「お嬢さん」との邂逅

「えっ? あれっ?? もしかして、あなたも?」

「そう」


 俺を見て目を丸くした「お嬢さん」に、俺は肩をすくめてみせた。

 その時、彼女の背後で自動扉が閉まり、ガタンと音を立てて電車は駅から滑り出す。


「えっ、嘘、だっていつも」

「嘘だったら俺、ここにいないと思うけど」


 俺を目の前にして、嘘もなにもないだろうに。つくづく変な「お嬢さん」だ。


「あっ、そっか」


 しかし、この様子だと、彼女も俺の存在と顔くらいは覚えてくれているみたいだ。

 良かったと胸を撫で下ろすべきか。なにしろ、駆け込み乗車の女性に突然声をかけたのだから、顔見知りでなかったらただの変な奴になっていたところだ。


「えっ、でも、えっ!? ええっ!?」


 彼女は一人で百面相。あろう事か頭を抱えてしまった。

 黒髪ロングでおとなしめの外見から勝手に「お嬢さん」とニックネームをつけていたが、意外にもオーバーリアクションとかするんだなぁ。

 なんか、目を白黒させている姿がちょっとかわいい。


「すごい偶然!! すごい!!」


 ぱっと顔を上げた彼女の顔は、すでに笑顔だ。

 うわっ、なんか、反則技とかだと思うんだけど、それ。


 おとなしめだと勝手に思っていたのに、悩む時も笑う時も百パーセントかというほどのリアクション。

 いかん、勝手な思い込みが強かった分、新鮮すぎる。


「こんなことってあるんですね!」






 それは、ほんの1時間ほど前。

 俺は携帯電話の鳴る音で目が覚めた。

 寝ぼけ眼で出ると、向こう側からは高野くんおはよう、という同僚の声。

 おはよう、と返した俺にその同僚は一気に冷水を浴びせて来た。


 時計見た方がいいわよ。


 絶句だった。

 時計は既に9時を回っている。

 会社の就業時間は9時〜18時だ。

 完全なる遅刻。


 急な腹痛でトイレから出れなかったって言っておくから。どうする、休む?


 寝坊で欠勤だなんて。それはいくらなんでも俺のプライドが許さない。もちろん、同僚が腹痛だと言っておくと言ってくれてる以上、休んでしまうのもアリだとは思うが、なによりかばってくれるらしい同僚が働いてるのに寝坊の自分が休みとは申し訳なさすぎる。


 行く、すぐ行く!駅についたら俺からも部長に電話入れるから、すまないが腹痛だと言っててくれ。

 急いでそう頼み電話を切る。


 社会人3年目にして初遅刻。これは褒められるべきなのだろうか?よくわからないが、この際、寝坊してしまったものは仕方がない。とりあえず最大限急ぐだけだ。

 大急ぎで最低限の用意だけして家を出たのはその15分後。


 ちらっと頭をよぎったのは、今日はおもしろ人材の「お嬢さん」が見れなくてつまらないな、ということ。

 それも、駅へと向かう道の途中ですぐに忘れ去ってしまったのだが。


 乗り換えの駅で目を疑った。


 電車の扉が閉まる寸前、飛び込んで来たのは名も知らぬ、けれどその存在は毎朝確認している、あの「お嬢さん」だった。


 毎朝、同じ時間の同じ電車、さらに同じ車両に乗る女性。

 いつも扉の側に立ち、音楽を聴きながら外を眺めてるか読書をしている。そして、乗り込んだ駅から4駅目で降りて行く。


 電車通勤は毎日のこと。少し車内を見渡せば、毎朝見かける人というものは必ず数人はいる。彼女もそんな中の一人だった。ただ少し他の人と違うところはと言えば、自分が少なからず彼女に興味を持っていることだろう。

 この際、下心は脇に避けておいて、それをしたとしても余る興味。

 それは、彼女自身についてだった。


 いつもナチュラルメイクで大人しいお嬢さん風。

 そんな彼女がいつも、同じ時間の同じ電車の同じ車両に乗っているのは知っていた。

 彼女はいつも、俺が乗り換えをする駅から乗ってくる。乗り換えで普通電車から降り、快速電車を待っていると彼女はやってきて、俺のならぶ列に自分も並ぶ。

 電車に乗れば、たいていは扉の近く。そして、自分もそう。扉の左右は俺と彼女の指定席になっている。


 最初は気にも停めていなかった。ある日、いつものように扉の脇に立ったまま読書をしていた彼女が、電車を降りようとした時に見えた本は、夏目漱石の「夢十夜」。


 外見に違わず真面目そうだ、と納得した。今時夏目漱石だなんて。よっぽど育ちのいいお嬢さんなんだろう。そんな反感めいた気持ちが一瞬胸をよぎったのは、幼少の頃からお金の心配ばかりして暮らして来たせいだろう。父親の有り余るチャレンジ精神のおかげで、家計はいつも火の車。


 苦労なんかしたことないんだろうな。そう思ったのだ。

 しかし、それも一瞬のこと。すぐに忘れて、翌日。

 本が代わっていた。幸い、ブックカバーはつけない主義らしい。

 今日はどんな育ちのいい本を読んでいるのだろうと野次馬根性を出したのが始まり。

 その手の中にあったのは「戦闘機のすべて」。


(は???)


 目を疑うとはこういうことなのだ、きっと。

 お嬢さん、一体なにを読んでいるんデスカ。

 軽くパニックになったのは言うまでもない。

 こうして、たった4駅乗り合わせるだけのお嬢さんに興味を抱いたのだ。


 その後も、突飛な本をたまに読んでいるし、こないだちらっと見えた携帯音楽プレイヤーのディスプレイには、団塊野世代のおじさんたちから最近の若者にまで幅広く人気のある、世界的に有名なロック歌手の名前。


 お嬢さんが聴く音楽とは思えない!


 しかし、その次に見えた曲はクラシックだったりしたから余計に訳がわからなかった。

 お嬢さんなのか、庶民なのか。

 自然、毎朝彼女に注目してしまうようになってしまったのだ。




 その彼女は、息を切らして俺の目の前で背を折っている。

 こんなことってあるのか。


 まだ肩で息をしている「お嬢さん」の姿に俺の口元が緩む。いつものお嬢さん風の姿からは想像できないほど息を切らしている所をみると、おそらく相当走ったのだろう。

 自然と笑いがこみ上げ、勝手に口が動く。


「今日は、遅刻しちゃいましたね」




 The END

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