ノアがぽつりと言った。


「俺はさ、サラみたいになりたいんだ」


 月明かりに照らされて、凛々りりしい横顔が光をびている。


「サラみたいに、自分のなすべき役目を、誇りを持って果たす人間になりたい。君にしかできないことがあるように、俺にしかできないことが、きっとあると思うから」


 ――違う。


 呼吸が荒くなる。むねに重くのしかかるものが苦しくて、苦しくて、気づいたら口走っていた。


「私は、そんなえらい人間じゃない……。だって私は……私は……」


 体が火照ほてり、ひたいの上でれた布が生ぬるくなっていく。


「好きで《伝令ヘルメス》になったわけじゃない……」


 涙のかたまりが、喉の奥へ流れ落ちる。あおむけに寝ながら泣いているものだから、サラは何度もき込んだ。


「サラ」


 背中に腕を入れてき起こされ、差し出された革袋かわぶくろからごくごく水を飲む。かわいた喉に甘く、心地ここちよかった。言葉で吐き出してしまったせいか、胸の重さが少しだけましになる。


「《伝令ヘルメス》になったのは、私を拾ってくれたお父さんが《伝令ヘルメス》だったから。仕事を頑張がんばってきたのは、両親に捨てられるのが怖いから。それだけなの。私の意志じゃない。……本当の親は私を捨てたの。もう二度と、あんな思いをしたくないの。だから……」


 ノアは何も言わず、背中をさすり続けている。喉につかえたものを全部吐き出してしまえというような、手のひらのぬくもりだった。

 涙が止まらない。サラはしゃくり上げた。


「だけど……私だって本当は、普通の女の子みたいに遊びたい。友達が欲しい。制服じゃなくて可愛かわいいドレスが着てみたいし、おなかいっぱいお菓子かしを食べてみたい」

「そうすればいい」

「できないよ……」


 力なく首を振ると、サラは両手で顔をおおう。鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだった。


「お父さんやお母さんが、いい人だってことは分かってる。何の血縁けつえんもない私を拾って、育ててくれたんだもの。でも……怖くてたまらないのよ。いつか捨てられるんじゃないかって」


 義理の両親は、サラを愛してくれている。《伝令ヘルメス》の仕事だって、決して強制されたわけではない。サラが望めば、遊んだり贅沢ぜいたくすることだって許してくれるだろう。仕事をめたからって、捨てられることもないはずだ。それは分かっている、痛いほど分かっている。

 けれど、怖いのだ。

 両親が、ある日突然いなくなったら。サラをどこかへ売り飛ばそうとしたら。

 どんなに優しくされても、可愛がってもらっても、恐怖きょうふぬぐいきれなかった。

 せめて有能な《伝令ヘルメス》であり続けることで、安心したかった。『自分は必要とされている』と。


「サラ、聞いて」


 ノアの手が自分の手に重なる。涙にぼやける視界の中で、りんとした声が言った。


「もしサラが《伝令ヘルメス》じゃなかったとしても、俺は君と友達になりたいよ」

「どうして」

「どうしてだろう。多分、同じ……だからかな」


 なぜかノアの顔が泣きそうにゆがんでいる。泣いているのはサラのはずなのに。


「君を見てると、小さい頃の自分を見てるような気がする。一人ぼっちで死ぬほどつらい夜、誰か俺に心から信じられる人をくださいって、泣きながら祈ってた頃の自分を」


 握られた手に、ぎゅっと力がこもる。


「あなたにも……そんなことがあったの?」


 サラがたずねると、ノアは切なく微笑びしょうした。


「知ってるかもしれないけど、俺は正妻の子じゃない。だからオズウェル公爵家こうしゃくけ厄介者やっかいものだ。いくら領主の息子むすこでも、あの城に居場所はなかった」


 サラは目をみはった。

 一見恵まれた境遇きょうぐうで、サラとは正反対に見えるのに、ノアも同じ思いを抱えていたのだ。


「母上は俺をにくんでるし、兄弟は俺をいないものとしてあつかってる。俺はサフィラス領主にはなれないから、派閥はばつ争いに巻き込まれない代わりに、だれからも必要とされなかった。俺の人生はいつも空白で、生きる意味なんてあるのかって悩んだよ。自分の存在価値を認めてほしくて、必死で勉強して、剣の修業に打ち込んだ。でも結局いつもむなしくて、世界に一人だけ取り残されたような気がしてた」


 普段の明るく飄々ひょうひょうとしたノアからは、考えられない言葉だった。

 涙の流れがゆるくなり、呼吸が収まっていく。サラが問いかけようとしたところで、ノアが先んじて言った。


「俺たちなら、友達になれると思うんだよ。《伝令ヘルメス》じゃなくても、領主の息子じゃなくても、お互いの価値を証明しなくてもいい。二人で楽しく過ごせれば、それでいい」


 ノアの言葉に、心が軽くなっていく。サラはつぶやいた。


「それなら……できるかも」

「ね」


 ノアはサラの肩を軽くたたいて言った。


「ご両親にも、そのままの気持ちを伝えればいい。きっと分かってくれるよ。だってサラが今回の任務を引き受けたのも、ビルさんと、彼が作った伝令所を守ろうとしたからだろ?」


 サラはうなずいた。


「でも……もし駄目だめだったら? また捨てられたら?」


 不安が黒い足音で忍び寄る。また捨てられたら。そう考えるだけで体がすくんでしまう。

 だが、ノアは全ての不安を吹き払うような、明るい笑顔で言った。


「そのときは、俺のところに来ればいい。どんなことがあっても、俺は君の味方だ」


 その言葉には光があった。暗闇くらやみを照らしてくれるだけの、確かな光が。


「本当……?」


 おそるおそるサラは問い返した。


「約束する」


 ノアはしっかりと目を合わせて頷いた。


 ――ああ……。


 サラはノアの手を握り返し、まぶたを閉じた。

 ノアは自分を買いかぶっているのだと思っていた。《伝令ヘルメス》や《マナ》を重宝しているのであって、サラ自身に興味があるわけではないのだと。

 でも、そうではなかったのだ。ノアは自分を理解してくれている。出会って間もないのに、今まで会ったどんな人よりも深く分かってくれている。そんな気がする。


 ――ノアになら、《マナ》のことも打ち明けられるかもしれない。


 なぜか生まれつき使える特殊とくしゅな力。親や周囲の人間は、サラが《聖具》もなく《マナ》を使うと、怖がったり気味悪がったりしたけれど。

 ノアなら、受け入れてくれるかもしれない。


「ノ……」


 言いかけたサラのくちびるを、ノアの手がふさいだ。

 サラをかばうように抱きかかえ、緊迫きんぱくした表情で周囲を見回している。


「何か聞こえる」


 サラは我に返った。


 ――そうだ。こんなところで、ゆっくり話してる場合じゃなかった。


 土をる足音が重なって聞こえてくる。恐らく聖兵せいへいだろう。


 ――どうしよう。私が足手まといになったせいで、ノアが……。


 昨日のようにげおおせたくても、走る体力すら残っていない。あせりと恐怖で全身がわななく。サラはパニックにおちいりかけていた。


「サラ」


 顔を上げて、サラは驚いた。

 ノアは微笑ほほえんでいた。優しくおだやかなひとみで。

 この状況で、落ちつきを失わずにいられることが信じられなかった。


「ノア……」


 思わず口に出すと、ノアの笑顔がかがやきを増した。


「やっと呼んでくれたね、俺の名前」

「そんなこと……言ってる場合じゃ……」

「大丈夫」


 ノアはふところの中でこぶしを握っている。レガリアを確かめているのだろう。


「私を置いて、先に」

「サラ、ここまで俺を連れてきてくれて、本当にありがとう。君がいなきゃ、俺は昨日の夜に殺されてただろう。任務は王都までだったけど、もう十分だと思う」


 目を見開くサラを置いて、ノアは立ち上がった。


「《伝令ヘルメス》サラ・エヴァンス殿。わたくしノア・オズウェルは領主代理として、今この時をもって任務完了とし、あなたとの契約を解除する」


 あたたかい手が、頭をぽんぽんとでる。


「生きびるんだよ」

「駄目っ」


 サラは立ち上がろうとしたが、ひざに力が入らずくずれ落ちてしまう。

 ノアは勢いよく走り出し、その背中が見る間に遠ざかっていく。


「ここだ! レガリアはここにあるぞ! 俺は逃げも隠れもしない、追ってくるがいい!!」


 月夜をつらぬいて、ノアの声がひびき渡る。


「くっ……」


 サラは土をつかみ、握りしめた。指先から血がにじみ、つめの間に泥がこびりつく。


 ――お願い、体、動いて……!!!


 立ち上がって、ノアの後を追わないと。でないとノアが――殺されてしまう。


「ううう……っ」


 けもののようなうなり声を上げ、ぽたぽたと沸騰ふっとうした涙がこぼれ落ちる。

 頭が痛い。体が重い。全身が熱くて吐き気がする。苦しくて死にそうだ。

 それでも――ノアを助けたい、何としてでも!!


「あああああああああっ!!!!」


 さけび声を上げた瞬間しゅんかん、サラの心の奥で何かがはじけ、まぶしい光が全身を包み込んだ。

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