1-3



 そして、あの日がやってきた。十二歳の誕生日たんじょうびおそろしいあらしの夜だった。


「サラ。出かけるよ」


 普段ふだんめったに口を開かない父が、やけに明るい調子で言った。


「どこに行くの?」


 とサラはたずねたが、父は上機嫌じょうきげんで服を着替えている。


「ほら、お前も服を着替えなさい」


 と言われたが、サラはまともな服を持っていない。それどころか、その日の食事にすら事欠く生活だった。


「お父さん。本当にどこ行くの?」


 前が見えないほどの土砂降どしゃぶりの雨に、雷が鳴っている。こんな夜に、一体どこに行くというのだろう。


「仕方ないな。じゃあせめて、そのかみをとかしなさい」


 頭に手を置かれて、サラはびくっとした。降り積もった雪のような、白銀の髪。近所でも町に行ってもめずらしくて、じろじろ見られる髪の色が、サラはあまり好きではなかった。

 ブラシで髪をとかしていると、家の前に何かがやってくる音がした。車輪の音、馬の足音。そっと窓をのぞいてみると、立派な馬車が一台停まっていた。真紅の制服を着た馭者ぎょしゃもいる。


「早く来なさい」


 びっくりしているサラの手を強く引いて、父は馬車に乗り込む。中にはランプがともっていて明るく温かく、椅子いすはふかふかだった。

 すぐに馬車は走り出し、職人街を抜けてゆく。どうやら繁華街はんかがいや貴族街のほうに向かっているらしい。

 ますますわけが分からなくて、サラは父の顔を見つめた。


「お父さん。私、今日、誕生日なんだよ」


 父は一瞬いっしゅん、切ない表情をしたが、みを浮かべて言った。


「ああ、知ってるよ。だからお父さんは、サラにプレゼントがしたいんだ」


 とても変な感じだった。久しぶりに父が笑っているのに、ちっとも喜ぶ気分になれない。


 ――お父さんは、私の誕生日なんて忘れてたんじゃないのかな。

 ――私はただ、「おめでとう」って言ってほしいだけなのにな……。


 馬車は規則正しい振動しんどうを伝えていたが、しばらくすると動きが遅くなり、停まってしまった。


「着いたの?」


 サラはとびらを開けようとしたが、父に「やめなさい」と手で制される。


「多分、道に車輪がめり込んだんだろう。随分ずいぶんとぬかるんでいるからね。お父さんが馭者と話してくるから、サラは中で待っているんだよ。雨にれて、風邪かぜを引くといけないからね」


 念を押してから、父は扉を開けて馬車を降り、運転台のほうへ向かった。

 激しい雨はむことを知らず、風はうなり声を上げている。


 ――何だろう。むねがざわざわする。


《マナ》だ。《マナ》が何かを伝えようとしている。

 おさない頃から、サラは風の音を聞き、雨の気配を感じ、土にれて力を得ることができた。ある時、それが《マナ》というエネルギーで、神官しかあつかえないことを知った。

 サラがうれしいとき、悲しいとき、怒ったとき。感情が高まると、不思議ふしぎなことが起こった。《マナ》を使うと父や母が気味悪がるので、サラは感情をおさえるようになった。

 それが今、雨のにおいに混じって、確かに自分に語りかけている。かすかな声に耳をましていると、なぜか馬車の中から聞こえるはずのない父と馭者の会話が聞こえてきた。


「早く貴族様の屋敷やしきに行ってくれ。こっちは急いでるんだ」

「しかし、こうも悪路あくろでは、これ以上馬車で進むのは危険です。今日はあきらめて、明日改めて伺うことに」

駄目だめだ、それじゃ約束を破ることになる! この子を必ず今日中に屋敷に届けるんだ」


 サラは息をんだ。

 貴族。約束。屋敷。

 あらゆる単語が、たった一つの容赦ようしゃない真実を照らし出す。


 ――お父さんは、私を……。


 言い争う声が激しくなってきた。サラはかぶりを振って、耳をふさぐ。


「やめて……」


 目から涙があふれた。熱い感情がマグマのように込み上げてくる。


「もういい! 俺が馬車を動かす!」


 むちの音、馬がいななく声、運転台から転がり落ちた馭者の叫び声。


「もうやめて!!!」


 何かが爆発ばくはつするような物すごい衝撃しょうげきが起こり、サラは地面に降り立っていた。

 先ほどまで乗っていた馬車は木端微塵こっぱみじんくだけ、馬たちはくつわから解き放たれて走り出す。道のはしには、馭者が口から血を流して倒れていた。

 雨の音が耳に痛い。火箸ひばしを押しつけられたように、胸がひりひりする。


「サ……サラ……」


 父はこしを抜かして、泥の上に座り込んでいた。馬車の破片はへんが刺さったのか、太腿ふとももから血を流している。顔面蒼白そうはくで、あごはがくがくふるえている。

 自分の両手があわく光っている。漆黒しっこくやみの中、そこだけが白く切り取られたように明るい。

 サラは、自分が《マナ》を使ってしまったことをさとった。


「お父さんは私を売ったのね」


 その言葉を口にしただけで、父の体は浮き上がったかと思うと、勢いよくへいたたきつけられた。ぐはっ、とにぶいうめき声が上がる。


「そうなのね?」

「違う!」


 父は首を振って叫んだ。


「サラ、何も説明しなかったのは悪かった。でも、これは」

「聞きたくない!!」


 サラが首を振ると、馬車の破片が父の元へ飛んでいく。父は「ひっ」と悲鳴を上げて身を伏せると、両手で頭をおおった。


「お母さんは私を捨てた。お父さんは私を売った。私はあなたたちを絶対に許さない」


 少し指先を上げるだけで、父を殺せることは分かっていた。声をかけられるのがもう少し遅ければ、そうしていただろう。


「おい、大丈夫か」


 その声に、サラは我に返った。《マナ》の力が消え、発光していた体は元に戻る。

 そこにいたのは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしたたくましい男性だった。短い黒髪に、青い作業着を着ている。馬車とは違うが、小さな荷車のようなものを馬に引かせていた。


「あ……」


 サラはようやく、目の前の惨憺さんたんたる光景に気づいて立ちすくんだ。


「私……わたし……」

 ――お父さんを殺そうとした。


 怒りに我を忘れ、《マナ》の力を暴走させてしまった。

 父は傷から血を流し、小さくなってぶるぶる震えている。馭者は気絶し、馬車は粉々になっている。その姿を見ていると、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔こうかいが押し寄せてきた。


「おじょうちゃん」


 作業着の男性に両肩をつかまれ、サラは反射的はんしゃてきねけようとした。

 だが、男性は力強くサラの肩を掴んだまま、サラの目を見つめてり返した。


「安心しろ。今助けを呼んだからな。怪我はないか?」


 サラは首を振り、男性の服のすそつかんでうったえた。


「助けて」

 ――もう、ここにはいられない。


 家には帰れない。このままでは父や他の誰かを傷つけ、何もかもをこわしてしまう。


「お願い。私をここからがして……!」


 こうしてサラは、その日のうちに男性に連れられて王都アルマースを後にし、西の領国サフィラスへやってきた。

 男性は《伝令所オフィス・オブ・ヘルメス》の所長でビル・エヴァンスといい、妻はステラといった。二人の間に子どもはなく、事情を聞くと、サラを養子にしてくれた。

 こうしてサラは、《伝令ヘルメス》サラ・エヴァンスとなったのだった。

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