(6)
しばらく行ったところで、奏と結実はグラウンド横の屋外ロッカーに残りの荷物を取りに行って千緒と二人で、やや開けた場所で待つことになった。
RCをいじっている千緒に近寄り、意を決した。
「その……今日のことなんだけどさ、あの男ってなんなのかな……?」
「……逆恨み」
「え?」
「あいつ……トライアウト落ちだったの」
「テニス部の?」
「そう、あたしは見たわけじゃないけど男子たちからそう聞いてる」
伏目になると同時に、瞳は一気に曇りがかった。
「それで……五月の初めのころだったかな……、練習中にふらっと現れてはジロジロとこっち見て……みんな気味悪がっちゃって……」
徐々に声が力を増していく。
「女子の先輩が抗議すると、にやにやしながら無言でカメラを向けるの……!」
声に帯びた怒りがどんどん強くなる。悔しさや悲しみも感じられる。
「男子が来たとわかるとすぐ逃げて……! いなくなったとみるやまたやって来て……!」
相当粘着質で執念深い性格をしているのだろう。同じ男であることすら恥ずかしくなってきた。
「ちょっと落ちつけ……」
「まだあるよ! 部室がめちゃくちゃに荒されて、ラケットを壊されたり……!」
千緒が石を蹴った。
「クラブのボランティアで小学生の女の子たちにテニスを教えて、そのお礼でその子たちが作ってくれたモモンガのぬいぐるみ、部室に飾ってあったの……それが刃物で……バラバラに引き裂かれて!」
息をのんだ。そんな人間がここの生徒という実感がわかない。
「あのときの奏……すごく悲しそうだった」
胸が詰まる。こちらの呼吸まで乱れそうなほど、頭が怒りに満たされる。
「そいつ……名前は……?」
「知らない! 知りたくもない! 汚らわしい!」
千緒がショルダーバッグを放り投げた、と同時に穂高の体は動いていた。
いつのまにか、
「落ち着け……大丈夫だ」
彼女の手を握っていた。
「あ……」
握ったその手はすぐに離した。
「男子は……知ってると思う……。あまり講義には出てないって言ってた……」
「そうか……」
いわゆるストーカーの亜種なのかもしれない。自分の姿を意図的に見せることで、相手に不快感を与える愉快犯などの可能性を疑った。
しかし、入れなかったクラブにそこまで粘着するなんて異常すぎないか? みじめさに拍車がかかるだけな気がするが……。自分ならさっさと忘れて、別のことを探すと思う。
男の意図が読めない。志を抱いて入学する生徒が多いこの学校に、そんな目的で来ていること自体が穂高には理解に苦しむことである。
いずれにせよ……、ちんけな男だ。恨みがあるはずなのは男子テニス部のはずなのに、女子を狙ってこんなみっともないことをやってる時点で……。
カメラを持っていたあの男を心底軽蔑する。
三崎さんやこの娘が脅えるほどのことじゃない。その男はただのクズだ。それよりも、テニス部の男子たちはなにをやってるんだ? あれだけ数がいながらそんな男一人に手を焼くなんて……。いや運動部で、わけても人気のテニス部で暴力沙汰なんかになれば大事になる。腕力で片をつける、というのは難しいのだろう。
「紳士のスポーツだしな……」言葉に出して、そう嘆息した。
「え……?」
その千緒の声は考え込む穂高には届かなかった。
キド研のみんなにも相談してみるか。昌貴ならあっさりそいつをひねって終わりにできるんだろうけど。……いや、違う! すぐ他人を頼って、どうしてそれで彼女を守ったことになる……! 俺自身がなんとかしないと……!
口に手をあて、熟考し続ける穂高の顔を千緒が凝視する。もう激情の波は引いたようだ。
「ねえ……あんた……奏のこと……」
やはり穂高には聞こえていない。
「お待たせー」
奏と結実が戻ってきた、目線だけでそれを確認する。
「ごめん、先輩たちに捕まっちゃって」
「山家さんの話をしてました」結実がにっこりそう述べた。
「うん……?」
そこで思考を中断した。
「それじゃ行こ」
奏が歩きだし、後に続く。話題を阻止したように感じたが、なんの話題だったのかよくわからなかった。千緒もすっかり元気になり、その後はとりとめもない雑談を話しつつ歩いた。
散逸したボールをドローンが回収してくれるのだが、そのドローンにボールを直撃させてしまい、供養して詫びたなどの話で笑い合った。やがて車駅に着いた。
車駅、ステーションとも言い。Unmanned Vehicleを略して主にUVと呼ばれる無人運転自動車の停止場ロータリーである。逆に従来からの有人自動車はMVと呼ばれる。
生徒が登下校にUVを利用するのは本来禁止されている。健全な情操の発達などを名目としているが、高校生ごときが車で通学など大仰だといった日本的な風土もあった。
しかし、例外もあり、クラブ等で十七時以降に帰宅する生徒はその使用を認められている。
十八時を回った車駅は帰宅する生徒がちらほら見かけられる。四人はそこの一スペースに並ぶと、備え付けの機器に住民カード(RC)をかざした。シグナルが発信され、それを市の中央ターミナルが受信し、市内を走行しているUVのうち最適なものを向かわせるというシステムで、作業自体は一瞬で完了する。
ここに来るUVは、基本的に市が所有して住民サービスのために提供される〈公共車〉であり、直接代金を払うということはなく税金で運用されている。知瀬に拠点を構える企業が技術実証も兼ねて提供したものもあり、潤沢というわけではないがそれなりに数をそろえている。
しかし穂高は思うところあって、これまで使用したことはなかった。やがて、信号を受信した一台がやってきた。停車して、わずかな間を置いてからドアを開いた。
「それじゃ、お先に」
千緒と結実が乗り込む。二人は同じ女子寮と先ほど聞いていた。
「うん、また明日」
奏が手振りと共に二人に別れを告げる。少し、気になって身を近づけた。
「その……大丈夫なのか?」
「うん、もう全然平気。……みっともないとこ見せちゃったね」
この無人車は、という意味で聞いたのだが、千緒はさっき激高した様を言われているのだと思ったようだ。
「そんじゃ……」
「失礼します、山家さん」
ドアが閉じられた。UVが発車して行き、奏と二人で乗り場に残る格好となった。
次のUVを待ちながら穂高はロータリーを行きかう無人車の群れに目を走らせた。過去のある経験から無人というものに不信感を持っているのである。
「ふふ、ここすごいよね。ちょっとした重役気分」後ろから奏の声が聞こえた。
「ああ……、原付やバイク通学は禁止なのにね」
つい素で返してしまった。
「あ、その……」慌てて話題を変える。
「前は……! 自転車通学だったんだ、入学したばかりのころ。スポーツ用の、ロードバイクってやつ。個人的な趣味でもあるんだけど」
「ああ、似たようなのうちにもある。クロスの方だけど、運動にもなるし面白いよね」
「うん、でもキド研に入ってから色々家に持ち帰るものが増えて、電子機器とかもあるからそれでちょっと危ないと思って、バスに切り替えたんだ」
だからなんだと自分自身に問いかけたところ、ある記憶が思い起こされた。
「手が塞がっちゃうもんね、車道を走るのも少し怖いし……、やっぱり遠出とかするの?」
「うん、地元にいたころは三浦半島一周とかよくやってた」
始めた動機は単純に足腰を鍛えるためだったのだが、それは言わなかった。
「それで、ちょっとがんばって静岡まで富士山を見に行ったことがあったんだ。その帰りにパンクしちゃってさ、予備のチューブもなくて電車も止まっってる深夜で……、途方に暮れたよ」
「それでどうやって帰ったの?」
奏が興味津々で聞いてくる。しんどい思い出だったが、今は話のネタになってくれたことを感謝した。
「夜道でへとへとになりながら、自転車押してたらさ、いきなり大きなトラック……ウイング車っていうのかな、それに乗っていたおじさんがいきなり降りてきて、どうしたんだって聞かれて事情を説明したんだ。そしたら、東京まで行くついでだって、自宅近くの国道まで自転車ごと運んでもらえたよ」
「よかったねぇ」
喜色をたたえた瞳でそういってくれた。
「うん……、でもそれで思ったんだ。もし、あれが無人のAI制御の車だったなら俺なんか気にもとめなかったんだろうなって」
「ああ……、そうだろうね」
「だから……AIってやっぱり、便利だけど人間同士のつながりというか人情というかあるいは、人間性とでもいうのかな……、そういうのを置き去りにしている面もあるんじゃないかって思うときがあるんだ」
「だから……無人車は好きじゃない?」
「……そうなのかもしれない」
ほんの数年前の出来事である。それよりももっとつらい記憶を呼び起こしそうになり、胸を押さえた。
そしてハッとした。これだけの会話で自分が無人車というものに複雑な感情を抱いていることを奏が察したことに驚き思わず彼女の目を見た。
吸い込まれそうな瞳、自分で鍵をかけた内奥まで見通されているような感覚。
夜の車駅で二人見つめあう。車はまだ来ない。帰宅ラッシュ時であるからターミナルも適当な車体を見つけるのに手間取っているようだ。無礼と思い、視線をそらすと同時に奏が口を開いた。
「機械というか、それを制御するAIだっけ、そういうのに助けてもらえる時もあるんじゃないかな」
穂高の痛みを包むようなやさしい声音、それだけで心が落ち着いていく。
「あの……レックスくんにもそういうのがあるんでしょ?」
「演算処理とかはしてくれるけど……」
オートマチック制動が一般化したこの時代では、産業機械において人間のやることなど、AIの初期設定と監督くらいなものである。レックスとて決してフルオートで制御できないわけではない。だがそれは穂高たちの思想ではないのだ。
ふとコックピットキューブにいる自分を想起する。暗い闇の中で光をともし、次に進むべき方向を示してくれる様を思い浮かべる。
あいつは俺の相棒と言えるのだろうか……?
穂高自身よくわからなかった。
「私は助けてもらってるよ。ゴールデンウィークの時ツーリングしてて道に迷ったんだけど、ナビですぐ教えてもらえた」
「どこまで行ったの?」
「十三区の人工岬まで」
「みさきなだけに?」
「え?」
「……え……」
言ってしまってから死ぬほどつまらない冗談だと思い激しく動揺する。先ほどの比ではない。おそるおそる視線を上げて、彼女の顔を見る。
目をまん丸くしていた。半開きになっていた口が開いていく。すると、
「……あ、アッハハハハ!」
動けなくなる。よく笑う娘だったがここまで大笑いするさまをみるのは初めてだった。
「ご、ごめん! そんなに……!」笑わないで、と言うに言えない。
近くの生徒たちも一斉にこちらに注目する。そこにようやくUVがやってきた。
「き、来たよ……! 三崎さん!」
こうなったらさっさと車に乗ってもらい、見送るほかない。
彼女はまだ笑い続けている。ドアが開くまでのわずかな間すら、長く感じる、早く、と思ったその時、後部席のドアが開いた。
「さぁ……!」
焦りながらも、乗車するように促す。そんな焦燥にあっても映画でみたレディファーストみたいだと思った。奏が笑いながら乗車した。安堵の吐息をもらした次の瞬間、腕を引かれた。
「うちに寄っていかない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます