2-2



 とにかく時間がないということで、あわただしく準備が整えられ、二人は領主の城を出発した。日没にちぼつと共に、サフィラス領の東西南北の門は閉じられる。それまでに領を出る必要があった。

 サフィラスの周囲には迷宮めいきゅうのような深い森が広がっている。また、教会から離れれば離れるほど土地そのものに瘴気しょうきまっている。瘴気を吸いすぎると瘴気病になってしまうが、一ヶ所に留まり続けないのであれば大丈夫だとエリシャが教えてくれた。


 ――本当はかみめたかったんだけど。


 森のくらがりの中で、白銀の髪は目立つ。レガリアをねら刺客しかくにとっては格好かっこうまとだ。だが、悠長ゆうちょうに染めている時間はなかった。


「何か、わくわくするね」


 東の門をくぐり、広がる森に足をみ入れると、ノアは大きく空気を吸い込んで言う。

 サラはあきれ返った。


 ――ピクニック気分なの?


 アルシスは王位につくため、レガリアを狙っている。ノアがレガリアを持っていると知れば、刺客は容赦ようしゃなくおそいかかってくるだろう。これは、命がけの旅になる。

 なのにノアときたら、町から離れれば離れるほど上機嫌じょうきげんになってゆくではないか。


「ノア様」

「ノアでいいよ。歩くの速い?」

「大丈夫です。ただ、周囲に気を配ってください。いつだれが何をしてくるか分かりませんから」

「平気平気。それより見てよ、この木。大きいな~」


 両手を伸ばしてもかかえきれないほどの大樹を見上げ、ノアは気持ちよさそうに伸びをする。

 サラは溜息ためいきをついた。たった二人の旅路に、底知れない不安が込み上げてくる。


「……ノア様は、なぜこの任務をお引き受けになったのですか」

「俺と一緒じゃいやだった?」


 くるりと振り向いたノアと目が合う。サラはどぎまぎして、ぱっと目をらした。


「別に……。仕事ですから、相手がだれであろうと関係ありません」

「そっか。でも、思ってたより深い森だね。道らしい道もないし、迷わないといいけど」

「ご心配なく。地形は頭に入っています」

「よかった。頼りにしてるよ、《伝令ヘルメス》さん」


 サラは湿しめった土を踏みしめ、先導して道なき道を歩く。サフィラスから徒歩で王都へ向かうのは初めてだが、《伝令ヘルメス》としての知識には自信があった。

 こずえの間をうようにして小鳥が羽ばたく。さわさわと葉ずれの音がし、さわやかな香りがした。


「なるべく瘴気が濃くない場所を行くつもりですが、少しでも体調が悪いと思ったら、すぐにおっしゃってください」

「え、瘴気って見えないでしょ。どうして濃いって分かるの?」

「見えませんが、同じルートを行き来する《伝令ヘルメス》が、どのあたりで体調を悪くするか記録を取っているんです。それで大体の場所が分かります」

「へえ~そんなことも分かるんだ! すごいね、《伝令ヘルメス》って」

「《伝令ヘルメス》は《聖具せいぐ》を持っていませんから。こうやって知識でおぎなうしかないんです」


《聖具》には《マナ》が込められている。だから瘴気を払えるし、瘴気病にかかった者をいやすこともできる。ゆえに教会は特権として《聖具》を独占どくせんし、瘴気を浄化する代償だいしょう莫大ばくだい寄付金きふきんを要求する。一般市民は、安全に領国や王都を行き来できないのが現状だった。


「そろそろ休もうか」


 気づくとすっかりが沈んで、藍色あかねいろの空に銀の星が一つ、二つときらめいている。


「もう五分だけ歩けませんか? できれば今のうちに、もう少し距離をかせいでおきたいんですが」

「分かった、いいよ」


 あっさり受け入れられたので、サラは驚いた。ノアはおっちゃん育ちで、旅どころかサフィラスを出たことすらないだろうから、歩きっぱなしは不満だろうと覚悟かくごしていたのだが。


「何? 俺が疲れた~って言わないのが変だなって?」


 サラはぎくりとした。


 ――するどい。


「はい……。それもありますが、私の提案を受け入れてくださったことに驚いています」

「そりゃそうでしょ。だって君が案内人で、道しるべなんだから」


 当然のようにノアは言った。


 ――でも普通、貴族は平民の、ましてや《伝令ヘルメス》の言うことなんて聞かないけどな……。


 ノアは公爵家こうしゃくけの人間だ。人にめいじることはあっても、指図されることは今まであまりなかったはずだ。反発されて当然だろうと思っていたのに、意外だった。

 しばらく歩くと、今度こそサラとノアは休息きゅうそくを取り、そこで野宿することになった。


えてきたね」


 首をすくめるノアの様子を見て、サラはまゆを寄せた。


 ――確かに、思ってたより寒い。


 ノアの服装は動きやすいズボンにシャツ、上にジャケットを重ね、紺色こんいろのコートを羽織はおっている。何枚か替えの服も持っているはずだが、どれも薄手だった。サラの《伝令ヘルメス》の制服は保温性ほしつせいすぐれているものの、これほど寒いのは想定外だった。


 ――風邪かぜ引かないようにしなくちゃ。


 かすかに水の音が聞こえた気がして、サラは顔を上げた。


 ――き水でもあるのかしら。


「よかったら、これ羽織って」


 ノアがコートをいで着せかけようとしたので、両手で押しとどめる。


「私は大丈夫です。ご自分の心配をなさってください」

「でも、風邪引いたら大変だよ」


 食い下がるノアだったが、サラは断固として首を振った。


「大丈夫ですから。それより」


 サラは革袋かわぶくろに持ってきた水をノアに手渡した。


食糧しょくりょうはお持ちですね。なるべく早く静かに食べてください。においや音にけものが寄ってくるので」

「一緒に食べようよ」

「いえ、私は少し周りを見てきます」


 覚えてきた地形と照らし合わせて、方角が間違っていないか確認し、明日の朝すぐに動けるようにしておきたかった。それに、水の音も気になる。


「じゃあ俺も行く」

「ノア様は、ここにいらしてください。決して動かないように」


 素早すばやく言い置くと、サラは歩き出した。



「意外ね……。こんなところに洞窟どうくつがあるなんて」


 思わずつぶやきがれる。さっき聞こえた水の音は、洞窟の中を落ちるしずくの音だったのだ。中をのぞいてみると、高さはないが意外に広く、幾重いくえにも道が分かれて奥へつながっている。


 ――もう少し中を確かめたいな。


 この情報を持って帰れば、少しは《伝令ヘルメス》の役に立つはずだ。

 義父ビルの顔が浮かぶ。火傷やけどの具合はどうだろう、少しは回復しているといいのだが……。


『ノアをよろしく頼むよ、サラじょう


 突然、声が頭にひびき、サラは洞窟の入り口で立ち止まった。

 出立の直前、二人でいるときにかけられた、領主エリシャ・オズウェルからの言葉だった。


『君のことは、よくビルから聞いていたよ。美人でかしこく、とても優しい自慢じまんむすめだと。父親が大変なときに、こんな任務を頼んでしまってすまない』


 エリシャはサラの手に、紙片をにぎらせた。


『これは……?』


 中を確かめようとするサラを、エリシャは首を振って制した。


『今はまだ、何の役にも立たない紙切れだ。だが、その時が来れば、奥千金の真価を発揮はっきするだろう。情報とはいつも、そういうものだね』


 問いかけられているのかいなか分からず、サラは首をかしげた。


『あの子が道に迷ったら、自分の心に正直に生きろと伝えてくれ』


 榛色はしばみいろひとみが、真っすぐにサラを見つめてくる。

 公爵の言葉はまるでノアだけでなく、サラにもうったえかけているかのようだった。


 ――自分の、心……。


 サラの頭に手を置き、エリシャは祈るように目を閉じる。


『願わくは、君たちの旅路に、幸多からんことを』



 はっと気づいたときには、もう遅かった。

 暗闇の中、かすかにオレンジ色のあかりが見える。


「いけません、ノア様」


 サラは元の場所にけ戻ると、ノアが小枝を集めて燃やしているのを足で踏み消した。


「えっ」


 ノアは驚いた表情で、オリーブ色の瞳が傷ついている。

 けれど、サラにはそれに構う余裕はなかった。


「私たちは追われているんです。光や煙を出しては、居場所が知られてしまうと分かりませんか?」


 聞き取れるぎりぎりの早口で、押し殺した声で言う。


「獣はまだしも、教会の聖兵せいへいに見つかれば命はありません。危険を自覚してください」


 ノアは青ざめた顔で口を開きかける。だが、返事も待たずにサラは立ち上がった。


「少し移動します。ついてきてください」


 幸い、灯りがついたのはほんの一瞬だった。煙もほとんど上がらなかったし、見つからなければよいのだが――。


「ごめん、サラ」


 後ろからノアの声が聞こえる。顔を見なくても、しょんぼりしていることは気配で分かった。


「俺、森でどうすればいいか、何も知らなくて」


 サラは振り向いて答えようとしたが、それより異変に気づくほうが早かった。


「……鈴の音がする」

「え?」


 人差し指を立て、ノアのくちびるに押しつける。二人でだまっていると、遠くから確かにんだ鈴の音色がした。


 ――《マナ》だ。


 全身に鳥肌とりはだが立った。

 同時にごうっと突風が吹き、先ほどの灯りとは比べ物にならない、きらめくような火炎の光がすぐそばに広がる。


「燃えてる……!」


 ノアがさけんだ。

 サラは風上を確かめ、ノアの手を引いて走り出した。


「聖兵です。彼らが《聖具》を使って、森に火を放ったんです」

「まさか。何でこんな早くに見つかるんだ」

「走ってください、早く!」


 行くはずだったルートを大幅にれ、サラはとにかく風上を目指して走り続けた。風下にげれば炎に焼かれ、煙に巻かれて死んでしまう。逃げ切らなければ殺され、レガリアを奪われてしまう。


「いたぞ!! こっちだ!!!」


 ――しまった。


 二人の行動を予測していたのだろう、風上で誰かが待ち受けているのが見えた。

 白を基調とした制服に、青い紋章もんしょう。やはり教会の聖兵だ。手に持っている金の鈴は、火の《マナ》を扱う《聖具》らしい。


「そうか。あいつらビルさんを襲った連中だ。彼がサフィラスに入ったのを見て、ここで待ち伏せてたんだ」

「領主様の使いが、レガリアを持ってサフィラスから出てくるのを……」


 ノアの言葉を引き取り、サラは呆然ぼうぜんつぶやいた。

 ビルの背中のひど火傷やけど脳裏のうりよみがえる。きっと父も、この《聖具》で焼かれたに違いない。


 ――何て酷いことを……!


「サラ、後ろ!」


 マントを引っ張られて地面に伏せると、目の前に矢が突きさる。見ると、背後から弓を構えた聖兵がこちらを狙っている。はさちだ。

 燃えさかる炎の中で、心臓しんぞうだけがこおりついたように冷たい。


 ――怖い。


 ノアはふところに手を入れ、ふるえる手で何かをにぎりしめている。おそらく、レガリアだろう。


 ――このまま殺されるわけにはいかない。


《マナ》を使えば乗り切れる。サラは力を使おうとしたが、恐怖きょうふあせりでうまく集中できなかった。


「レガリアを渡せ。さもなくば殺す」


 金の鈴が揺れ、あわく赤い光を放っている。炎が発射されれば、二人で仲良く焼死体だ。退こうにも、後ろには弓をつがえた聖兵たちが待ち受けている。行くも地獄じごく、戻るも地獄。


 ――どうすればいいの?


「くそっ……!!」


 ノアの手がくやしそうに土をつかむ。そこで、はっと気がついた。

 サラは身を伏せ、ぴったりと地面に耳を押し当てた。


 ――聞こえる。


「サラ……?」

れ」


 ノアがたずねると同時に、聖兵が弓を放った。

 サラはノアの手を引き、左側に広がる斜面しゃめんへと思いきり身を投げた。


「何っ!?」


 驚愕きょうがくの声が耳をかすめて遠ざかってゆく。自分たちが転がり落ちているのだと分かった。

 ノアの腕が強く自分を掴んでいる。言葉もなく、二人は滑落かつらくしていった。


 ――お願い、助けて!


 目を開けることもできず、強く念じる。ふわっと体が浮く感覚がしたかと思うと、二人は音を立てて倒れ込むように着地した。


「う……」


 うめき声を上げているのは自分かノアか。真っ暗闇で何も見えず、気配を感じながら手を伸ばす。


「大丈夫?」「大丈夫ですか」


 声が重なり、その後でサラは、自分がノアの体を下敷したじきにしていることに気づいた。

 慌てて立ち上がると、ノアが身を起こす気配がした。


「怪我はない?」


 聞かれて、サラは手足や頭を確認した。痛くないし、血も流れていない。奇跡的に無傷のようだ。


「私は大丈夫です。ノア様は」

「俺も平気だよ。地面がやわらかくて、クッションになってくれたみたい。ラッキーだったね」

「すみません。私をかばって下になってくださったんですね」

「いや、たまたまだよ。俺そんな器用なことできないよ~」


 暗くてよく見えないが、ノアはきっとあの飄々ひょうひょうとしたみを浮かべているのだろう。サラはほっと息をついた。


「レガリアはお持ちですか」

「大丈夫、ちゃんと持ってる」


 ノアはしっかりとした口調で言った。


「近くに洞窟の入り口があるはずですから、そこに身を隠しましょう。歩けますか?」


 返事する代わりに、温かい手が手を握りしめてくる。サラはびくりとした。


「……駄目だめ?」

「いえ。暗いので、足元に気をつけてくださいね」


 声が震えないようにするだけで精一杯せいいっぱいだった。


「はーい」


 サラはもう片方の手をほおに当てた。びっくりするほど熱い。今、自分はな顔をしているに違いない。


 ――暗くてよかった。

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