(3)

 二号館のクラス専用のラウンジにあるロッカーに鞄をしまう。クラスのラウンジに赴くのはここを使う時くらいである。連絡通路から三号館へ向かう。途中で、RCを確認するがメッセージはなし。

 みんな、どうしてるかな……。

 なんとなしに視界に入れた窓の向こうは、灰色の空だった。

 エレベーターで最上階の食堂に向かう。やはりというか同乗者はみんなカップルだった。

 開かれると同時に、


「穂高、こっちこっち」

奏が手招きしてくれた。奥には結実と千緒もいる。自分が最後だったようだ。

「ああ、ごめん、遅れて」

 千緒がジト目で見てくる。

「なんだよ?」

「あんた……こんなとこで待たせるんじゃないよ」

「あ、ああ、わるい……」

 はしゃいで、一番先に来ていたのだろう。一人で待機するにはつらい場所であるかもしれない。


「すごいですねここ」

 結実はいつもと同じくニッコリしている。特に固くなっている様子もない。どうも彼女はこういう空間に慣れている気配がある。

 昨日と同じ、窓際の席に着いた。

 楽しく歓談しつつ、食事を終えてから、キド研の現状を伝えた。二人の表情にも陰が差す。


「心配ですね、葛飾くんたち……」

「ああ……」

「……あんたは行かなくてよかったの……?」

 結実が千緒を咎めるような目で見ると、千緒も気まずそうに眼を伏せた。

「俺は……残ることにした。誰か一人、学校にいた方がいいだろうし……」

 一度、呼吸を整える。

「それに、俺は入学以前のみんなのことをよく知らないんだ。その、斎のお父さん、という人にも会ったことがない」

 真人たち三人にとっても実親同然に大切な人なのだろう。


「そう……そうだよね。ごめん……」

「いや……」

 雰囲気が重くなる。奏がアイコンタクトを送ってくれた。あの事を切り出す。

「今日は、二人ともクラブは休みでしょ、なにか予定あるかな?」

「特にないけど……」と千緒が結実の方に首を向けると彼女も頷いた。

「ならスポーツ館の方で、ちょっと……息抜きでも」

 この状況で遊ぼうか、とは言いづらい気がした。

 二人とも承諾し、奏が紅茶を四人分入れてくれた。

「ありがとう、そういえば……」

「あむ?」千緒はちゃっかりデザートまで頼んでいたようで、プリンを口に運んでいる。


「今週末に出張試合に行くんだって?」

「遠征、大阪までね」

 千緒がどこか気に入らない、という態度でスプーンを置いた。

「昨日、向こうから連絡が来たばかりなの、だからみんな驚いちゃって」奏が席に着く。

「たぶんですけど、垣本キャプテンが市大会で優勝したから、お呼びがかかってのではないでしょうか」

「そう、すごいんだな垣本さんは……」

 垣本淳介、二年生でテニス部のキャプテン、人当たりがよくさわやか好青年であったことを思い出した。


「失礼よね、向こうから申し込んでこっちに来させるなんて、それもいきなりの申し出」

 不服そうに紅茶に口をつけながら細目になる千緒。

「奈都美先輩もちょっと怖い顔になってたね……」奏がためいきをつく。

 手が止まった。


 う……こっちまで怖くなってきた……。

 辻端奈都美、二年生のテニス部部員、奏たち後輩からは慕われているようだが、おかしな奇行をする癖があるようで穂高はどうにも彼女が苦手だった。二学期から新たに副部長に就任したと聞いている。

「それで、昨日も言ったけど向こうで一泊することになるんだけど……」

 奏が伏し目がちに穂高の様子をうかがう。彼氏が大変な状況になっているのに、遠出することを慮っているのだろう。土曜にリニアでも関西まで行って、二日連続の日程になるとのことで、日曜も午前までは試合らしい。遠征がてらみんなで現地で遊んだりもするだろう。。


「うん、楽しんできてよ」

 自分に遠慮する必要などないと目で伝えた。穂高もさすがに泊りこみの練習試合にまで着いていく気はない。

 土日は一緒に過ごせなくなるか……。まあ仕方ない。

「俺は学校でクラブの皆からの連絡待ちながら訓練してると思うから……」

 せめてあのマニューバだけでも完成させておくつもりである。昨日の調子なら一人でもできるかもしれないと密かな自信をつけていた。


「ぬふふ……」不敵に微笑む千緒。

「あんだよ……?」

「彼女が心配? 欲望渦巻く大都会で悪い虫が寄ってこないか……」

「はい、とっても」微笑みながら、うるせえ、と目に映した。

「私たちがついてますよー」

「へえ、私が心配なんだぁ?」

 たまに見せる意地悪笑顔、めずらしく奏が乗ってきた。


「い、いや、ハハ……」

「いい子にしてたらお土産買ってきてあげるね」

「ありがとうございます、奏さん」

 ようやく全員で笑うことができた。


「あ……」

「どうしたの?」

 先ほどの講義での話を思い出し、なんとなく聞いてみることにした。

「えっと、みんな……ACSって聞いたことある?」

「えーしーえすぅ?」千緒が舌足らずに復唱する。

「大西洋都市国ですよね?」結実が答えた。

「そう」

「私は教科書レベルでの話しかしらないけど……それがどうかしたの?」

「ああっと……いや、さっきの授業でちょっと聞いて、まあ、なんとなく気になったというか……」


「……兄が留学していました」

 結実がさらっと言った。

「え……?」彼女の方を向く。

「私、実家が祖父の代から薬品メーカーを経営していて、兄はAIT……ご存じだと思いますがそこの大学で二年間、薬学や化学、それに経営学を学んだそうです。実際は、コネクションを築くための留学でもあったそうですが」

「ああ、そうなんだ。……?」

 千緒が顔を伏せた。奏もなんとなく表情が固くなっていた。一方で結実は穏やかな笑みのままでいる。


 おそらく……。

 その結実の兄は故人、なのだろう。

「いや、ごめん変なこと聞いて……」

「いえ、すごく楽しかったとよく言ってましたよ。世界中から天才と呼ばれるような人たちがたくさん来ていて、いい刺激になったと。……ああ、聞いた話では時田さんのお父さんも一時期そこにいらっしゃったとか」

「え?」

さすがにそれは知らなかった。


「ほ、ほんと?」

「ええ、日本からの留学組の第一期生だったそうです。知瀬の開発にも若くして関与した方で、有名ですよ?」

 真人のすぐそばにいながら、そんなことすら知らなかった自分に呆れる。

 そこで時間が押していることに気づいた。そろそろ五限の教室に向かわないとまずいだろう。

「穂高、もう……」

「ああ、そろそろ出よう」

「山家さん、この話はまた今度……」

「え……? うん……」

 もうこの件はこれ以上詮索する気はなかったが、結実はなにか話したそうな態度に見えた。

 エレベーターで二階まで降りる。五限のあとに三号館北口で待ち合わせることにした。

「それじゃ、また放課後にね」

「うん」

 奏たちと別れて、次の教室に向かった。


 五限はどうも集中できず、講義中もペンを遊ばせながら、周囲の人間たちのことを改めて考えてしまう。

 奏たち三人、キド研の四人……。それぞれ、なにか友人であるという以上の絆のようなものがある気がする。

 それは付き合いの長さだけでは説明できないものであるように感じるのだ。


 俺の心は、奏と通じ合っている。そのことは疑っていないが……。

 それでも時折、なにか自分では届かない場所に彼女がいる時がある気がする。


 誰かの深奥にまで入り込みたいだなんて思ったことは今まで、一度もなかったのに……。

 彼女が生まれた経緯、学校の秘密、知瀬とACSのつながり、知りたいことが心の奥から噴出しては止まらなくなっていた。


 また俺は……。

 くだらない詮索をする自分を叱責したい気分になった。

 どうだっていい、そんなこと……。俺には、奏さえいれば……。

 目に力を込めて、電子板に視線を移した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る