2-1



 気づいたら風に乗っていた。《マナ》を使えば、風の助けを借りて通常の何倍もの速さでけることができ、しかも全く疲れない。意識して集中しなければ使えない力だったが、今のサラはただ無我夢中むがむちゅうだった。

 ロッテンマイヤーも事務所に置いてきぼりで、門衛に何をどう伝えたのかも覚えていない。応接室で待たされている間、サラはくちびるを引き結び、書状を強くにぎりしめていた。


「サラ!」


 はずむような足取りで部屋に入ってきたのはノアだった。


「やっと遊びに来て……くれたわけじゃなさそうだね。どうしたの、顔がさおだよ」


 ノアの表情がくもる。「座って」とすすめられたが、サラは首を振った。


「ごめんなさい。事情を説明している時間がないんです。とにかく領主様にお目にかかりたいんです、今すぐに」

「分かった。待ってて」


 ノアはうなずくと部屋を出ていき、すぐに領主を連れて戻ってきた。


「はじめまして。私がエリシャ・オズウェルです。ノアがお世話になっているようだね」


 たくましい体つきに臙脂色えんじいろの洋服、それに白いマントを羽織はおっている。かみはノアと同じ黄金色だが、ひとみ榛色はしばみいろだった。差し出された手を握ると、力強く温かかった。

 サラはこしをかがめて一礼すると、むねに手を当てて言った。


「私はビル・エヴァンスのむすめで、サラと申します」

「おかけなさい、少し顔色が悪いようだ」


 エリシャは「何か温かい飲み物を」とメイドに指示し、ノアと二人、サラの向かいのソファーに腰を下ろした。


「これを父から預かりました。至急しきゅう、領主様にお渡しするようにと」


 わななく手で、サラはエリシャに書状を手渡した。


「ありがとう」


 エリシャは封筒ふうとうを確かめた。宛名あてなはなく、差出人の名前もない。しかし、封筒の裏面にかし模様もようが入っている。

 エリシャは書状を開き、内容に目を走らせると、すぐに口を開いた。


「ビルに会いたいんだが、今は自宅かな?」

「父は……」


 あのひど火傷やけどを思い出すと、泣きそうになった。平静を保つために、何度か咳払せきばらいをする。


怪我けがを負って寝込んでおります。それで、わたくしが代理として参りました」


 それを聞くと、エリシャの顔色が変わった。


「……ビルが、君に行くように言ったのかい?」


 ひどく慎重しんちょう眼差まなざしでたずねられ、サラは戸惑とまどいながらも頷いた。


「そうか……」


 考え込んでいるエリシャに、れたようにノアが身を乗り出した。


「父さん」


 エリシャは深い溜息ためいきをつくと、じっとサラを見つめた。

 緊迫感きんぱくかんが伝わってきて、サラはごくりとつばを飲む。


「……国王陛下へいかがおくなりになったそうだ」

「国王陛下が……!?」


 アルビオン王国のジョージ国王は、誠実で公平な君主として知られていた。若くして即位し、まだ四十代だったはずだ。


「殺されたんですか」


 妙に張りつめた口調くちょうでノアが尋ねると、エリシャは首を振った。


「いや、病死という話だ。実際、ご心痛に耐えかねられたのだろう。国王陛下は、クロード王子を亡くされたばかりだったからな」


 ――そうだわ……たしか三ヶ月前、クロード王子も亡くなったんだ。


 そのときは《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》が領主に知らせを運び、領主が各地の教会を通じて国民に伝達し、国民は三日間のに服した。


 ――でも、なぜ今回は《伝令ヘルメス》であるお父さんが、こんな大切な書状を?


「そのクロード王子にしたって、暗殺されたんでしょう。裏で糸を引いている人物がいる」

「ノア、口をつつしみなさい。ぺらぺらと確証のないことを話すものではない」


 エリシャはきびしい口調でたしなめる。


「ご主人様、ノア様」


 ロッテンマイヤーがようやく姿を見せた。エリシャの元に素早すばやく近づき、何か耳打ちしている。サラはほっとして席を立った。あとは彼が何とかしてくれるだろう。さっさと家に帰って、父の看病をしなければ。


「待ちなさい、サラじょう


 引き留めたのはエリシャだった。

 振り向くと、全てを見通すような瞳がこちらを凝視ぎょうししてくる。


 ――な……何?


「あなたに仕事を依頼したい。本来はビルに頼むはずだったが、そうもいかなくなった」

「依頼……?」


 エリシャは頷くと、しばらく沈黙ちんもくし、やがて確固たる口調で言った。


「レガリアを、真の王の元へ届けてほしい」


 サラはしばらくの間、返事をすることができなかった。


 ――レガリアって……あのレガリアのこと?


「レガリアは知っているね?」


 あまりにも長い間サラがだまっていたので、エリシャはうながした。


「は……はい。王家に代々受け継がれる国宝で、正当な王が手にしたとき光りかがやくと言われています」

「そのとおりだ」


 エリシャは微笑ほほえみ、満足げに頷いた。


「レガリアは王家の血を継ぐ者の中から、最も王に相応ふさわしい資質を持ったうつわを選ぶ。選ばれた王は王都の教会で宣誓式せんせいしきを行い、自分が正当な王であることを示し、神に対して王になることをちかう。その後、国民に向けて即位を知らせるための即位式を行う。そしてレガリアは、選んだ王を守り導く」


 サラは頷いた。レガリアは王を選んで光り輝き、王を守る。どうやって王を選んだり守ったりするのか、くわしい仕組みは分からないが、とにかく王にとってレガリアは必要不可欠なものだ。アルビオン王国に住む者であれば、誰もが知っている常識だった。


「君も知るとおり、レガリアは常に王と共にある。だが国王陛下は亡くなられる前、ある方にレガリアをたくされた。レガリアを奪われ、悪用されるのをおそれてのことだ。そして私は、その方からレガリアをお預かりしている」

「えっ。では領主様が、今レガリアをお持ちになっているのですか?」


 サラの声は引っくり返った。


「ああ、そうだ」


 エリシャは頷いた。見ると、隣で聞いているノアは表情も変えていない。


 ――ノア様も知ってることなんだ……でも、どうして?


 心臓が喉元のどもとまでせり上がってくる。サラはさわぐ胸を右手で押さえた。


「国王陛下は、クロード王子が次の王であるとお考えだった。だが、陛下の弟君であるアルシス・アルビオン公爵殿下こうしゃくでんかは、自分こそが次の王であると主張し、レガリアを奪おうとしていた。レガリアを手にしてさえいれば、たとえレガリアに選ばれていなくても、自分が王だと国民をだますことができる」

「え……でも、教会での宣誓式は」


 先ほどの話だと、神や教会に対して、正当な王であることを示すのが宣誓式のはず。レガリアを持っていても、選ばれていなければ神官たちに見破られてしまうのではないのか。

 サラの疑問を察したように、エリシャは首を振った。


「教会、特に神官長はアルシス殿下の息がかかっている。たとえアルシス殿下がレガリアに認められなくとも、何かしらの手段を使って王に承認しょうにんしようとするだろう。さらに、レガリアが王を認めたとき、どのようにして光り輝くのか、それを知る者はほとんどいないと言っていい」

「つまりレガリアに認められていない者を、あたかも認められた真の王として詐称さしょうすることができる……と?」

「そういうことだね」


 サラの問いかけに答えたのはノアだった。

 エリシャは頷き、組み合わせた指の上にあごを置く。


「レガリアはある方に預けられ、アルシス殿下はレガリアに手出しできなくなった。ところが三ヶ月前、今度はジョージ陛下の第一子であられるクロード王子がお亡くなりになってしまった。表向きは不慮ふりょの事故ということになっているが、本当のところは定かではない」


 サラは目を細めた。

 つまり国王の弟であるアルシス殿下は王位を望み、邪魔者じゃまものであるクロード王子を暗殺した可能性があるということだ。


「クロード王子が亡くなった後、国王陛下は心痛のあまり病床びょうしょうに伏せってしまわれた。私はビルに依頼してレガリアを我が城へ運ばせ、秘密裏に引き取った。陛下にもしものことがあったとき、レガリアを守り、真の王に引き渡すために」


 ――真の王。


 エリシャの言葉には確信がこもっていた。アルシスは、この国の王ではないという確信が。


「レガリアは王に相応しい器を選ぶとおっしゃいましたね。アルシス殿下が次の王である可能性はないのですか」

「あり得ない」


 強い意志で言い切った後、エリシャは我に返ったように言い足した。


「いや……あくまで選定するのはレガリアだ。そういう意味では可能性はゼロではない。だが、私はジョージ陛下と同じく、アルシス殿下は王ではないと考えている」


 ノアが補足した。


「ただ、どんな理由であれ、レガリアを王宮から持ち出すのは大罪だ。このことは内密にしてほしい。じゃないと父さんの首が飛ぶからね」


 ノアの言葉に、サラはごくりと唾を飲んで頷いた。


 ――今更いまさらだけど、国王とかレガリアとか……こんな大それた話、私が聞いちゃっていいの?


「ビルが怪我を負ったのは、恐らくアルシス殿下の手下に書状を狙われたからだろう。国王が亡くなられたことは、わずかな側近しか知らないと書かれている。しかし、三日もすればその情報もおおやけになるはずだ。そうなる前に真の王にレガリアを届け、王都で即位の儀式を行っていただく必要がある」


 エリシャはサラに向き直った。


「そこで、あなたにレガリアを運ぶ任務をお願いしたいのだよ、サラ嬢。教会の《文書送達士》はアルシス殿下の言いなりだ。ビルは寝込んでいるぐらいだから、今すぐ出立するのは無理だろう。だから君を代理に出した。つまり君は、ビルが知る限り最も能力が高く、信頼の置ける《伝令ヘルメス》だということだ」

「えっ!?」


 動転して、思わず声が出た。

 レガリアは国宝だ。もし途中で紛失したり、敵に奪われれば、真の王が即位できなくなる。そんな重要なものを初対面の自分にたくすなんて、エリシャは何を考えているのだろう。


「王都アルマースとサフィラスの間には深い森が広がっている。三日で王都まで辿たどりつくのは、相当な強行軍だ。だが、あなたには《伝令ヘルメス》としての知識と情報がある。どうか引き受けてもらえないだろうか」

「いえ、私は」


 サラは首を振った。王都には両親に捨てられて以来、一度も足を運んでいないのだ。


 ――行きたくない。


「急な依頼になってしまって申し訳ない。だが、時間がない。支度したくはこちらで整えるので、すぐにでも出発してほしい」


 ――そんなこと急に言われても……。


「申し訳ありません。そのような重要な任務、私にはとても……。父の看病もありますし」


 言い訳をした瞬間、舌が苦くなった。義父の看病をたてにするなんて卑怯ひきょうだろうか。

 無理なことを言ってきているのは向こうだ。自分は今の今まで何も知らなかった。義父ビルは伝令所の創設者で、経験も長い。その義父でさえ命からがら戻ったというのに、自分に任務がたせるだろうか。

 それに、王都でもし万が一、実の両親と会うことになったら――。


「サラ」


 ぽんと頭に手を置かれて、サラは顔を上げた。

 見ると、後ろからソファーの背もたれに手をついたノアが微笑ほほえみかけていた。


「ビルさんのことは大丈夫。オズウェル公爵家の侍医じいを向かわせたよ。重傷だったけど、一命は取り留めた。しばらく安静にしている必要はあるけどね」


 視界のはしで、ロッテンマイヤーが深々と頭を下げているのが見えた。

 ノアはエリシャの前に進み出ると、ひざをついて胸に手を当て、こうべをれた。


「父上。この任務、どうか私におめいじください。必ずやレガリアを三日以内に王都へ運び、真の王の元へ届けてみせましょう」


 あまりに優雅ゆうがで非の打ちどころのないお辞儀じぎだったので、サラは目を瞠った。

 ノアはおそれることも、じることもなく堂々としている。

 エリシャは腕組みしていたかと思うと、やがて頷いた。


「よかろう。ノア、貴君にこの任を与える。私に代わり、オズウェル公爵家当主の名代として、レガリアと共に王都へ向かいなさい」

「かしこまりました」


 ノアは顔を上げると、迷いのない瞳で応じた。


「そういうわけで、任務は俺が引き受けた。もし失敗しても君の責任にはならないよ。だから、道案内として一緒に来てくれないかな。一人で旅したこともないし、いろいろ教えてくれると嬉しい」


 ばつの悪さで、サラはうつむいた。


 ――この人……分かってるんだ。


 王都に行くのが怖いから、失敗するのがいやだから、言い訳をしてげようとしていた。それをノアは見抜き、自分が全責任を負うと言ったのだ。


 ――恥ずかしい。


 責任のがれをしようとしていたことも、それを呆気あっけなく見抜かれたことも。


「俺は《伝令ヘルメス》のことも、サラのことも信頼してる。君の力を借りれば、必ず任務を達成できる。だから、お願いだ。一緒に来てほしい」


 みっともなく足がふるえていた。恐怖きょうふ、情けなさ、恥ずかしさ、くやしさ、その全てに。


 ――領主様も、ノア様も、《伝令ヘルメス》を信頼してくれている。


 こんな重要な、国家の行く末を左右する宝物を預けてくれるのだ。その信頼にこたえなくてどうする。きっと、義父ビルも「行け」と言うはずだ。

 サラは目を閉じ、ぐっと両足をん張った。大きく深呼吸をすると、震えが収まってゆく。

 真っすぐ顔を上げると、ノアの瞳をひたと見据みすえて頷いた。


「はい、ノア様。任務を成功させるため、《伝令ヘルメス》として、この身が及ぶ限りお力になりたいと存じます」


 ノアの表情がぱっと輝き、握った両手を大きく上下に振った。


「よかった! ありがとう」


 その笑顔があまりにまぶしくて、サラは目を細めた。


 ――いいな……いつも真っすぐでいられて。


 家族、身分、恵まれた暮らし、揺るぎない自信。自分にないものを全て持っている彼がうらやましく、少しだけねたましかった。

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