(2)
「さあ、上がって」
奏が顔で歓迎の意をみせる。
「お、お邪魔します」
いよいよかと思ったが、なにがいよいよだというのかわからず思考が混乱する。
たどたどしい手つきで脱いだ靴を丁寧にそろえる。普段、寮の自室でこんなことはしない。
いざ足を踏み入れると、後ろの方でなにか噴射する音が聞こえた。靴を消毒消臭する仕組みと思い至った。奥に進むと大きなスペースがあった。LDKだったがやたら広い。
俺の実家より広いんじゃないのかこれは。
「ようこそ、ゆっくりくつろいで」
「あ、ありがとう」
いい加減どもるのをやめにしたいのだが、彼女には驚かされてばっかりなのでそうもいかない。
部屋をジロジロ見回しては失礼なので自然と奏に目がいってしまったところ、目があってしまった。
「私、お茶入れてくるから、そこで休んでて」
キッチンに行く奏を見て少し気まずくなるも、彼女の髪の光沢に目がいってしまった。
男を生活空間に入れたというのに、彼女に全く緊張した様子はない。
肝が据わっているのか、無防備なのか……。
あるいは自分を信頼して、と思うもすぐうぬぼれであると恥じる。クッションに腰を落とすと、リビングから突き出た所にサンルームがあるのが見えた。そこで奏がなにか育てているのか植木に花が咲いていた。さらに奥にはテラスがある。
LDKの端には階段もあり、そこから二階へ行けるようでいくつかの部屋が見えた。既に日は落ちており、窓からは見える景色には知瀬の夜景が綺羅星のように輝いていた。
考えてみれば……。
奏とはまともに話すようになってから、まだ三度目でしかない、にも関わらず彼女とはずっと昔からこうだったような気がする。
なんでなんだろうな、部屋にまで来てしまって……。
彼女はもう自分を一回限りの友達だとは思ってないだろう、しかし好意を持たれているかどうかはわからない。目を細めてテーブルに視線を落とす。今ここにいるのも、単に千緒の作り話を真に受けてのお礼程度のことが理由かもしれない。
なら直接聞けよ……。
と思うのだが、これ以上踏み込めない自分がもどかしい。好意を伝える、それだけのことが怖くて仕方がない。心の弱さが本音を封じ込める。
「お待たせー」
奏の声を聞いて顔を上げた。トレーに急須とカップ、切り分けたシフォンケーキが乗せられた皿があった。
「はい」
「ありがとう」
皿を手渡されと、またお礼を言ってしまった。言いたいことは他にあるのだが、意識はしても今はまだ踏み出せなかった。まだそういう時期じゃないだろうと心中で言い訳をつくってしまう。自分の惰弱に嫌気がさしてくる。
奏も腰を落とす。女の子座りになり、その姿に胸が高鳴る。
「それじゃあ、今日一日、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
以前と同じようにカップを軽くぶつけて口をつけた。
「キャンディなんだけど」
よくわからないが紅茶の種類らしい。おいしい、とだけ答えた。続いてケーキに口をつける。みずみずしい食感とともに、甘い風味が口の中に一気に広がっていく。
ケーキなんて何年ぶりだ……?
九才のクリスマスが最後だった気がする。
あの頃はまだ……。
誕生日やクリスマスが待ち遠しかった。サンタは信じていなかったが、プレゼントは毎年もらえた。母がいたからだ。目に映るすべてがキラキラ輝いて見えた無邪気な児童だった時。遠い日の記憶。起きては眠る日々を繰り返しぼやけて見えなくなったはしゃいでたころの自分。それをいつも穏やかに見守ってくれた、その女性はもう……。
紅茶に映った瞳が揺らぐ。
「あの……あまり口に合わなかった?」
「え? いや……そんなことないよ! ケーキなんて久々だったから感動しちゃって」
「アハハ!」
感動は大げさだと思った。同時に、さっきのケーキが好きという発言と今のケーキなんて久々という発言には矛盾があるような気がした。彼女は気づいただろうか。
しばらく、とりとめもない雑談を楽しんだ。相変わらず彼女との会話は自然とはずむ。クラブのみんなともここまで打ち解けた物言いができるようになったのは、それなりに時間がかかった気がする。
相性が合うのだろうか……?
「あの……私、着がえてくるね」
「うん」
そういえばお互い制服のままだった。今日もクラブの練習で汗を流していただろうし、匂いを気にしていたのかもしれない。奏が立ち上がり、二階の部屋に行くと彼女の残り香が鼻を刺激した。その匂いを嗅いでみたくなるが品のない行為と思い、鼻を手で押さえた。自分も機械くさくなっていないか、袖を嗅いでみた。
あまり時間をかけずに奏は戻ってきた。チュニックにスカート、初めて見る彼女の私服姿にどぎまぎする。
「山家くん、時間の方は大丈夫? 寮の門限とか……」
「そういうのはないよ、かなり自由なんだあそこは」
本当のことである。文科の多い第一男子学生寮はそれなりに厳しいようだが、工科の多い第三は緩い、というよりほぼない。帰宅奨励時間というのはあるがまともに守っているのは相当な堅物くらいなものである。工科は教員の都合で帰宅が遅くなることもある上、夜間実験講義などもあるため、管理組合に配慮を求めていた。その結果こうなったのだが、単純に管理が面倒だったのかもしれない。
「ならいいんだけど」
「明日は土曜だしね」
少しでも長くここにいたい。だが、色ボケでずうずうしく居座り続けるのもまずいという判断力は残っていた。
時間はいつのまにか十九時十七分。引き際を誤るは愚か者のすることよ、というなにかの戦国時代のドラマのセリフを思い出した。
「そろそろ」
お暇するね、と腰を浮かしかけたその時、電話が鳴った。穂高や奏のRCからではなく、備え付きの電話機からである。
それを見て奏が少し不快そうな顔になる。会話を中断されたことではなく、かけてきた相手が誰かわかったからであろう。こんな彼女の顔を見るのは初めてだった。
「山家くんごめん、ちょっと……」
頷いて、電話を持って二階に行く奏を見送った。
以前彼女が、親は自分に関心を持っていない、と話していたことを思い出す。その父か母のどちらかではないかと思ったが聞き耳をたてるような真似はしないほうがいいと思い、RCで天気とニュースを見る。空中モニターが投影されて来週のマシン展に向けての準備が行われていることが報道されていた。
奏をマシン展に招待しようかと思案する。乗り気にはなってもらえないだろう。専門的な機械の大会であり、興味のない人にはつまらないと思える。
だが、来てほしかった。来て、自分、たちの晴れ舞台を見てもらいたい。
昔、小学校の運動会に母さんが来るのさえいやだったのに、なぜ今になってそう思うんだろう……。
「……え?」
そもそもなんで他人の奏を母に見立ててしまったのか、意味が自分でもわからなくなりテーブルにふせってしまった。
疲労した体に糖分を摂取したせいで、頭がぼんやりしてくる。
今日は色んなことがありすぎた……。
奏と再会できた喜びをかみしめつつも、今はまだそこ止まりである。次のステップを考えなくてはならない。
目を閉じると緩やかなまどろみに包まれていった。
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