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 黒いワンピースに白いエプロンをつけた可愛かわいらしいメイドが、ロイヤルブルーのカップをテーブルに置く。カップにお湯がそそがれると、お茶の葉の中で薄紅色うすべにいろの花が開いた。


「花茶っていうんだよ」


 めずらしそうに見ているのが分かったのか、ノアは言った。


「南の領国《ジルコン》でよくれるお茶なんだってさ」


 飲んでみると、すっきりとした風味の後にさわやかな甘味が広がる。


「おいしい……」


 サラはカップに両手を添えたまま、思わずつぶやいていた。


「そう? 喜んでくれてよかった」


 ノアはにっこりとする。通された客間の天井てんじょうにはシャンデリアがかがやき、重厚じゅうこうなテーブルには光沢こうたくがあり、壁には金の額縁がくぶちに収められた風景画が飾られている。

 ノアがメイドにめいじると、どこからか魔法のようにお菓子かしが現れた。苺やラズベリーのケーキ、色とりどりの包み紙に入ったチョコレート、生クリームがたっぷりのったプリンに、焼きたてのクッキー、それに新鮮しんせん果物くだものがずらりと並ぶ。

 サラは驚きでむねがいっぱいだったが、ノアは特に喜ぶこともなく淡々たんたんとしている。彼にとって、この光景はごく当たり前のものなのだろう。


 ――信じられない。こんな暮らしがあるなんて。


昨日きのう、湖で会ったとき」


 ノアが口火を切ったので、サラは身構えた。


 ――来た。


 あの不思議ふしぎな力――《マナ》のことを聞かれるに違いない。


「あのときも仕事中だったんだよね?」

「え?」


 一瞬いっしゅん、何を聞かれたのか分からず、変な声が出た。


「いや、何か急いでたみたいだったからさ。邪魔じゃまして悪かったなって」

「え、ええ……。でも大丈夫です。無事に配達できましたから」

「そっか。よかった~」


 ノアは無邪気むじゃきに笑った。


 ――変な人。


 サラは内心、拍子抜ひょうしぬけしていた。どう誤魔化ごまかそうかと思っていた自分が馬鹿ばかみたいだ。


「俺、女の子の《伝令ヘルメス》さん見たの初めてでさ。ちゃんとかわいい制服もあるんだね」


 お世辞せじと分かっていても顔が熱くなる。居たたまれなくなって、サラは軽く座り直した。


「《伝令ヘルメス》をご存じなんですか?」

「そりゃ知ってるよ。そこまで箱入り息子むすこじゃないよ、俺」

「では、あのとき湖にいらしたのも、何かの用事で?」

「いや、あれは単なる気晴らし~」


 何とも脱力しそうな答えが返ってきて、サラは真面目まじめな表情を保つのに苦労した。


「食べなよ食べなよ」


 目の前の贅沢ぜいたくなお菓子の山を手ですすめられ、小さなチョコレートを口に放り込む。幸福な味が口の中でとろけた。


 ――ああ幸せ……。


 サラは黙ってぱくぱくとケーキやプリンを食べ始めた。その様子を、ノアは愉快ゆかいそうにながめている。


「そのかみは、帽子ぼうしに入れる決まりになってるの?」


 帽子を指さされ、サラは口をにごした。


規則きそくではありませんが……」


 この国では、茶色、黒色の髪の者が多い。灰色や、ノアのような金髪もしばしば見かける。が、白銀の髪は珍しい。とても目立つ。仕事の邪魔になってはいけないし、義父ビルからも髪をかくすように言われたので、なるべく帽子の中に入れるようにしているのだ。

 言いあぐねていると、ノアは身を乗り出して言った。


「ね、《伝令ヘルメス》のこと、もっと教えてよ」

「え?」


 聞き返すと、ノアは頬杖ほおづえをついてにこにこしている。


「興味あるんだよね。《送達士》と違って、依頼すればだれでも引き受けてくれるんでしょ?」

「はい。重量や距離によって値段は変わりますし、生ものや危険物は配達できませんが……書状であれば、大抵たいていの場所には届けられます」

「王都や他の領国にも?」

「はい。王都アルマースであれば、サフィラスから五日ほどでお届けできます」

「すごいね。じゃあ君も、いろんな場所を行き来してるんだ」

「いえ、私は主にサフィラス内を担当しています。伝令所はサフィラスで設立されたので、サフィラス内での利用が一番多いんです」


 あまりサフィラスを出たくない。そんなサラの気持ちを、義父ビルは理解してくれていた。


「手紙を出すときって、伝令所に持っていくんだよね?」

「はい。サフィラスには北と南に一つずつ、伝令所があります。そこに届けたい物を持ってきていただいて、料金をお支払いただく形になっております」

「取りに来てくれたら便利なのに。ほら、持って行けない人もいるしさ」


 痛いところを突かれて、思わず苦笑いが浮かぶ。


「……《伝令ヘルメス》は、慢性的まんせいてきに人手不足なんです。だから今は、配達物の引き取りに出向いたり、無人の収集箱を設置しても、配達が追いつかないだろうと父が申しておりました」


 ゆくゆくは、そういうサービスも始めたいという希望はある。だが、そもそも働き手は不足しているし、配達に不可欠な交通網こうつうもうの整備も不十分だ。特にサフィラスは周囲を深い森に囲まれていて、王都や他の領国との行き来が難しい。それに、瘴気しょうきという問題もあった。

 瘴気とは、人間の放つ憎悪ぞうお怨念おんねんといった負のエネルギーである。人間の目には見えず、においもない。

 通常、自然界に放たれた瘴気は、自然エネルギーである《マナ》によって自動的に浄化じょうかされている。ところが瘴気の量が多いと、浄化しきれなかった分は大地にまる。そして瘴気の溜まった土地に留まり続けると、人間は瘴気病というやまいにかかってしまう。

 自然が浄化しきれなかった分を人の手で浄化するには、《聖具せいぐ》に込められた《マナ》を使うしかない。そのため、王都と領国には教会があり、神官が《聖具》により瘴気の浄化を行っている。


「教会がある土地は浄化されていますが、教会から離れれば離れるほど瘴気が濃くなります。これだけ瘴気が満ちている今、王都や領国を自由に行き来できるのは、《聖具》を持つ《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》だけです」

「何で? 教会の神官だから?」

「いえ、瘴気は《マナ》でしか払えないからです。その《マナ》を使うには《聖具》が要ります。だから《聖具》を持つ《送達士》は、国内を安全に行き来することができるんです。教会から離れた場所を《聖具》なしに行き来するのはとても危険なので、やりたがる人はいません。伝令が人手不足なのは、そういう理由です」

「なるほど……。なら、《伝令ヘルメス》も《聖具》を持てればいいのにね」


 あっさりと言ったノアに、サラは仰天ぎょうてんした。


「……《伝令ヘルメス》が世間でどのような評判か、ご存じなんですか?」


 ノアは首を振った。サラは溜息ためいきをつき、こぼれてきた前髪をかき上げた。


「教会の《文書送達士》は、神官です。神官は王族に次ぐ高い身分です。《伝令ヘルメス》はそうではありません。ノア様がご興味を持ってくださるのは光栄ですが」

「ノアでいいのに」

「いえ、自分の立場はわきまえています。世間では《伝令ヘルメス》は《送達士》より下に位置づけられています。確かに私たちの配達は《送達士》より時間がかかりますし、王族や貴族の重要な機密を運ぶわけでもないですから」

「でも、君はそうは思ってない。でしょ?」


 じっと目をのぞき込まれて、心臓が高鳴った。

 窓からす光をかして、ノアの瞳は黄色がかった明るいオリーブ色にかがやいている。一瞬いっしゅん、時が止まったような、不思議ふしぎな感覚があった。


「……な……にが……言いたいんですか」


 かすれた声で問うと、ノアは静かに答えた。


「君は仕事熱心だし、《伝令ヘルメス》の仕事に誇りを持ってるみたいだ。でも、《伝令ヘルメス》をしている本当の理由は別にあるような気がして」


 ――何で分かるの?


伝令ヘルメス》の仕事など何も知らないはずなのに。働いたこともない貴族のおっちゃんなのに。

 すると、ちょうど計ったようなタイミングで壁時計が時を告げた。外を見ると、西の空が黄昏たそがれている。


「私、そろそろおいとまします」


 サラはあわてて立ち上がる。


「ゆっくりしていけばいいのに」


 と言いつつも、ノアは今度は強く引き留めなかった。

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