第三章 湧き起こるのは
(1)
なにか挨拶を、と思うのだが呂律がうまく回らない。
「ああ、ごめん。渡り廊下で姿がみえたから」
先ほどの奇行を視られたのだとわかり、顔から火が出そうになる。
「あぁ……」
上ずって意味のない相づちになってしまう。親指の爪を人差し指の腹に食い込ませて、冷静になろうとやっきだった。
「フフッ、うれしそうだったけど、いいことでもあった?」
「う、うん……ちょっと、ね」
「ふーん……」
好奇心がにじんだやや意地悪なほほ笑み、初めて見る彼女の顔にどぎまぎする。
「それより、この後、空いてるかな?」
「えっ、空いてるけど」
「それじゃあ、夕食一緒にどう? ごちそうするよ」
「え……?」
あまりに突拍子のない事態に理解が追いつかない。
「この前、お礼するって言ったじゃない」
一瞬なんのことかと、考えを巡らしたが、上級生にしつこくからまれて難儀している彼女を助けたようなことをしたことを思い出した。
「うん……行くよ、そんな時間だしね」
どんな時間かと心の中で自問する。
あ……。
そんな礼をされるほどのことじゃない、と謙遜すべきだったのではないかと思い直した。ずうずうしくて無作法な人間と思われたくはない。
「それじゃあ、決まりね、行こう」
そんな自分の懊悩などなんの意味もないとわかる彼女の実直さであった。次の返事もまとまらないまま、歩き始めた彼女の後に続く。
行く……どこへ行くんだっけ……?
うわの空になりかけたが、食事に行くのだと思考を整理した。
え? いいのか、そんなの……?
なぜ、そう感じるのか自分でもわからない。こちらの動揺に気づいた彼女が振り返った。
「そんなに固くならなくても大丈夫だよ。いろいろあるとこだから、山家くんの好みも見つかると思う」
「あ、うん……それで、なんて……お店?」
「それは着いてのお楽しみ、さぁ」
彼女に手を引かれる。柔らかくて、ヒヤリとした手の感触に鼓動が波打つ。
なんなんだこの感じ……
子供のように手を引かれて歩いているだけ。なぜそれだけのことで心がかき乱れるのか。
単純に女性慣れしてないだけか……。とりあえず考えるのは後だ。今は自然に振るまおう。
心中でそう決意しても、取り巻くような視線が気になり始めた。一学年のアイドルが男子生徒の手を引いて歩いていれば、おのずと注目の的となる。
穂高はつい顔を伏せるような歩き方になってしまったが、彼女は気にもとめない。慣れているのだろう。この時間に帰宅する生徒たちは普段、まっすぐに無人車(UV)乗り場に向かうので、ここは静かな時がほとんどだが今日は少し異なる。イベントの告知をみるためにやや遠回りしてここを通るのだ。
星緑港では、毎月末にちょっとしたイベントをやる。ダンスやライブ、演劇などの催し物が開かれ、専門の異なる生徒たちの交流の場ともなっている。
表向きは、生徒たちの創意工夫を鼓舞するためのものとの名目だが、ちょっとしたコンパの趣があり、学校もそれは容認していた。公序良俗に反しない限りは、であるが。そのイベントの宣伝で校門前は人でごった返していた。
「こっち」
手を引かれながら人ごみをかきわけて進む。彼女を見失うまいと、目でも必死で追う。
これ……どこかで……?
「ふぅ、大丈夫?」
ようやく校舎沿いの歩道に出て、彼女がハンカチで汗をぬぐった。
「うん……、〈月末祭〉が近づくとこれだね」
先ほど彼女と再会してから初めて自然にでた言葉だった。
「にぎやかだよね、この学校って。うちの部はなにかやるわけじゃないけど、なんとなく楽しくなる」
そう言いながら髪を直す彼女の横顔に夕日が差し込んで、なにか霊性でも帯びているように穂高には見えた。
なんだろうこの娘……? なにか……おかしな気持ちになってくる……。
それがなんであるか、概念化できない自分をもどかしく思った。
ずっと見続けていたかったがすぐに視線をそらした。
「かなー」
ふいに走ってきた少女にハッとする。
「
彼女の知り合いらしい。活発そうな印象で、髪を両おさげにしている。体格はかなり小柄。
「さっき先輩たちと話して、今月の月末祭、女子バドと合同でダンスやるんだって、それで奏に出てほしいんだよ。あっち背の高さを売りにしてるでしょ。だからうちは、なでしこたおやめでいきたいんだよね。だから、奏が出てくれれば」
「千緒、待って、今日は都合がつかないから……。その話はまた明日ね、ごめん」
あまりに早口で少女が話すからあっけにとられたが、彼女は手振りで少女を制した。
「山家くんごめん、行こう」
「う、うん……」
彼女がそう言うと、千緒という少女は初めて隣にいた穂高が〈連れ〉であったことに気づいたようだ。男を連れているなんて思いもよらなかったのか、目を見開いて呆然としている。
彼女を追って歩き始めても、まだこちらを凝視しているようで、背中にやたら視線を感じた。
「千緒、ごめんね」
改めて、彼女が振り返り、手振りとともお詫びを告げた。
少女も、手をLの字のように曲げて返すが、表情はまったく変わらなかった。
「ごめんなさい……ふふっ、謝ってばっかりね、私」
「い、いや……」
「うちの部の子、明るくて元気な子だけど、ちょっと元気すぎるとこがあってね……びっくりしたでしょ」
「うん、すごかった」
自然な感想がこぼれた。失言かと思い、とっさに口元を押さえて、横目で彼女を見やる。
「アハハ!」
大笑いだった。
「ハハッ」
こちらもつられて笑ってしまった。
三崎奏さんか……。
穂高は、少し自信がついたような気がして浮かれた気分になってしまった。
で、あるので別方向の後ろの三人の視線にも気づかなかった。
「あいつ、マジか……」
「うそ……、あれ三崎奏だよね」昌貴と芳子が唖然とした様子でつぶやく。
「これは、とんだ野暮を働くとこだったね」と、斎が笑う。
やはり、穂高を食事に連れて行って発破をかけてやろうと追ってきたところ手をつないで歩いているようにみえた二人を目撃して悪趣味とわかりつつも、つけてきたのである。
「ふーん、意外とやるもんだな穂高ちゃんも」
「えぇ? そういう関係?」
意外そうな表情で両手を頭の後ろに回して昌貴がぼやくも、芳子はまだあの光景に対する理解をまとめきれないでいた。工科の彼女も三崎奏が、人気の女生徒であるくらいのことは知っている。
「ま、いいんじゃないの、これがあいつのパワーにでもなってくれれば」
「女性とのお付き合いが、男の活力に直結する、ということ?」
どこまでも能率性の向上に意識がいってしまう斎である。
「そう言えんのかどうかは知らんけどさ、いいとこ見せたくなっちゃうだろ、たぶん」
「変に色気出して、ヘマやらかさなきゃいいけどね……」
ため息とともに吐き出した言葉だった。
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