2-3



「何で洞窟どうくつがあるって分かったの?」


 くらな洞窟の奥へと進みながら、ノアはたずねた。


「先ほど周囲を確認したときに見つけたんです。私たちは風上に向かってげましたから、方角的には北東に当たります。洞窟はその方角に伸びていましたし、地面の下を水が落ちる音が聞こえましたので」

「なるほどね。さっき地面に耳を当てて、それを確認してたんだ? 音の間隔かんかくひびき具合から、洞窟はそれほど高くない。だったらあの斜面しゃめんを落ちたとしても、死ぬほどのことにはならない」

「はい、そのとおりです」


 サラは言うと、持ってきた蝋燭ろうそくに火をともした。すると、洞窟内に幻想的げんそうてきな光景が広がる。


「うわぁ……」


 石壁や天井てんじょうが青や紫色にかがやいている。石英の中で光線が屈折くっせつし、洞窟の壁に反映して独特の色彩しきさいを放っているのだ。深海のようなコバルトブルー、神秘的なアメジスト、あわく優しいアクアマリン、葡萄ぶどうより濃いバイオレット。見事なグラデーションだった。


綺麗きれい……」


 思わず見とれていたサラだったが、ノアの声に我に返った。


あかり、つけて大丈夫?」

「あ、はい。かなり奥まで進みましたから、光が外にれる心配はないと思います」

「そっか。よかった」


 やがて光はそれぞれの石英に収束し、ぼうっと色とりどりのランプのように灯っている。

 サラは適当な場所に布をいて、ノアを手招てまねきした。


「ここで少しお休みください。眠れないかもしれませんが、目を閉じて横になっているだけで疲れは取れますから」


 ノアがびっくりした顔をしているので、サラは首をかしげた。


「……何か?」

「いや、怒らないのかなと思って」

「何をですか?」

「さっき俺が不注意に火をつけたせいで、あんなことになって……本当にごめん」


 頭を下げるノアに、サラは「ああ」と首を振った。


「私がきちんとお伝えしていなかったせいですから、ノア様の責任ではありません。それに火をつけたのは、私を気遣きづかってくださったのでしょう?」


 あのときノアは、自分の上着をサラに着せかけようとしていた。火をつけたのも、少しでもサラに温まってほしかったからだろう。

 それが分かっていたから、サラは怒る気にはなれなかった。


「……驚いた。そこまで分かってたんだ」


 ノアは尊敬の眼差まなざしで言った。


「でも、理由がどうあれ、俺なら怒っちゃうかもな。命の危険にさらされたんだし」

「危険な目にうのは覚悟かくごの上です。ノア様とレガリアを、予定どおり王都に送り届ける。それが私の仕事ですから」

「感情より仕事か……。本当にプロにてっしてるんだね」


 複雑な表情でノアはつぶやく。


「年下の女の子に守られるばかりなんて、情けないよ」


 サラはきょとんとしたが、切ない横顔に思い当たるものがあった。


 ――もしかして……プライド傷つけた?


「えっと、お気になさらないでください。もともと《伝令ヘルメス》は安全な仕事ではありませんので、それなりの訓練を積んでいます。それに、さっきノア様は私をかばってくださいましたし」

「あはは、ごめんごめん。冗談じょうだんだよ~」


 ノアは太陽のような笑顔に戻る。


「君があまりにも立派だから、つまんないこと言っちゃっただけ。でも《伝令ヘルメス》って本当すごい仕事だな……。誇り高くて、あこがれるよ」


 ――違う。私は両親に捨てられたくなくて、必死で働いてきただけ。誇りなんて……。


 心の水面に投げかけられた小石が、波紋はもんえがいていく。


「ノア様は」

「だから、ノアでいいって」

「はい、かしこまりました、ノア様」


 あくまでも呼び方をつらぬくサラに、ノアは苦笑した。


「まあいいや。プロの《伝令ヘルメス》に敬意を表して、許そう。それで何?」

「あなたはどうして、そんなにも《伝令ヘルメス》を信頼しておられるのですか?」


 出立前も今も、ノアは《伝令ヘルメス》に絶大な信用を置いている。そもそもノアの推薦すいせんがなければ、ほぼ初対面の、しかも平民であるサラが、彼と二人で旅をするなど許されなかっただろう。


「そりゃそうだよ。だって、伝令所を設立したのは父さんだからね」

「えっ?」


 思いがけない単語に、サラは目を丸くした。

 ノアは敷布しきふを取ってサラの肩にかぶせると、自分はあぐらを組んで座り直した。


「十五年前、俺の父であるエリシャ・オズウェル公爵こうしゃくは、以前から熱望していた《伝令所オフィス・オブ・ヘルメス》を設立するために、君の父親であるビル・エヴァンスに出資した。そうして始まったのが伝令所ってわけ」

「オズウェル公が、伝令所の出資者……」


 呆然ぼうぜんとサラは呟いた。


「じゃあノア様は知ってらしたんですね? 《伝令ヘルメス》の仕組みも、私たちの仕事も全部」

「ん~?」

「ん~じゃありませんよ。だったら私をお城に呼んで、話を聞く必要なんてなかったじゃないですか!」

「まあまあ、そんなぷんすかしないでよ。この話には続きがあるんだ」


 そう言ってノアは微笑ほほえんだ。


「父さんは多分、分かってたんだと思う。いつか教会や《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》と対立する日が来ることを。《伝令ヘルメス》は、ある意味、今この時のために設立されたと言ってもいい」

「どうして、そんなことが分かるんですか?」

「父さんは王家の内情を把握はあくしてるんだよ。だからアルシス殿下でんかが教会をき込み、その教会が情報統制とうせいを行っていることも知っていた」


 サラは、アルシスについて語っているときのオズウェル公のかたい表情を思い出した。


「教会の収入の大部分は寄付金きふきんだ。アルシス殿下は多額の寄付を行い、教会と蜜月みつげつ関係をきずいている。彼が王になれば、教会に有利な政治が行われる。だから教会はアルシス殿下をし、彼がレガリアに認められた王として詐称さしょうさせようとしてるってわけ」

「そんな……」


 そんな馬鹿ばかな話があるだろうか。レガリアに認められた王こそ、本物の王だ。それを教会が、みずからの利益りえきのために王を擁立ようりつするなんて。


「自分にとって都合つごうの悪い情報を隠すのがアルシス殿下のやり方だよ。そこに教会も協力してるからタチが悪い。今まで彼が行ってきた悪事は全て隠蔽いんぺいされている。例えば……美しい色のかみをした人間を集め、《マナ》に関する実験台にしているとかね」


 サラは思わず、自分の氷色の髪を押さえて後ずさった。

 気づいているのかいないのか、ノアは平然とした顔で続ける。


「美しい色の髪の人は、生まれながらに《マナ》を使えることがあるらしい。もちろん、その全員が《マナ》を使えるわけじゃない。生まれつき《マナ》を使える人間は極めてまれなんだ。けど、アルシス殿下は彼らをかたぱしから監禁かんきんして実験し、《マナ》が使えないと分かると殺している。おそらく彼は《マナ》を使って、この国を支配しようとしてるんだ」


 歯がカチカチと鳴って止まらなかった。五年前の、あらしの日の記憶きおくよみがえる。


 ――お父さんが私を売ろうとした貴族って……アルシス殿下だったの?


 義父ビルが、サラに髪を隠すよう言っていたのは、これが理由だったのかもしれない。


「支配力を得るために国民を犠牲ぎせいにするような人間が、王位につくなんてあり得ないだろ? でも教会は、それを黙認もくにんするどころか、隠蔽に手を貸している。追及ついきゅうしたところで、アルシス殿下は絶対に罪を認めないだろう。きちんとした法のさばきを受けさせるためには証拠しょうこが要るんだ。教会もかばいきれないような、確実な証拠が」


 淡い紫色の光に照らされる、ノアの表情はくやしげだった。


「王位と《マナ》、二つの強大な力を使って、アルシス殿下はこの国を支配しようとしている。国民はその事実も、情報が隠されていることさえ知らない。今までこの国の唯一ゆいいつの情報機関は教会であり、《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》だった。その教会やアルシス殿下と対抗たいこうするためには、新しく公平な情報機関を設立するしかない。だから父さんは《伝令ヘルメス》を作ったんだよ」


 教会はすでにアルシスに取り込まれている。そのアルシスが王位につこうとするとき、それに対抗たいこうする真の王を助けられるのは、《伝令ヘルメス》しかいない。エリシャ・オズウェルはそこまで考えて、伝令所を設立したのだ。


 ――でも、どうして?


 クロード王子の死も、国王ジョージがくなることも、二十年前から予測できたはずがない。それにノアにしたって、あまりにアルシスという人間を知りすぎている。まるで見てきたようではないか。

 理由を問いかける前に、ノアが言った。


「残念ながらジョージ国王陛下へいかは、あまり《伝令ヘルメス》を良しとされなかったみたいで、国をげての公的な援助えんじょはしてもらえなかった。まあ当然だけどね」

「どうしてですか?」

「国王が即位するとき、即位式の前に宣誓式せんせいしきがあるだろ? あれは王がレガリアに選ばれたことを示すと同時に、教会が王を王として承認しょうにんする場でもある。逆に言うと、国王でさえ、教会を敵に回しては即位できない。そのくらい教会の権力は絶大なんだ。

伝令ヘルメス》は《文書送達士》の商売がたきだから、《伝令ヘルメス》を擁護ようごするってことは教会に喧嘩けんかを売ることになる。大々的には支援しえんできないよね」


 サラは言葉を引き継いだ。


「だから国王陛下は、《伝令ヘルメス》を許可したものの、教会と同じ地位にはつかせなかった。私たちには《聖具せいぐ》も、身分も、特権もない」

「そういうこと。でも、だからこそ価値がある」


 ノアは両腕を広げると、力強くけ合った。


「今はまだサフィラスが中心だけど、いずれ他の領国や、外国にも情報ネットワークを広げていくことができる。《伝令ヘルメス》には、その可能性があると思う。《文書送達士》は王族や貴族の依頼しか受けないから、どうしたって行動範囲はんいしぼられる。でも《伝令ヘルメス》は何よりも自由で公平なものだ。そうだろ?」


 むねが熱くなって、サラは答える代わりにうなずいた。


「真の王を助けて即位させれば、《伝令ヘルメス》は《文書送達士》に匹敵する力があると証明できる。みなの見る目も変わるし、信用も得られるだろう。それに何より、アルシス・アルビオンを王位につかせるわけにはいかないからね」


 ノアははるか遠くを見つめて言った。


「それが、今回の任務を引き受けた理由」


 茶目っ気のあるひとみを向けられて、サラははっとした。町を出てすぐ、自分がノアに問いかけたことを思い出したのだ。


「……初めて、まともに質問に答えていただけたような気がします」

「え~? ひどいな。俺はいつだってまともだよ」

「分かりましたから、もう寝てください。明日は一日中、歩きっぱなしになりますから」


 洞窟内は湿度しつどが高く、やや底冷えがする。眠るのに良い環境かんきょうではなかったが、贅沢ぜいたくは言っていられなかった。

 ノアはあおむけに横たわっている。サラは壁にもたれかかり、腕を組んで目を閉じた。追っ手が来れば、足音で分かるだろう。


「……王は」

「え?」

「真の王はだれなんでしょう」


 菫色すみれいろ淡青色たんせいしょくの光の中で、夢とうつつが溶け合ってゆく。ふわふわと浮いているような感覚が心地ここちよかった。


「誰だと思う?」


 ノアが尋ねる声にも、欠伸あくびが混じっている。


「分かりません……ただ」

「ただ?」

「その人が、心からこの国を愛してほしいと……思います」


 やわらかな眠気に毛布のように包まれながら、サラは言った。


 ――愛する……か。


 王は国を愛し、王であることに誇りを持ってほしい。そして国民を守り導いてほしい。


 ――私は、どうなのかな。《伝令ヘルメス》の仕事を、愛することはできるのかな。


 今まで生きるのに必死で、仕事を覚えるのに精一杯せいいっぱいで、そんなこと考えたこともなかった。

 でも、少しずつ、少しずつ、自分の中で何かが変わり始めている。


 ――本当は、私……。


 とらえどころのない思考は途切れ、驚くほど呆気あっけなく、サラは眠りに落ちていった。

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