2-1
気づいたら風に乗っていた。《マナ》を使えば、風の助けを借りて通常の何倍もの速さで
ロッテンマイヤーも事務所に置いてきぼりで、門衛に何をどう伝えたのかも覚えていない。応接室で待たされている間、サラは
「サラ!」
「やっと遊びに来て……くれたわけじゃなさそうだね。どうしたの、顔が
ノアの表情が
「ごめんなさい。事情を説明している時間がないんです。とにかく領主様にお目にかかりたいんです、今すぐに」
「分かった。待ってて」
ノアは
「はじめまして。私がエリシャ・オズウェルです。ノアがお世話になっているようだね」
サラは
「私はビル・エヴァンスの
「おかけなさい、少し顔色が悪いようだ」
エリシャは「何か温かい飲み物を」とメイドに指示し、ノアと二人、サラの向かいのソファーに腰を下ろした。
「これを父から預かりました。
わななく手で、サラはエリシャに書状を手渡した。
「ありがとう」
エリシャは
エリシャは書状を開き、内容に目を走らせると、すぐに口を開いた。
「ビルに会いたいんだが、今は自宅かな?」
「父は……」
あの
「
それを聞くと、エリシャの顔色が変わった。
「……ビルが、君に行くように言ったのかい?」
ひどく
「そうか……」
考え込んでいるエリシャに、
「父さん」
エリシャは深い
「……国王
「国王陛下が……!?」
アルビオン王国のジョージ国王は、誠実で公平な君主として知られていた。若くして即位し、まだ四十代だったはずだ。
「殺されたんですか」
妙に張りつめた
「いや、病死という話だ。実際、ご心痛に耐えかねられたのだろう。国王陛下は、クロード王子を亡くされたばかりだったからな」
――そうだわ……たしか三ヶ月前、クロード王子も亡くなったんだ。
そのときは《
――でも、なぜ今回は《
「そのクロード王子にしたって、暗殺されたんでしょう。裏で糸を引いている人物がいる」
「ノア、口を
エリシャは
「ご主人様、ノア様」
ロッテンマイヤーがようやく姿を見せた。エリシャの元に
「待ちなさい、サラ
引き留めたのはエリシャだった。
振り向くと、全てを見通すような瞳がこちらを
――な……何?
「あなたに仕事を依頼したい。本来はビルに頼むはずだったが、そうもいかなくなった」
「依頼……?」
エリシャは頷くと、しばらく
「レガリアを、真の王の元へ届けてほしい」
サラはしばらくの間、返事をすることができなかった。
――レガリアって……あのレガリアのこと?
「レガリアは知っているね?」
あまりにも長い間サラが
「は……はい。王家に代々受け継がれる国宝で、正当な王が手にしたとき光り
「そのとおりだ」
エリシャは
「レガリアは王家の血を継ぐ者の中から、最も王に
サラは頷いた。レガリアは王を選んで光り輝き、王を守る。どうやって王を選んだり守ったりするのか、
「君も知るとおり、レガリアは常に王と共にある。だが国王陛下は亡くなられる前、ある方にレガリアを
「えっ。では領主様が、今レガリアをお持ちになっているのですか?」
サラの声は引っくり返った。
「ああ、そうだ」
エリシャは頷いた。見ると、隣で聞いているノアは表情も変えていない。
――ノア様も知ってることなんだ……でも、どうして?
心臓が
「国王陛下は、クロード王子が次の王であるとお考えだった。だが、陛下の弟君であるアルシス・アルビオン
「え……でも、教会での宣誓式は」
先ほどの話だと、神や教会に対して、正当な王であることを示すのが宣誓式のはず。レガリアを持っていても、選ばれていなければ神官たちに見破られてしまうのではないのか。
サラの疑問を察したように、エリシャは首を振った。
「教会、特に神官長はアルシス殿下の息がかかっている。たとえアルシス殿下がレガリアに認められなくとも、何かしらの手段を使って王に
「つまりレガリアに認められていない者を、あたかも認められた真の王として
「そういうことだね」
サラの問いかけに答えたのはノアだった。
エリシャは頷き、組み合わせた指の上に
「レガリアはある方に預けられ、アルシス殿下はレガリアに手出しできなくなった。ところが三ヶ月前、今度はジョージ陛下の第一子であられるクロード王子がお亡くなりになってしまった。表向きは
サラは目を細めた。
つまり国王の弟であるアルシス殿下は王位を望み、
「クロード王子が亡くなった後、国王陛下は心痛のあまり
――真の王。
エリシャの言葉には確信がこもっていた。アルシスは、この国の王ではないという確信が。
「レガリアは王に相応しい器を選ぶとおっしゃいましたね。アルシス殿下が次の王である可能性はないのですか」
「あり得ない」
強い意志で言い切った後、エリシャは我に返ったように言い足した。
「いや……あくまで選定するのはレガリアだ。そういう意味では可能性はゼロではない。だが、私はジョージ陛下と同じく、アルシス殿下は王ではないと考えている」
ノアが補足した。
「ただ、どんな理由であれ、レガリアを王宮から持ち出すのは大罪だ。このことは内密にしてほしい。じゃないと父さんの首が飛ぶからね」
ノアの言葉に、サラはごくりと唾を飲んで頷いた。
――
「ビルが怪我を負ったのは、恐らくアルシス殿下の手下に書状を狙われたからだろう。国王が亡くなられたことは、わずかな側近しか知らないと書かれている。しかし、三日もすればその情報も
エリシャはサラに向き直った。
「そこで、あなたにレガリアを運ぶ任務をお願いしたいのだよ、サラ嬢。教会の《文書送達士》はアルシス殿下の言いなりだ。ビルは寝込んでいるぐらいだから、今すぐ出立するのは無理だろう。だから君を代理に出した。つまり君は、ビルが知る限り最も能力が高く、信頼の置ける《
「えっ!?」
動転して、思わず声が出た。
レガリアは国宝だ。もし途中で紛失したり、敵に奪われれば、真の王が即位できなくなる。そんな重要なものを初対面の自分に
「王都アルマースとサフィラスの間には深い森が広がっている。三日で王都まで
「いえ、私は」
サラは首を振った。王都には両親に捨てられて以来、一度も足を運んでいないのだ。
――行きたくない。
「急な依頼になってしまって申し訳ない。だが、時間がない。
――そんなこと急に言われても……。
「申し訳ありません。そのような重要な任務、私にはとても……。父の看病もありますし」
言い訳をした瞬間、舌が苦くなった。義父の看病を
無理なことを言ってきているのは向こうだ。自分は今の今まで何も知らなかった。義父ビルは伝令所の創設者で、経験も長い。その義父でさえ命からがら戻ったというのに、自分に任務が
それに、王都でもし万が一、実の両親と会うことになったら――。
「サラ」
ぽんと頭に手を置かれて、サラは顔を上げた。
見ると、後ろからソファーの背もたれに手をついたノアが
「ビルさんのことは大丈夫。オズウェル公爵家の
視界の
ノアはエリシャの前に進み出ると、
「父上。この任務、どうか私にお
あまりに
ノアは
エリシャは腕組みしていたかと思うと、やがて頷いた。
「よかろう。ノア、貴君にこの任を与える。私に代わり、オズウェル公爵家当主の名代として、レガリアと共に王都へ向かいなさい」
「かしこまりました」
ノアは顔を上げると、迷いのない瞳で応じた。
「そういうわけで、任務は俺が引き受けた。もし失敗しても君の責任にはならないよ。だから、道案内として一緒に来てくれないかな。一人で旅したこともないし、いろいろ教えてくれると嬉しい」
ばつの悪さで、サラは
――この人……分かってるんだ。
王都に行くのが怖いから、失敗するのが
――恥ずかしい。
責任
「俺は《
みっともなく足が
――領主様も、ノア様も、《
こんな重要な、国家の行く末を左右する宝物を預けてくれるのだ。その信頼に
サラは目を閉じ、ぐっと両足を
真っすぐ顔を上げると、ノアの瞳をひたと
「はい、ノア様。任務を成功させるため、《
ノアの表情がぱっと輝き、握った両手を大きく上下に振った。
「よかった! ありがとう」
その笑顔があまりに
――いいな……いつも真っすぐでいられて。
家族、身分、恵まれた暮らし、揺るぎない自信。自分にないものを全て持っている彼が
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