(2)

 いつものようにおしゃべりをしながら、歩みを進めるが、状況が状況なだけに今はどうしても重い空気にならざるを得ない。

「部長さんたちも葛飾くんの実家に……?」

「ああ、みんなが小、中学生の時から、よく世話をしてくれた人らしい。時田機動も大変な騒ぎになってるみたいだ」


 会社の創設時からの中核メンバーであったようで、真人の父とは長年の盟友らしいことを知ったばかりである。数年前までは知瀬支社を取り仕切っていたが、高齢ということもあり現在は故郷である仙台に隠棲して、静かに研究に打ち込んでいたようだ。


「クラブはどうするの? 穂高一人じゃ……」

「うん……レックスは動かせないけど、バーチャルトレーニングなら一人でもできる。俺なんかが、勝手に進めても無駄骨になっちゃうかもしれないけど……」

 奏が立ち止まった。


「今日は、お休みにできない? その、気分転換でも……」

 キド研に特に決まった休みはないが、土日は休むことが多い。後は各自の判断である。これは工作系、文化系のクラブ全般に共通している。

「……そうだね、今日はやめとく」

 既にノルマと課していた分は昨日のうちに終えてある。真人たちも穂高一人になにかをやらせようなどとは思っていないだろう。だが、


「……」

 友人の親の危篤、かもしれない状況で彼女とどこかに遊びに行くというのにはどこか罪悪感を感じてしまう。

「穂高……」奏の目が憂いの色彩を強めた。

「だ、大丈夫……! スポーツ館でなにかやろう。杉岡たちも来るかな?」

「うん、来てくれると思う」

 スポーツ館、二階のレクリエーションフロアでも行くか。カラオケとかそういう気分じゃないし……。


 スポーツ館、とは銘打っているが実際は生徒の娯楽施設である。一階に水泳場があり二階はテーブルスポーツ用の設備が多く卓球やダーツなどが楽しめるレクリエーション施設であり、穂高もたまにキド研の仲間と遊びに行くことがあった。

 奏たちとは始めていくか……。

 また部員たちの顔が思い浮かび心苦しい気分になってきたところ、


 自転車のハンドルを持っている手に奏がそっと触れてくれた。

「ありがとう、奏……」

 冷えた指先に伝わる感触が温かく心地よかった。

 奏はいつだって俺にやさしい……。そうだ……。

 なんとなく距離感ができたなどと、疑義を抱いた自分を叱りつけた。


 正門を抜けてから、いつものように自転車をロックする。道行く生徒たちは季節外れの寒風に体を震わせており、足早に校舎へと入っていった。

「寒くなってきたから気をつけて」

「うん」

「あの、私、別に毎日あそこで待合せなくても平気だから、穂高も無理に自転車通学続けなくても……」

「大丈夫、難しい時はちゃんと伝えるから」

「おはようございます」


「……!」

 ぎょっとした。

「あ、ああ、おはよう……」背後にいたミドルロングでウェーブがかかった髪の少女は、

「おはよう、結実」であった。

 相変わらず、気配を察知しにくい娘だな……。


「フフ、今日はちょっと冷えますね」

「そ、そうだね……」

「……? 山家さん、どうかしました?」

「え?」

「お加減がすぐれないようですが……?」

 わずかにたじろぐ。


「結実、穂高は今……」

「おはよー!」

「ふぐ!」

 背後からもろに体当たりをくらってのけぞった。

「なに突っ立ってんの?」相変わらず、小憎らしい声である。

「ああ、千緒、おはよう」気にもしない奏がちょっと悲しい。


「……やあ、おはよう、杉岡さん」

 嫌味を込めて丁寧に挨拶。朝の道端で喧嘩をする気はない。千緒も丁寧にあっかんべーで返してくれた。

 四人で分かれ道までやって来た。

「それじゃ、お昼に三号館の食堂で……。今日は二人も来てよ」

「はい、お邪魔でなければ」柔和な笑みの結実。

「まあ、そこまで言うなら行ってあげてもいいけど」不遜に見下してくる千緒。

「二人には…?」

「お昼に俺から話すよ」朝っぱらから気の沈む話題は提供したくない。

 そこで予鈴が鳴った。手振りで一時の別れを告げて、各々の教室へと向かった。



 一、二限を終えた所で、昌貴からメッセージが来た。斎の父は依然、意識が戻らないようで昌貴と芳子もすぐそばで斎の手伝いをしているとのこと。真人は、仙台支社にある斎の実家が経営するシンクタンクで臨時に指揮を執っている。倒れたという葛飾北斗が主導していたなにかの新計画が進んでいたのだろう。

 俺には、話せないことだったのかもな……。

 そう思うと寂寥感に襲われそうになるが、仕方のないことである。穂高は、たかだか同じクラブのメンバーというだけの人間に過ぎない。行ったところでなにもできないだろうし、させてももらえないだろう。


 三、四限は一年生必修の近現代史だった。一応この学校は旧時代以来の四十五分で一単元としていたが、大学の要素を強く持つため、一つの授業で二単元を構成するものがほとんどである。

 出られなかった三人のためにも集中して講師の話に聞き入り、Eノートに記録していく。


「ベルリンの壁の崩壊、続くマルタ会談、ソビエト連邦の崩壊により東西冷戦は一応の終結をみました。しかし、潜在的な対立構造にはその後も大きな変化はなく、冷戦期に大量に作られた核兵器の削減もスムーズには進まず……」

 大教室な上に人数が多いと講師の目も届きにくい。そうなると、不真面目組がさえずりを始める。


 こういう時は周りのおしゃべりが耳障りで仕方ないが、口には出さない。中学時代、他人と壁を作ってしまったことの反省として、無駄に敵を作るような真似はしないことを学校生活での処世術として覚えている。


「新たに力をつけた第三国の台頭もあり、世界は再び西と東でにらみあう、新冷戦もしくは第二次冷戦とでもいう状況が今日まで継続しているわけです」

 まだ基礎的な内容で中学時代のおさらいにすぎない。来週からはもっと精細な部分を取り扱っていくことになる。

「みなさんは、どちらが正しい、間違っているという視野狭窄的な見方はせず、多様な視点をもって今、という時代を見つめてほしいと思っています。日本は西側に組していると思いがちですが、東側諸国とも交易は旺盛に行われています、文化交流も活発です」

 もっともらしい模範的な意見だった。


「一方で、2020年代より、画期的な試みを始めたある計画がありました。どこの国の領土でもない大西洋の大海の上に、新たな国を創ろうとするものです。当然、みなさん知っているでしょうが、それこそが大西洋都市国です。アトランティックシティステイトの略称、ACSで有名ですね。今でも海上の国土拡張を続けており、知瀬市のモデルになった国でもあります」

 え……?

 手が止まった。頭が急激に冴えてくる。

 えいしいえす……?

 なにかの記憶の断片が鮮烈に浮かび上がってくる。しかし、それがなんであるかは、はっきり見えてこない。


「欧米の工学者グループが提唱した海上都市国家プランがベースにあり、ここは既存の国家の支配を受けず、移住者だけ運営する新時代の国家としての理想を掲げ、世界中あらゆる国から大志ある人々が移住しました。今では、世界でもトップクラスの技術立国としてあらゆる科学分野で名を馳せています。ここでは西も東もありません」


「……違う」

 ぼそりと呟いていた。

「え?」

 自分は今、なにを言ったのだろう。周りの人間が怪訝な視線を送ったので、慌てて視線をノートに戻した。


「ACSと知瀬は姉妹都市提携を結んでいます。この学校からも多くの学生が向こうの高校、大学に留学しています。中でも大西洋工科大学、AITなどとも呼ばれますが、ここは知瀬市の建設にも大きく関わった名門校です。ぜひ、みなさんも一度は赴いて知見を広めてみてください」

 そこでチャイムがなり講義は終わった。

 皆が退室していく中、穂高はEノート上に映された歴史の教科書を黙然と見つめていた。

 ACS、AIT……。

 なにかが引っかかる。それは、郷愁、のような念であった。

 なぜ……。こんなところ行ったことすらないのに……。


 知識でしか知らなかった国である。モヤモヤしたまま、視線をさまよわせていると、時計が目に入った。

「……そろそろ行かなきゃ」

 奏たちとの待ち合わせの時間が近づいている。思索はそこまでとして、ノートを鞄にしまって教室を出た。


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