(3)

 誰だったかと、一瞬思考を巡らせて、先ほどの鉄火場がこの女子生徒をかばったことに端を発したものであったことを思い出した。

「あ、あの……」

「え……? ああ……君、大丈夫?」

「私は平気です。あなたは……?」

「別に何とも」

 実際なんともなかったが、変に顔を歪ませたせいか、いまだに落ち着いた表情になってくれない。女生徒は申し訳なさそうな顔で、責任を感じているようだった。

「さっきの人……」ドアをみやった。

「ああ、もう行ったよ」

「すみません、迷惑かけて」女生徒が丁寧にお辞儀をする。

「いや、別に……⁉」

 その時、はじめて、目の前の女生徒を見知っていることに気づいた。


 あ……この娘……。


 その少女が三崎奏であることを認識した。

 しばしの沈黙の後、突然の事態に息をのみ、オリエンテーションの時のことを思い出す。口の中をかんで呼吸が乱れそうになるのを鎮めようと試みた。

「あの、ケガでも……した?」

「し、してないよ!」

「君、大変だったね、なんなんだろうねあの人」動揺を悟られまいとつい早口になってしまう。

「なにかのイベントらしいです、そこで、ゲストになってほしいとかどうとか……」

「ああ、それで人気のある人を……」

「え?」

「あ、いや、そう見えたから」慌てて取り繕う。

「アハハ……そうかな?」

 女生徒は初めて笑って見せた。全く嫌味を感じさせない苦笑に思わず胸を打たれる。

「助けてくれてありがとう。私、三崎奏です」

 透き通るような声と長い黒髪。窓から差す光が彼女の背と髪にかかる。

「……山家穂高……一応、ここの部員」

 凝視しかけたが、すぐに入学式の日を思い出し、慌てて無造作に散らばった卓上の機械部品に目を移した。

「さんが、くんね」

 彼女のまっすぐとした視線が自分の目を射抜くような感覚がして、また首のあたりが湿っぽくなってきた。


 まさかあの時のこと、覚えてない、よな……。


「ここ部室なんだ……部室棟だし当たり前だよね」

 屈託なく微笑むと当たりを見まわし始めた。

「ここって機械を扱ってるみたいだけど、ああ、あなた工科ね。それで……」

「うん」

 なにが、うん、なのかわからない。

「なんてクラブなの?」

「機動機関研究会」

「キドウキカン?」

「メカニクス全般、というか……人が操作して動く機械、マシンを研究してるんだ」

 妙な緊張感のせいで、今は穂高自身がマシンのような無機質な声音になっている。


「キド研とか呼んだりしてる」

「ふーん、ロボット部とかいうのとは違うんだ」

 まださっきの男を怖がっているのだろうか、すぐに出ていく気はなさそうだった。

「去年、部長がロボット部をやめて立ち上げたんだよ。確か方向性の違い、とか言ってたけど。だから、まだ新設一年目。部員も自分を入れて五人しかいないし……」

「へえ、自分たちで作っていくクラブってなんだかおもしろそうだね」

「大変なことも多いよ。特に予算とかね。まだ同好会扱いみたいなもんだから」

「あー、そうなんだ。私はテニス部なんだけど、規則とかけっこう厳しくてね……」

 星緑港の運動部は、シーズン制であり決まり事というのは基本的に緩い。しかし、テニス部は希望者が多く、選抜のためのトライアウトも厳しいという話は聞いたことがあった。その分、厳格にならざるを得ない面もあるのだろう。

「こうしてみると工科ってなんかすごいね。私、こういうの見ても仕組みとか全然わからないし」

 一瞬、オタク趣味とあざけられたのではとヒヤリとしたが、女生徒の目にそういう気配はない。実直な視線が機敏に触れた。


「ここにあるのは、ほとんど取り寄せた完成品だよ。自分でできることはパッチワークレベルかな」今はまだ、と心に言い聞かせる。

「これってさ、なにに使うのかな?」

「え……」

「この車みたいなの。なにか組み立ててるんでしょ?」

 思ったより食いついてくるので意外に感じた。

「次のマシン展……、その、機械の大会で出すつもりの多用途複合環境適応機」

「えっ?」

「だから、空陸両用機みたいなもんだよ」

「空陸……えっ、飛ぶのこれ?」

「うん、飛ぶっていうか、せいぜい浮く程度だけど」

 机の上のEノートに手を伸ばす。これは基本的な教科書、ノート、辞書、計算機はすべてこの中に収めることができるもので学生ばかりか国民の必需品となっている。

「これがその設計図なんだけど」

 部外者に見せていいか迷うべきだった、と見せてから思った。

「はぁ、すごいんだ……」

 目を輝かせて女生徒は図面に見入る。その横顔を見て、なにか……鳴ったような気がした。


 ……なんだ?


「ほんの数メートルの段差とかでも超えられたら、すごい便利になるよね」

いきなりこっちに首を振ったのでびっくりした。

「そういった需要とかを見越しての研究なのかな?」

「さぁ、部長は研究や改造に一徹な人だから、あまりお金儲けとかは考えてないと思うけど」

 いつのまにか自分も顔がほころんでいることに気づいた。

「今、マシンのこととなると大抵はAI……その人工知能が動かすものになってるけど、そういうCPU任せじゃなくて、人間に内在する力で操作できるものを作りたい、そう話してた」

「あはは、なんだかかっこいい」

「うん、俺は……共感したんだ、そんな部長の理念って言っていいのか知らないけど……」

 独白するような口調で、テーブルの上のスペースシャトルの電子写真をみやった。最新のものであり、月面の月観測基地に物資を運ぶものである。

「へぇ……」

「……」


 目が合う。彼女の視線にまるで射すくめられたかのように硬直してしまった。

しばらくの沈黙が異様に長く感じられた。チャイムが鳴った。

「あ、そろそろ行くね、私」

「う、うん」

「山家くん、助けてくれてありがとう。それとお話し、いろいろおもしろかった」

 彼女は軽くステップを踏むようにドアへと向かっていく。外の様子をうかがった。

「もう平気……よね?」

「え、ああ、さすがに恥じ入ったんじゃないかな?」

「ならいいんだけど」


 あ……。


 考えてみれば、あの三崎奏と部室で二人きりである。こんなさまを他の部員やクラスメイト、のような同期生に目撃されたら、大変な事態になる、と思い冷や汗がでてくる。

 そんな穂高の焦りをよそに、彼女は一歩踏み出すとクルっと振り返った。

「はい」

 一瞬なんのことかわからなかったが、差し出された手を見て握手を求めているのだと理解した。その手をにぎっていいのか躊躇しかけたが、握らないほうが失礼、という方向に天秤は傾いた。

 軽く手を握ってみる。ひんやりとしていた。だが、どこか……温かいような気がした。

「楽しかった三崎さん」本音だった。

「私も。今度お礼するね、それじゃあ」

 去っていく彼女の後ろ姿が見えなくなってから、握手を交わした右手を見た。

 しばらく放心したように見続けた。

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