第五章 ホーム
(1)
「えっ?」
聞き間違いではないかと耳を疑う。
「時間ある? うちにシフォンケーキが……涼子さんにもらったんだけど、もらいすぎちゃって」
「う、うん」
そういうことかと少し肩を落とす。
しかし、奏の家への切符が手に入り天にも昇る心地だった。
行きたい。行くべきだろうか。一人暮らしの女の子の部屋に、男一人で?
「あっ……ごめん、今大事な時期だよね」
マシン展のことを言ってるのだろう。だがこの機を逃しては……。
攻め時を逃がすは愚か者のすることよ、というなにかの戦国時代のドラマのセリフを思い出した。
「い、行きます……! ケーキ好きだし……」
ケーキなんかもう五年以上食べたことはない。
「よかった、じゃあ乗って」
奏が奥の席に行き手招きする。
「お、お邪魔します……」
ぎこちない動きで穂高も乗車した。ドアが閉じられる。二人同時にシートベルトを締めると奏がRCをかざして車にルートを覚えさせた。
発車しますという女性的な機械音声と共に車が発車する。
大丈夫……だよな?
他の生徒に見られたのではないかと乗り込んでから気にしたが、車は電子マジックミラーになっており基本的に警察車両など以外からは内部は見えない。
一度だけ辺りを見回すとそれで終わった。これから奏の家に行くという緊張と歓喜が、微々たる悩みを吹き飛ばした。
日が没しかけている知瀬の街を二人を乗せた車が走る。前方の特殊フロントカバーには、最新の映画やゲームのCMが大音量と共に流れている。運転しているのが人間なら一大事だがAIにはなんの支障もない。目となるモニターセンサーは外に付いてある。
無人機とはこういうものか……。
内部の仕組みを観察する。前席の後部にはモニターが付いており、手を当てると血圧や脈拍など疲労度を数値で提示してくれる。
疲労度、5段階でレベル4? そんなに疲れているようには感じないけど。
「ちょっと寄り道していい?」
まじまじと車内を見分していたところ急に話しかけられたので少し驚いてしまった。
「あ、うん」
奏が再びRCをかざす。事前に設定してあったルートのようで、一瞬で済んだ。
「前にね、練習試合の帰りに、先輩に教えてもらったの」
このルートのことだろうが、その先輩というのが男か女かわからず、気が気でない。
「高速に出るけどすぐ戻るから」
知瀬では市内のUVなら市街地に出ない限り基本的に高速は無料である。
薄赤い輝きを持ち始めた夕暮れのビル街を抜け、海沿いの道に出ると、海の上に架かる高架橋に着いた。
「ほら」
「ああ……」
沈んでいく夕日の美しさに目を見張った。海鳥たちが空を泳ぎ、観光用のものだろうか沖合にはフェリーや小型の船舶があちらこちらに浮かんでいる。大きな汽笛が鳴り響き、パーキング近くの海上レストランやアメニティは家族連れやカップル客でにぎわっていた。
横目で奏をみる。彼女もこの風景に夢中になっているようでこちらの視線には気づいていないようだ。
きれいだ……。こんな景色よりも……。
ずっと彼女を見ていたかった。
やがて車は緩やかなカーブに入り、再び街へと呑まれていった。
「ねえ山家くん」
「……あ、なにかな?」
余韻が残っており、返事が遅れた。奏の顔が眩しく見える。
「さっき千緒がお姉ちゃんがどうとか言ってたけど、あれなんなのかなって」
奏は軽い笑みを浮かべつつ尋ねてきた。気になっていたのだろう。
「さあ、お前は俺様の家来だ、とかそういう意味じゃないの」
あの馬鹿々々しい会話を思い出して、どっと気疲れした。
「フフッ、そうなの? でも二人とも今日一日でずいぶん仲良くなったよね」
仲良くなったと言っていいのかわからないが、たった一日でずいぶん彼女の色んな面を見たような気はしていた。
「そうかな、今日は散々彼女に引っ張りまわされてくたびれたよ」
「アハハ、いつもあんな感じ。それでもあの性格だから、みんなあの子が好きなんだよね」
小動物が愛玩されているようなものだろう、と思う。
車はメインストリートを抜けて、以前にも来た丘の上の高層住宅街に差しかかろうとしていた。
ふと、奏を見る。前方のモニターに手を合わせていた。
「占いだよ」と答えた。自分もやってみようかと思ったがやめておいた。運命は自分の手で切り開きたい、そんなことを思った。
やがて車は奏のマンション前に到着し、停車した。
「それじゃ行こ」
正門からエントランスまでの幅の広い道では、清掃用のミニマシンがせわしく動き回っている。特徴的な色合いのガラス戸をみて防犯用と穂高には理解できた。
エントランスに入ると、企業のような半円の受付みたいなものがありそこにいた初老の男性が深々とお辞儀をした。高級マンションのコンシェルジュという人であろうか。
「お帰りなさいませ、三崎さん」
奏も丁寧にお辞儀をし、穂高も同じようにした。
「土谷さん、この方は……」
「はい、お客様ですね。認証登録は不要ですので」
「すみません、山家くんこっち」
「う、うん」
手招きされて後に続く。コンシェルジュの男性が穏やかに会釈し、自分も緊張しつつも会釈した。受付の奥の方では警備員とおぼしき男性が複数のモニターをチェックしていた。
エレベーターに乗り込む。これも円形でホテルなどで使用されているもののように感じた。六階まで上がると停止して内廊下に出た。
「ここだよ」
少し歩いた一室に案内された。このフロアは他に人の気配がしなかった。ドアの前で奏が手をかざすと、ドアが開き部屋に入っていく。気おくれしながらも彼女の後を追った。奏が靴を脱いで床にあがると、オートで電灯が灯り、暖色のタイルが奥まで続いているのが見えた。
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