1-6



 見透みすかされた気がした。

 案内を断り、城のだだっ広い廊下ろうかを一人で歩きながら、サラは物思いにふけっていた。肩からかけていたかばんひもを、ぎゅっとにぎりしめる。


 ――仕事熱心で、仕事に誇りを持っている……か。


 仕事にはだれより熱心に取り組んでいる、その自覚はある。でも、それは《伝令ヘルメス》の仕事に誇りがあるからではない。親に捨てられるのが怖いからだ。

 義父や義母に必要とされたい。もう二度と、あんなつらい思いはしたくない。

 恐怖きょうふをひたかくしにして、ギリギリのところで自分を保っている。そんな自分に、ノアは気づいたのだろうか。


 ――まさかね。そんなのあり得ない。


「ええーっ! あんた、ルカ様専属になったの!?」


 大きな声が聞こえてきて、サラはとっさに壁際かべぎわに身を寄せた。何となく、見られてはいけないような気がしたのだ。

 どうやら話しているのは若い女性のメイドたちらしい。そのうちの一人が、別のメイドに早口で言った。


「いいなぁ~。私も早くっちゃん方付きのメイドになりたいよ。奥様はきびしくて、息が詰まっちゃう」


 あけすけな言い草に、笑い声が上がる。

 どうも公爵邸こうしゃくていのメイドたちは、誰かのお付きになって傍仕そばづかえをする者と、そうでない者に分かれるらしい。ということは、さっき給仕きゅうじをしてくれたメイドは、ノア専属ということか。


「でもやっぱり、お付きになるならラケル様じゃない? 何といっても跡取りだもん」

「何あんた。まさか、その歳で玉の輿こしねらってるわけ!?」

「その歳とは何よ。言っときますけど、私はノア様と同い年の十八歳なんだからね」

「ええーっ、見えなーい。絶対サバ読んでるでしょ。十は上に見えるわよ」


 再び、どっとメイドたちが笑う。楽しそうなおしゃべりだが、少々キンキン声が耳につく。サラはそっときびすを返して去ろうとした。


「あんたはどうなの、リリーナ。ノア様付きなんでしょう?」


 その名前に、サラの足が止まる。

 しばらくして、ややおさえぎみのかわいらしい声が聞こえてきた。


「ノア様は……素敵すてきな方だと思う。いつも気さくに接してくださるし」

「あー分かる。確かに顔も性格も一番いいよね。でもねぇ~ノア様はね……」


 意味深いみしん口調くちょうで、別のメイドが語尾ごびにごす。「ああ……」と別のメイドからも、同意のような溜息ためいきまじりの声がれた。

 気になって、サラは再び耳をます。


「何なの? 教えて」


 リリーナと呼ばれたメイドがたずねると、先ほどのメイドは声をひそめた。


「知らないの? ノア様は奥様の御子おこじゃないの。《二の君》の子なのよ」


 サラは目をみはった。《二の君》とは、王族や貴族が正妻以外に持つ妾姫しょうきのことである。

 リリーナも驚いたらしく、息をむ音が聞こえてくる。


「だから、あの方がオズウェル公爵家を継いで領主になることは絶対ないってわけ。可哀想かわいそうだけどね。あんたも、あんまりノア様に肩入れしないほうがいいよ。奥様ににらまれちゃうから」


 心臓しんぞうがばくばく音を立てている。サラは息を殺し、気づかれないよう細心の注意を払って、その場をげ出した。



 それからというもの、サラのつとめる伝令所には、毎日手紙が届くようになった。それは配達人を介さず、領主の城から直接あの執事しつじが持ってくるのだった。


「もう、やめにしていただけませんか」


 三十日ほどそんな日が続いた頃、サラは執事に頼んだ。

 彼は目を丸くして尋ねた。


「我があるじからの手紙は、ご迷惑めいわくでしょうか」

「迷惑というか……」


 サラは、ノアから届く手紙の内容を思い出していた。


【サラへ よかったら、また屋敷やしきに遊びにおいでよ。待ってるね。 ノア】

【サラへ 今日は湖にりに行ったよ。魚を十匹も釣ったんだよ、すごいでしょ。サラは、お菓子かし以外の食べ物だと何が好きかな? ノア】

【サラへ 昨日きのうは雨だったけど、今朝けさ起きたら水滴で窓がきらきらしてて、空を見たら虹がかかってたよ。すっごく綺麗きれいだった。見てたら、ふと君のことを思い出したよ。 ノア】

【サラへ 仕事忙しいと思うけど、元気にしてる? 体に気をつけてね。 ノア】


 短い手紙は毎日、美しい字でしるされていた。便箋びんせん花模様はなもようだったり、薄い黄色だったり、石鹸せっけんの香りがした。上質な紙を使った封筒ふうとうには、オズウェル公爵家の紋章もんしょうきざまれていた。

 サラは全ての手紙に目を通していたが、一度も返事は書かなかった。


「あの、執事さん」

「ロッテンマイヤーとお呼びくださいませ」

「ロッテンマイヤーさん。私は平民です。貴族の方と親しくおつき合いできるような身分ではありません。それに毎日、仕事もありますから」

「また遊びにいらしてくださるのは難しい、と」


 うなずくと、ロッテンマイヤーはひとみくもらせた。


「そうですか……残念です。ノア様は、あなた様とまたお会いするのを心待ちにしていらっしゃるのですが」


 ずきりと胸が痛み、サラは目を伏せた。


 ――変な人……。私と会うのが、そんなに楽しみだなんて。


 ノアが身分を気にしていないのは理解できる。生まれながらに貴族で、周囲には身分が下の者しかいないのだから当然だろう。しかし、サラは違う。


 ――あの人は《伝令ヘルメス》という仕事に興味があるだけ。女の《伝令ヘルメス》はめずらしいし、《マナ》のこともあるし。私自身に興味があるわけじゃない。


 気軽に話したり、毎日手紙を送り合える友達。そんな相手が欲しくないと言えばうそになる。けれど――やっぱり怖い。


 ――実の親sでさえ子どもを裏切るのよ。ましてや他人なんて……。


「それでは、私はこれで失礼いたします」


 ロッテンマイヤーが背中を向け、サラは「あ……」と思わず手を宙に浮かせる。


 ――誰かから、あんなふうに手紙をもらうのは、初めてだったの。

 ――本当は……うれしかった。


 正直言って、毎日よく続いたと思う。話題を見つけるのは大変だし、たとえ短い文章でも、考えて書いて送るには手間がかかる。それだけの労力をいてくれるのは、面映おもはゆくもあった。そしていつしか、心のどこかで毎日届く手紙が楽しみになっていた。

 お礼を伝えたいと思うのに、うまく言葉が出てこない。

 その瞬間しゅんかん、事務所のとびらが開き、巨大な影が立ちふさがった。ロッテンマイヤーはぎょっとした様子で立ち止まる。


「あなたは……」

「お父さん!」


 サラは事務机から立ち上がり、義父ビル・エヴァンスの元へけ寄っていた。


「おかえりなさい、随分ずいぶんと遅かったのね」


 久しぶりに会えた喜びで、自然と表情がほころぶ。義父が仕事で王都アルマースにおもむいてから二月ふたつきあまり、何の連絡もなかったので心配していたのだ。

 ところが、父の様子はおかしかった。いつもなら快活かいかつな笑顔を見せ、腹にひびくような大声で「帰ったぞ!」と挨拶あいさつするはずが、うつろな目で立ちくしている。


「お父さん……?」


 どうしたのと尋ねかけたサラの目の前で、大木のような父の巨体がゆっくりとかたむき、どさりと床に倒れ伏した。

 サラは悲鳴を上げた。

 見ると、青い作業服を着た父の背中には焼けげた跡があり、右腕は血でまっている。


「すぐに医者を呼びましょう」


 ロッテンマイヤーの冷静な声に、放心状態だったサラははっとした。

 そこへ、悲鳴を聞きつけた母が「どうしたの?」と事務所に入ってきた。義父の姿を見るなり、その場にこおりつく。


「あ、あ、あなた……!!」


 サラは床にひざをつき、うつ伏せになった父の肩をすぶった。


「お父さん、しっかりして。今お医者さんが来るから。大丈夫だから」


 それは父のためではなく、自分のための言葉だった。

 ビルのまゆがぴくりと動く。


「サラ……」


 いつもの豪快ごうかいな声とは別人のような、弱々しい声が言った。

 父の太い指が宙をもどかしげに動き、自分の胸を掴む。その動作を何度もり返すので、サラは上着をがせてほしいのだと理解し、ステラと協力して服を脱がせようとした。


駄目だめ。ひどい火傷やけどだわ。服を脱がせたら皮膚ひふがれてしまう」


 ステラの目には涙がまっていたが、口調くちょうは冷静だった。


「早く……領主様……」


 うわごとのようにつぶやく父の言葉に、サラは耳を澄ました。


 ――もしかして。


 上着の内ポケットに手を入れると、くしゃくしゃに折りたたまれた書状があった。


「お父さんが言ってるのは、これのことかも」


 ステラは頷き、ビルにゆっくりと語りかける。


「あなた。この書状を、領主様にお届けすればいいのね?」


 ビルは何度も何度も頷き、ふるえる指でサラを指した。


「サラ……頼む」


 それを見ると、母は真剣な顔でサラに向き直った。


「行きなさい」

「でも……」


 手の中にある書状が熱い。心臓が早鐘はやがねを打っている。


 ――せめてお医者様が来るまでは、お父さんの傍にいたい。


 すると信じられないことに、それまで閉じていたビルの目がかっと開き、大きな手がサラの手をにぎりしめた。


「行け」


 強い瞳に射抜いぬかれ、サラはごくりとつばを飲んだ。


「……分かりました」


 立ち上がると、ステラと視線がまじわる。

 言葉はなかったが、サラは何もかも心得たように頷いた。


 ――誰よりも速く、確実に、この書状を領主様の元へ。

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