(3)
「うー、すごいな、吾十五にして学に志すっていうのかな。あ、まだこのころ一三くらいか」
「そんな大げさなもんじゃないけど」
実際はなんとなくの決意であったのだが、志学のような捉え方をされてはにかんでしまった。
「そういう奏さんは?」
言ってから下の名前で呼んでしまったことに気づいたが、彼女は別段気にした様子はなかった。
「私ね、母方のおじいちゃんが貿易関連の会社を経営していたの」
どことなくさびしそうな笑みを見て、その人がすでに故人であろうことを察した。
「それで、三十年くらい前に知瀬に支社を作って、今は本社だけど……、私もここに遊びに来ることが多かったの」
ほとんどここの開発開始時期と同じじゃないか……。
「私が十才くらいの時だったかな、たまたま星緑港の文科祭、科文祭ともいうらしいけど、それを見てすごい楽しそうだなって思って」
文化科学祭。十一月に行われる、いわゆる学園祭である。穂高は見たことはなかったが、かなり大規模なものと聞いていた。
「そんなとこなんだけど……」
なにか言いよどんでいるようで指をこすっている。
「ほんとはもっと子どもっぽい理由なのかな……」
「いや、無理に話さなくても……」
立ち入り過ぎたのではないかと、少し後悔した。
「ううん、誰かに聞いてほしかったのかも」
彼女は続けた。
「うちの親めったに帰ってこないんだよね……。研究所に勤めていて、なんの研究か知らないけど……」
なんとも寂しげな声音だった。
「ほんとに親子なのかって思えるくらい別々な時が多くて、私のことはほとんどほったらかし。私、小さいときから、近くのおじいちゃんの家で遊んでることが多かったから……」
彼女は目を伏せて、指先でそっとテーブルをこすった。
「それで、私がいなくなってもいいのって感じで、ここに入学する意志を伝えたんだけど、ほんとにどうでもよかったみたい。なんの反対もされなかった……」
妙な心苦しさを覚える。憐憫などではない。人の内面に入り込むことの重みのようなもの。それだけの資格が自分にあるのかという自問。自分の心に問いかけても答えはでなかった。
「ごめん……こんなしめっぽい話されても困るよね」
「い、いや……」
目をくるりと開いて、彼女が立ち上がった。
「デザートにアイスとってくるね、山家くんは?」
「う、うん、同じやつ……」
「わかった」
今さっきの身の上話など、すっかり忘れたような明るさであった。穂高は、しばらくグラスに映った自分の顔、目を黙然と見続けた。
その後も他愛ないおしゃべりが続き、気づいたときには閉店の二十時四十五分となっていた。
「すっかり、話し込んじゃったね」
「うん、いろいろ話せて勉強になった」
さすがにお互い疲労を感じているようだったが、不思議と心地よかった。
「それじゃ、そろそろお暇しようか」
と彼女が伝票を持って立ち上がった。
「あ、あの、やっぱり俺払うよ」
高校生とはいえ、連れの女性に払わせる、というのは外形的にみっともない気がする。
しかし、彼女はニヤっと顔をほころばせると、カバンからなにか取り出した。
「ディナー券があるんだよねぇ」と、二枚たなびかせてみせた。
「今週までのだから使い切りたかったの」
「あ、ああ、それで……」穂高もつられて破顔した。
「奏ちゃん、送ってくよ。ずいぶん遅くなっちゃったでしょ」
レジにて涼子が申し入れた。
「えっ、でも涼子さん、お店が……」
「あなたたちで最後よ、もうやることは大して残っちゃいないわ」
いつのまにか店内は客がいなくなっていた。調理室の方からの作業音だけが響いている。
「でも、そこまでしていただかなくても……」
「いいの、この辺りも人が増えて油断できないからね。それに、この時間じゃ
「すみません……ありがとうございます」
「それじゃ、車出すね」
「すみません」穂高も頭を下げた。
裏手の駐車場に行くと、涼子がワゴン車を出してきた。食材の運搬に使っているものだろうか。
「さ、二人とも乗って」
「はい、失礼します」
「お邪魔します」車に乗り込み、シートベルトを締める。
「ええっと、山家くんのおうちの方は」
「第七区の星緑港の学生寮です」
穂高は、住民カードをかざして、ナビに位置情報を転送した。
これは知瀬の住民たちに配布されるもので、身分証、保険証、学生証、銀行カードまで複数の機能を包括している。また、簡単な通話も可能で情報端末にもなる上、平面映像を空中に投射することもできる。Resident Cardの略称でRCと呼ぶのが一般的である。
「それじゃ、奏ちゃんのほうから送っていくね」
「はい、ありがとうございます」
穂高と奏を乗せた車が夜の知瀬を走る。静音性から、電気駆動車ではないかと推測する。街をブロック状に分けている川を横断する道路橋にかかると、夜のビル街の夜景とネオンサインが光の海のような光景を現出させているのが見えた。
こんな風に知瀬を見たことなんてなかったな……。
空にも光広告が出て、街に彩を添えている。
ふと、車のガラスに映った奏と目が合った。しばらく見つめ合う格好となったが、顔をわずかに紅潮させて、お互い視線をそらした。
さきほどまで絶え間なく歓談していた二人だが、車内では口を開くことがないまま車は進んでゆく。車が小高い丘をのぼった先に奏のマンションがあるらしい。辺り一帯はアッパークラスの世帯者向け高層住宅街であるようだ。踏切のような場所で一旦止まった。
埋立地の丘か……。建設初期段階で造られた丘陵地帯らしいけど。あれはゲート? 部外者は入れないってことか、ここは。
到着した場所に見えたのは、やはりというか、かなり高級そうなマンションであった。
「涼子さん、送っていただいてありがとうございました」
「いいの、いいの」
おどけたように涼子が両手を振る。
奏が一歩踏み出して、穂高の前に立った。
「山家くん……今日は楽しかった」
「うん、俺も……」
前にも似たようなやり取りをしたことを思い出したが、明らかに重みが違って感じられた。
涼子がなにげなく後ろを向いて、ミラーの手入れを開始。
「また、学校で……」
「うん……」
なにかちゃんとした言葉で返したいのだが、どうにもまとまってくれない。
「じゃあ、おやすみなさい……」
「おやすみ……」
これ以上顔を合わせてられなくなり、車内に戻った。車内から奏が改めて涼子に礼を言ってお辞儀をしている様子が見えた。
「お待たせ、それじゃ行きましょ」
「はい」
涼子が乗車して、彼女が指を掲げると指紋認証で車が起動した。
車が発車しても、ミラー越しに奏がこちらを見続けているのが見える。その姿は、やがて小さくなっていき、見えなくなった。
無言になって今日一日を振り返る。どこを切り取っても、出てくるのは彼女の顔ばかり。
手を額に押し付けて熱っぽさがないか確認する。特におかしなところはないのに、今の自分なにかはおかしい、なにかが自分の中から湧き起こっては止まらない。きっとそれは……。
そうなんだ……。もう疑うことはなにもない……。俺は……あの娘が……。
顔を伏せて目をきつく閉じる。今日という日が終われば、二度と彼女と接点が作れなくなるのでは、と思えて怖くなる。
好きになるって、こういうことなのか……。
両手を組み合わせて、なにかを祈りたかった。
「ねえ、山家くん」
「はい⁉」
涼子の存在を完全に忘れて、物思いにふけっていたため、変な返事声になってしまった。
「あ……、なんでしょう?」
「奏ちゃんと仲良くしてあげてね」
「え……、ええ! 喜んで……?」
そんなことを断言していい立場なのかと思って、声がうわずった。
とうとう涼子が吹きだした。
「はい……」顔を真っ赤にしてうつむくしかない穂高であった。
穂高を乗せた車が去った後も、奏はしばらくマンションの正門前に立ち尽くしていた。
「……山家、穂高、くん……か」
いつのまにか左手で胸を押さえていたことに気がついた。
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