(2)

 バスでしばらく移動したのち、にぎやかな飲食店街の通りにやってきた。

「あのお店だよ」

 暖色系の外装をした店を彼女は示した。マルダムールという看板を掲げている。

「こんにちはー」ドアを開くと同時に明瞭な彼女の声が響く。

「いらっしゃい、奏ちゃん」

 慎まし気な女性が出迎えてくれた。年齢は四十代ほどだろうか。柔らかい表情で歓迎の意を示してくれた。

「席は取ってあるよ、奥の十三番。えっと……そちらの」

 視線を穂高に移した。話は既に通していたようだが、連れてくる相手が男とは聞かされていなかったようだ。

「はじめまして、山家穂高……です」

 彼女の知り合いらしいとわかると、そんな挨拶をしてみた。

「はい、はじめまして、佐枝木涼子です。ゆっくりしていってね」

 この店の店長とおぼしき佐枝木という女性も、スマイルで応じる。詮索するような印象はない。

「私たち、このまま向かいますね、涼子さん」

「ええ、のんびりしていって」

「山家くんこっち」

「うん」


 彼女の後に続きつつ、店内を見回す。ビュッフェ形式の店のようであった。内部は欧風な作りで、ウォールナットを使っているのか、温かな高級感を感じる。

 まだ、本格的なディナータイム前なのか、客足はまばらだった。

「ここだよ」

 奥のテーブル席に、向かい合う形で座る。四人席でスペースには余裕があった。

「とりあえず、飲みもの取ってくるね」

「あっ、俺が……」

「ここは任せて、今日は私が招待したんだから」

 そう言って、立ち上がりかけた穂高を手で制した。

「私はアイスティーにするけど山家くんは、どれにする?」

「俺もそれで……」

「わかった、ちょっと待ってて」

 女の子に主導権を取られ続ける自分が、少し情けなかった。店内をざっと見回す。


 丁寧な作りなんだな。こうして見ると建築、というのも繊細なんだとわかる。席同士が近すぎず、かつ店員の側からは全体を見渡せるような工夫がいる。


 工科生としては、そういった細部が気になってしまう。

「お待たせ」

 そんな分析めいたことをしていたら、いきなり彼女が戻ってきた。心臓が飛び跳ね、とっさに首を声の方向に向けた。

「あ、ありがとう」

 キョロキョロ店内を見回していたところを怪訝に思われたのでないかと考え、内心ヒヤリとしつつもアイスティーを受け取った。

「それじゃあ、乾杯」

「か、乾杯」

 軽くグラスがぶつかる音が鳴るのと同時にストローで少しだけ飲んでみる。ちらりと彼女の口元に目がいってしまった。唇の色っぽさに、あやうくむせそうになったが、こらえた。


 目を伏せながら、どんな会話をすべきか、どこから切り出すべきかシミュレートする。

「とりあえず……、ありがとうこの間のこと」

「えっ、ああ、そんな大したことしてないけど……」

 考えている間に、機先を制されたようで、また少しぎょっとした。

「あれから、どう? またなにか……」

 追い回されたりしてない、と聞きかけたがそこまでは言葉にならなかった。

 嫌な出来事だっただろうし、まだ怖がっているかもしれない。なにより、このような席でそんなこと話したくはないだろう。

「大丈夫、あれからまったく音沙汰なし、クラブの先輩たちに相談したら釘をさしておくって」

「そう、ならいいんだけど」

 見るからに下っ端で誰かの腰巾着めいた男だったことを思い出した。ムキになって報復を企むようなことはないだろう。話題を変えた。

「さっきの店員さん、知り合いなの?」

「うん、三枝木涼子さん。同郷の出なの」

「同郷?」

「元々、親同士の縁でね、私、金沢から来て一人暮らしなんだけど、涼子さんはもう五年前から知瀬に来てて、このお店を開いたの」

「そうだったんだ」

「旦那さんが、建築をやってて、ここの開発事業にもたずさわってて、それでね」

「ああ……開拓地みたいなもんだからね、ここは」

 同じ地域の出身者同士で、横のつながりがあっても不思議ではない。

 事情を吞みこむと同時に、彼女自身のプライバシーにかかわるようなことを、たいして知りもしない自分に、ざっくばらんに話す彼女に穂高は驚いた。

「アハハッ」

 笑いをとったつもりはなかったが、ウケたようだ。


「そういえばさっき、なにかうれしそうだったけど……聞いてもいい?」

「う、うん。別に大したことじゃないけど……」

 次のマシン展で開発中のレックスの操作役に任命されたこと、おじけづいた自分を奮い立たせるつもりだったと、多少脚色を交えて伝えた。

「その機械……マシンを操縦するんだ。それって自分で乗り込んで……」

「いや、あれに人が乗れるだけのスペースはないよ」

 申し訳程度に作られたシート部分に埋まる自分を想像して苦笑する。

「リモコン、遠隔操作するんだ。コックピットキューブっていう小さな操縦室から。使用は自由だけど、うちは使用する」

「あの部室にもあったのだよね? すごく大きかったけど、会場まで運ぶの?」

「ううん、それは当日、大会委員会が用意してくれる。接続面はユニバーサル規格だから問題ない」はず、と自分に言い聞かせる。

「ああ、VRシミュレーターみたいなのでしょ。文科でもたまに使うよ。えーっと、そのCGで再現した昔の街並みとかを疑似体験したりするのに」

「うん、ただ動かすのはまぎれもなく実物だから、かなり気をつかうんだ。運営委員会が事故防止措置を講じてくれているけど、機械っていうのは、どんな暴走するのかわからない部分があるから……」

 穂高は、重い……重い記憶を垣間見た。


「責任も重大かぁ……でも、おもしろそうだよね」

「あこがれてたよ、本当は」

「そりゃ、うれしいよね……踊っちゃうくらい?」

 やや煽り気味の笑顔になった。

「そ、それはもう忘れて……!」

「アハハッ!」

 出会ってまだ二回目の少女と笑いあった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。


 その後も意識せずとも会話のネタには困らなかった。三崎奏は、話し上手であり、聞き上手だった。話すペースも落ち着いており、決して一方的にはならず、折を見て穂高に話す機会を提供してくれる。

 穂高の話にも当意即妙の受け答えで応じることができ、興味を持って色々なことを知りたがった。それでいてグチっぽいことは全く言わず、前向きな物言いを心がけているとわかると、こちらも夢中になって、熱っぽく語ってしまう。いつのまにか、ほかの客席もすべて埋まっていたが、ここには自分と彼女しかいないのではないかと思えるくらい、彼女との会話を楽しんでいた。

「じゃあ横浜から来て、山家くんも学生寮で一人暮らしなんだ。お父さんは……」

「地元にいる。法律の仕事をしてて、弁護士じゃないんだけど……」

「……ちょっとめずらしいケースなのかな?」

「え?」

「ほら、工科の人たちって、親が、そういう技術者とか研究者だったりする場合が多いって聞いてたけど、それとは違うみたいだから」

「そうだね、キド研のみんなも自分以外はみんな工学畑の家らしい」

「どうして知瀬に来たの? 首都圏なら学校なんてたくさんあるのに」

「地元が窮屈だったってのもあるけど……その、中一のときあるドキュメンタリーを見て、それで……」

 それだけが、というわけではないのだが理由の一つであると割り切って話す。

「どんなの?」

「昔の、旧冷戦時代のアメリカとソビエトのロケット開発競争のやつ。多くの人たちが宇宙や月をめざして奮闘するのが、その……すごいことだと思って」

「うんうん」

 顔を近づけられて、ドキッとする。

「だからリベラルアーツ的な学問より、専門的で実践的なことを教えてくれる、ここの工科に入りたくなったんだ」


 この時代では子供の社会進出は早い。記憶力、学習力を著しく高めるデバイスの一般的普及や教育方法の合理化が昔よりも大きく進歩したからである。

 加えて科学技術の開発特区として、知瀬市は進取の気風に富んでいる。そこにおいて教育機関の旗手ともうたわれる星緑港は、莫大な予算を投じられた市立高校であり、諸々の設備も非常に充実している。卒業後の能力試験さえよければ引く手あまたであり、ほぼ旧時代の大卒もしくは院卒とすら見なされていた。専門の研究所に入る例もざらであり、そうした打算もあった。


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