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 ――あれから、もう五年か。


 伝令所で配達物の仕分けをしながら、サラは目を伏せた。

 伝令所は《伝令ヘルメス》のための事務所兼中継所けんちゅうけいじょである。《伝令ヘルメス》に運んでほしいものがある人はここで依頼をし、《伝令》たちは仕事を割り振られてアルビオン王国の各地に飛んでいく。現在、伝令所は王都と四つの領国に置かれており、サフィラスの伝令所にはサラも含めて十五名の《伝令ヘルメス》が所属していた。

 所長はもちろんビル・エヴァンスだが、一ヶ月ほど前から仕事で王都に出向いている。


 ――いやなこと思い出しちゃった。


 理由は分かっている。昨日久しぶりに《マナ》を使ったことと、温かい家庭にれたためだ。あの日以来、必死で感情を殺して生きてきた。もう二度と、《マナ》の力を暴走ぼうそうさせたくなかったから。でも昨日きのうは、どうしても目の前の命を助けたかった。

 レオンの病気は少しでもよくなっているだろうか。父親のジュードも、無事に家に帰りついていればいいのだが……。

 そんなことを考えていると、だれかが入口のとびらをノックした。


「はい」


 と返事しつつも、サラは内心首をひねっていた。貴族や神官は《伝令ヘルメス》を使わない。ゆえに伝令所にやってくる客は平民がほとんどだが、彼らはわざわざ扉をノックしたりしなかった。


「失礼いたします」


 入ってきた紳士しんしを見て、サラは目をみはった。初老の男性だ。シルクハットに白いひげおだやかな目つきをしている。独特の黒いスーツ姿から、執事しつじと思われた。


「サラ・エヴァンス殿ですね」


 執事はにこやかにたずねた。サラは大きくまばたきをする。


「はあ。そうですが……」

「あなたに、届けていただきたい手紙があるのです」

「配達ですか? サフィラス内であれば――」


 壁に張られた料金表と時計に目をやったサラに、「いえ」と執事は口をはさんだ。


「できれば今すぐにお願いしたいのです。そう遠く離れた場所ではありませんので」


 サラはまゆを寄せた。


「手紙を見せていただけますか?」

「もちろん」


 執事は答えると、丁重ていちょうな手つきでそれを差し出した。白い封筒ふうとうは、上質な紙でできているという以外、何の変哲へんてつもない。


【ウィンストン区一の一 サフィラス城 ノア・オズウェル様】


 宛名あてなを見て、サラは怪訝けげんな顔をした。


 ――だれ


 知り合いではない。これはサフィラスの領主が住む城の住所だ。そんなところに知り合いがいるはずがない。

 手紙から目を上げると、執事と目が合った。


「特別な速達ですから、追加料金をお支払いいたします」

「いえ、そういう問題ではありません。伝令所では、配達人の指名はお受けしておりません。また、特別速達といっても、発送時間帯は決まっております。私が今すぐ事務所を離れるわけにはまいりません」


 執事は柔和にゅうわ微笑ほほえみに、一滴だけ困ったような表情をブレンドした。


「おっしゃることはごもっともです、サラじょう。しかしながら、この手紙は特に重要なものでございまして。今回だけは特例ということで、お引き受け願えませんか」

「申し訳ございませんが、致しかねます」


 きっぱりとサラは断った。

伝令ヘルメス》は、父ビル・エヴァンスが身分を問わない公平な情報機関として創設したものだ。誰かを特別扱いしては、貴族や神官の依頼のみ引き受ける《文書送達士ロイヤル・メッセンジャー》と同じになってしまう。直接そう教えられたわけではないが、父の信念をサラは感じ取っていた。


「まあ、サラったら。そんな怖い顔してないで行っておあげなさいな」


 やんわりとした声がして、事務所の奥から現れたのは義母ステラだった。質素なワンピースに身を包んでいるが、茶色の髪は美しく、明るくんだひとみは若々しい。


「お母さん……」


 ステラは、サラの肩に手を置いて言った。


「お父さんは留守だけど、きっと同じ考えだと思うわ。届けてほしいものがあるなら届ける。それが《伝令ヘルメス》のお仕事よ。そうでしょう?」


 ステラはにこっと笑う。


 ――確かに、お母さんの言うとおりかも。


 昨日だって仕事ではなかったけれど、サラは男性からの依頼を引き受けた。なのに、裕福そうだからといって執事の依頼を引き受けないというのは、少々意地悪いじわるな気もする。


「事務所のことはお母さんに任せて。もうすぐ、みんな配達から帰ってくる頃だし」


 そうステラはけ合い、サラはうなずいた。


「では、引き受けていただけますか」

「はい」

「おお、ありがたい。本当にありがとうございます」


 執事は顔をくしゃりとさせて満面の笑みを見せる。それを見て、サラはほっとした。


 ――困らせるようなこと言って、悪かったな。


 通常の倍以上の料金をあっさり支払うと、執事は事務所を出ていった。

 さっそく配達に行こうと、サラは手紙を制服の内ポケットにしまう。


「いってきます」

「気をつけてね、サラ」


 義母に名を呼ばれた瞬間しゅんかん、先ほどまで忘れていた疑問が浮かび上がった。


 ――そういえば……何であの人、私の名前を知ってたんだろう?



 サフィラスの中心には大きな美しい湖があり、『青き宝石ブルージュエル』と称えられている。ほとりにはまつりごとを行う政庁や、教会や学校、商店などが集まっている。領主の屋敷やしきも湖に面した場所にあった。


「すごい……」


 門の前で立ち止まったサラの口から、思わず感嘆かんたん吐息といきれた。

 荘厳そうごん白亜はくあの城。幾重いくえにもつらなる塔の直線と、窓やバルコニーの曲線が、絶妙なバランスを保っている。庭園には花が咲き乱れ、湖から引かれた透明な水がせせらぎをかなでていた。

 門衛に配達のむねを伝えると、すぐに城の中へ通される。エントランスは天井てんじょうが高く、大理石の床はみがき上げられ、水の女神をかたどった石像が飾られている。ゆるやかな螺旋らせん階段には赤絨毯あかじゅうたんかれており、そこを降りてきたのは紺色こんいろ「の服に身を包んだ、一目で貴族と分かる少年だった。


「こんにちは、サラ」

「あなたは……」


 太陽を思わせる黄金色の髪に、オリーブ色のひとみ悪戯いらずらっぽい光をたたえている。昨日、湖を渡っているときに出くわした少年に間違いなかった。


「来てくれてよかった。俺はノア・オズウェル。よろしくね」


 ノアはにこやかに言うと、なかば強引にサラの手を取ってにぎりしめた。サラは目を白黒させて、何とか事態をみ込もうとする。


「あなたがノア……様? では、お手紙は」

「ノアでいいよ。いや~ごめんね、どうしても君にもう一度会いたくってさ」


 サラから手紙を受け取ると、ノアは右手の指でそれをはさみ、左右に振ってみせる。


 ――だまされた。


 手紙は単なる口実こうじつで、サラをこの屋敷に呼び寄せるためのものだったのだ。

 オズウェル公爵家は、代々この西の領国《サフィラス》の領主をつとめる家柄だ。現領主はエリシャ・オズウェル公で、ノアはその息子むすこということらしかった。


「立ち話も何だから、俺の部屋に寄ってってよ。ちょうどお茶の時間だし」

「いえ、結構けっこうです」


 腹が立って、サラはぴしゃりと言い放った。


「仕事がありますので、私はこれで失礼します」

「ああ~待って」


 歩き出したサラの腕をノアがつかむ。もみ合っているところで、声がひびいた。


「そこで何をしているのです」


 心臓しんぞうこおりつくような、ややかな声だった。

 振り向くと、黒髪をきっちりとい上げた、理知的な表情の女性が立っていた。こげ茶色のドレスがよく似合っているが、美しいというよりは厳格な印象いんしょうを受ける。


「客人を家にまねいただけです。いけませんか? 母上」


 ノアは歌うような口調くちょうで言ったが、目は笑っていなかった。

 母と呼ばれた女性は、じろりとサラを見た。値踏ねぶみという言葉が相応ふさわしい目つきだった。深緑色の制服と帽子ぼうし、赤いかばん。《伝令ヘルメス》であることを見て取ると、その眼光がするどくなる。


「いつも言っているでしょう。オズウェル家の者として、相応しい振る舞いをなさいと」


 その言葉には、たっぷりと皮肉が込められていた。《伝令ヘルメス》などと関わりを持つなと、ノアの母は言いたいのだろう。

 サラが不愉快ふゆかいさをこらえていると、彼女は廊下ろうかすべるように歩き、姿を消した。


「ごめん、あの人いつもああなんだ。気にしないで」


 ノアは軽く言ってのけると、「こっちこっち」と笑顔でサラを手招きする。サラは躊躇ためらったが、馬鹿ばかにされたまま大人しく帰るのも嫌で、「では、少しだけ」とノアの後についていった。

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