(5)
「こんなところか……」
だいたいのバランスの取り方は今日だけで把握した。後は再現できるようにマニューバとして計算式にまとめる。
記録をこまめにつけていると、かなり暗くなってきたことに気づいた。時計に目をやると、十七時二十分前。奏はまだ来ない。
部活が長引いてるのか、メッセージだけ送っておくか、と思った時着信が来た。あわててRCを手に持ち、通話モードに切り替える。
「穂高、ごめん、今、大丈夫?」
「うん、遅くなりそうかな? こっちから迎えに行こうか?」
「それなんだけど……。さっき、今週の土曜に遠征に行くことになっちゃって」
「え、えんせい?」対外試合にでも赴くのだろう。
「うん、これからその話をみんなでするんだけど。結構長引きそうなの」
電話の向こうで、ガヤガヤと人の話し声が聞こえてくる。どうも予定になかったことらしいことがうかがえる。
「わかった、待ってるから」
「ううん、どれくらいで終わるかわからないから、穂高は先に帰っちゃって」
「え……でも」
「ごめんね、後でちゃんと連絡するから。それに自転車じゃ、日が暮れてからじゃ危ない気がして……」
「あ……うん、そうだね……」
UVで一緒に帰るつもりだったので、そういったことはあまり考えてなかった。だが、そのことを言うのも執着じみていてみっともない気がする。奏も、友人たちとおしゃべりしながら帰りたい時もあるだろう。
「それじゃあ……もう切って平気……?」
話し声が遠のいた。部長の垣本淳介が全員に呼びかける声がする。もう、すぐに始まるのだろう。
「大丈夫、家で連絡待ってる」
「うん、それじゃあ……」
一瞬、手の動作が遅れて同時には切れなかった。
帰るって……自分の家にだよな……?
当たり前のことに疑問を感じてしまった。
部室を出ると鍵を施錠する。相変わらず手間だが、近々、ここも生体認証にするらしい話を聞いた。一学期でのあの狂気めいた男の事件が影響したのだろう。
薄暗くなった部室棟を出て、鍵を帰すため、渡り廊下を通って三階の職員室まで赴く。
奏、もう平気なのか……?
歩きながら、彼女の声に張りが戻っていたことを思い出した。先週の周章狼狽ぶりはもうほとんど感じない。一過性のものだったとすれば、それに越したことはないのだろうが、どこか寂しさも感じてしまった。
正門からエントランスの間にある大路の横にある駐輪場で自転車にまたがり、学校を後にした。
一人で帰るのは久しぶりだな……。
夕闇の街が、光を放ち始めた。自分一人の心の動揺など気にもせずに都市は回り続ける。
寮の自室に戻った後も、落ち着かずいつ連絡が来てもいい様に部屋で待つことにした。電子パネルを開いて、夕食は仕出し弁当にしようか迷う。調理ロボットが勝手に作って、三階の共同スペースの部屋に接続してある輸送レーンを通じて、部屋まで送ってくれるので便利だが味の方は、あまりよろしくない。食堂まで行ったほうがマシなものが食べられるが、今は席を外せない。
連絡待ちのままぼんやりとニュースを眺めた。東欧の方で、国境沿いで衝突が起こり、双方、軍を出してにらみ合っていることが伝えられた。西側にある国は、多数の同盟国を頼んで結束しているが、東側の国は単体で挑んでいる。
あの国は相変わらず敵が多いみたいだな……。まあ、あれだけ国土が広くて国境が長ければ当然なのかもしれないけど……。
それでも数十年、見ようによっては百年以上いがみ合い続ける理由がなんなのか、まだ年若い穂高にはよくわからなかった。
そこでRCに連絡が来た。昌貴からだ。
斎の父親はまだ意識が戻らず、病院にいるという。斎もすでに到着してそばについている。真人たちも、仙台に向かう旨を聞かされた。穂高は四人が欠席している間の学校でのフォローを買って出ることを伝えた。
今、自分にできることはこれくらいか。斎にもメッセージを送っておこう。
斎からの返信はすぐにきた。感謝するとともにあまり心配しないでほしいとのことだった。
……やはり、少しくらい知っておいた方がいいか。
友人の家庭環境を詮索するようで嫌だったが、斎の実家の研究所のホームページにアクセスした。
斎の父、葛飾北斗、時田機動の系列の研究所であり、グループの持ち株会社の役員を務めたこともあり、真人の父と共に時田グループの頭脳の中心的役割を担ってきた人物らしい。
「え……?」
年齢を見て固まった。斎とは、親子というよりも祖父と孫と言っていいほどに年が離れている。
やはり斎も……。
高い能力を遺伝して生まれることを期待されて誕生した、造られた子供、なのかもしれない。
「ッ!」下品な詮索をしたと思い、右手を杭にして左手を叩いた。
窓を見るとすっかり日は落ちていた。奏のことが気になる。
さすがにもう帰ってると思うけど……。
自分から電話するのはどうも躊躇われる。逐一彼女の動向を知りたがっていると思われたくはない。
どうしたものか……。
と、思った矢先に着信が来た。
「奏……!」
間髪入れずに出た。
「穂高? こんばんは」
「あ、ああ、こんばんは。どうだった……?」
「うん、突然、向こうから申し出たことだったみたいで、ちょっと慌ただしかったけど、ちゃんとまとまったよ。今はもう自宅」
「う、うん……」誰かと遊んでいるわけではない、と言いたいのだろう。
「今週の土日に泊まり込みで大阪まで行くことになったの。それより今日はごめんね……」
「謝ることなんかないよ、帰ったばかりかな? 疲れてるなら、休んだ方がいいと思うけど……」
「ううん、ちょっとお話ししたい気分、穂高、夕ご飯はもう食べた?」
「いや、これからだけど」
「じゃあ、それが終わったらまたかけるね」
「俺の方からかけるよ、8時でいい?」
「うん、待ってるね」
そこで一旦通話を終えてお互い夕食の時間とした。
寮の食堂に着くと、日替わり定食を頼んだ。壁際の席に着く、ここはテーブルで待っていれば壁際のレーンに、回転ずしみたいに運んできてくれるので一人で食べる時は目立たない。
一人きりの食事か……。
以前はなんともなかったことだが、今はどこか空虚な感じがする。
以前の自分がおかしかったのか……? 食事というのは大切な人や友人たちとするもの……いやそれも刷り込みかもしれない。だが今は……。
そんなことを考えながら箸を動かした。この寮は工科生がほとんどであり、彼らの大半は人目を気にしないマイペースな人間性なので特に他人を好奇の目で見る者はいないが、どこか気になってしまった。
部屋に戻り、時刻になったのを確認してから、パソコンで映像通信の準備を整えてから、コールした。
奏も待っていたようで、今日の出来事を伝えることにした。
「そう……、葛飾くんのお父さんが……」
「うん……部長たちもついていてくれるけど、心配だな……」
「……穂高、クラブは穂高一人になっちゃうの?」
「当分はね……」
一人でもやるつもりだったが、やれることにはやはり限界があるだろう。
「明日は私、休みだから、千緒たちと一緒にそっちに行くね」
「ありがとう……」
どうも重苦しい空気をぬぐうことができない。友人の身内が大変なことになっているのに彼女と楽しくおしゃべりをしていては、と思ってしまう。こちらの心境を察した奏が、早めに休もうと呼びかけてくれたので応じることにした。
「また明日、いつもの場所でね……」
「うん、お休み、奏……」
「お休みなさい穂高……」
言い終わると同時に切った。
歯磨きをしてから、寝巻に着がえてベッドに横になる。
腕を額に乗せてぼんやりと今日のことを考えた。
父親か……斎は大事に思っているんだろうな。俺は……。
よくわからなかった。
まだ早いが消灯することにした。
「……」なかなか寝付けない。
掛け布団を引き寄せて、両手で抱くようにした。
信じられない……。
一人で寝るのを寂しいと感じている。奏の柔肌が恋しい、そんな自分を軟弱と思った。
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