第四章 恋患い

(1)

 ランチタイムの学生食堂は、行きかう生徒たちでごった返していた。月末が近づくにつれ、更新前のフードスタンプを消化するために、混雑の度合いも増していく。

 普段は簡単にパンなどで昼食をすませてしまう穂高も、今日はキド研の四人と食堂の一角にいた。

「うぅ……」奇妙なうめき声と共に、空になった皿の底をスプーンでなぞる。

「う~、う~」

 昌貴の物まねも意に介さない。

「なにやってんのよ、あんたたち」芳子が呆れたようにコップを置いた。

「昨日の機動実験、まだ少しスコアが……もう少しほしいかな」

 スコアというのは、どれだけ事前に策定した軌道に準拠した動作ができたかを成績表のように評価したものである。

 好き放題動きまわればいいというものでもなく、どれだけ精緻であるかも真人たちは重要視している。

「かなりよくはなってきているが、この第四パターンが、うん……」

 真人がEノートに目をやりながら言う。

 十分強しか持ち時間がないマシン展でのパフォーマンスの最後に予定しているものであり、これが今一つ穂高はこなせないでいた。多元的な操作が要求されるうえ、失敗したら機体が破損する恐れすらある。


「やはり……、ここは削ろうか?」

「今からそんなこと……! もったいないです」

 真人が作ってくれたマニューバであり、自分の技量不足でカットするのは忍びない。

「今日の試験でちゃんとものにしますから」

「それなんだけど、今日の屋内試験でグリップを変えてみよう。今使ってるやつは固すぎる気がして」

 斎がビニールで梱包されたグリップレバーを手渡した。真新しいものであり、おそらく彼の実家の研究所の発明品であろうと穂高は思った。斎の実家は時田機動の系列の研究所を経営していると聞いている。

「パーツの問題じゃないさ、俺が……」

 ふと、三崎奏との会話を思い出した。彼女は、なに一つネガティブなことを口にしなかった。常に前向きで、知らないことを知ろうと努力できる女生徒だった。

 後ろ向きで否定的な男は、彼女も好きではないだろう、という思いが脳裏をよぎった。

「そうだね……」

「穂高?」

「ほかになにか気になることでも?」

 真人と斎が怪訝な表情をして穂高の顔を見ていた。

「いや大丈夫、これでうまくやってみる」

 グリップレバーを手に取り、感触を確かめた。

 すでに実試験は四回行っており、残すところ最後の一回を、これまでとは違う第四実習館で行うのみとなっていた。ここは学校でも最新の建造物であり、円形の天井が開閉するという大掛かりな機能を備えている。普段は、陸上、ラグビーなどの運動部に使用されることが多い。

 予鈴が鳴ると、五人は各自の教室に向かった。


 五限目は世界産業史だったが、教科担任は出張ということで、課題を渡されており、それをただこなすだけだった。そうなれば、自然とあちこちでおしゃべりの花が咲く。

 この講義では、特に話す相手も穂高にはいなかったので黙々と課題を進めるのみとなったが、ふと後列の席の雑談が耳に入った。

「聞いたか、あの噂。三崎奏に……」

「ああ、彼氏ができたってんだろ」

 心臓が止まったのではないかと思った。Eペンを止めて、神経を張り巡らして聞き耳をたてる。この講義は科が関係ないので、おそらく文科生だろうと予測した。

「ただの噂だろ」

「男と手をつないで歩いてたって話だぜ」

「つないでたっていうか、ペットを引っ張るような感じだった気がするけど」

「先週の水曜だろ、俺は見てないけど」

 どうやら自分とのことらしいとわかり深く安堵する。口をかすかに開いて、聞こえないように息を吐きだした。


 ほんの一分程度歩いただけなのに、噂になるなんて……。


 奏の注目度の高さに瞠目する。

「どんなやつ?」

「さあ、でも一年じゃないのかたぶん」

「でもあいつ、男子テニス部の垣本ってのと付き合ってるって話もあるよ、二年でキャプテンやってる」

 再び息が詰まる。荒くなりそうな呼吸を必死にコントロールしようと、両手を長机につけた。振り向きたくなる衝動をこらえて、唇をかんだ。

「ああ、見たことある。見るからにさわやかそうな青春男って感じだった」

「本人も、俺様がふさわしいとか思ってんじゃねえの」

 後列の男子生徒たちがケラケラ笑う。穂高は指を動かせなくなっていた。

 三崎奏とは、あの日マンションで別れて以来会ってない。

 あの時の〈お礼〉が済んだ以上、もう自分とはなんのつながりもない、という現実に心が押しつぶされそうになる。

 この学校の工科と文科では校舎も異なり、物理的な距離がある。窓から見えるすぐ隣程度の距離でも学校ではすれ違うことすらないのだ。奏とは近くて遠いところにいるのだと痛感する。

 部室棟でさりげなく挨拶するということもできるだろうが、やはり意気地がないやり方だと思えてためらわれる。

 そもそも彼女の心がわからない。

 たった一度食事に行ったくらいで好意をもってもらえるとは、穂高にはとても思えない。


 そんな単純な人じゃないだろう……。


 少し交流を持った程度でずうずうしく距離を詰めてくる勘違い男と思われるのは耐えられない。そんな繊細さも穂高にはあった。

 でも、このままじゃなにも変えられない……。

 なにか一歩踏み出さなければならない、ということはわかる。

俺は、どうしたいんだ……?

 男女としての交際が目標とわかっていても、漠然とし過ぎて明確になってくれない。


 理屈じゃないんだ、感情ってやつは。数学のように定められた公式も、必然として至る解答もない……。


 この想念は、どこから発しているのか。


 ただわかるのは、俺は三崎奏さんが好きで、彼女にも俺を好きになってほしい、ということだけ……。

 焦点の定まらない目でノートを見ながら、指を遊ばせる。

 どうすればいいんだ……。


 彼女持ちの同級生たちを思い出す。彼らがそこに至ったプロセスを知りたくなった。


 ネットならいくらでもあるんだろうけど……。


 なにか、そういうのに頼るべきではないと思える。リアリティのある情報が欲しいのである。

身近な人間への相談という選択肢が浮かび、自分のここでの人間関係を整理する。

クラスなんてものは、大学の要素を持つこの学校ではあってなきものであり、一部の共通、演習講義での同期たちがクラスメイトに近い存在となる。その生徒たちとは多少会話することはあるが、こんな赤裸々な話題を振れるような仲ではない。やはり、キド研の四人が候補になると思える。

 まず部長である時田真人。今付き合いのある女性はいないようだが、ちょっとした大企業の御曹司である。いくらでも、そういう縁はあるであろうし、工科の数少ない女生徒たちの一部からは憧れの視線を送られていることも知っている。社交にも強いだろうが、なにぶん研究一辺倒な性格であるため、こういう話題には興味がないかもしれない。

 次に、葛飾斎、中性的な美少年であり、やはり彼も研究、学業第一の工科生である。その端正な顔立ちから、時折女生徒が足を止めて彼を見ることがある。しかし、本人の恋愛観といのがどうにもつかめず、こんな話を持ちかけても困らせるだけのような気がした。

 続いて、神北芳子、ゲラゲラ大笑いされるさまが予想できるので、速攻で候補から除外した。

 最後に井上昌貴。


 やっぱりこの手の話題は昌貴だよな……。


 見た目はちょい悪学生だが、人当たりはよく冗談好きで笑いを取るのがうまい。運動系のクラブから助っ人の依頼が来るほどスポーツもこなして見せる。何人かの女子と遊びに行くところをみたことがあり、直接聞いたわけではないが中学の頃からかなり遊んでいたような印象がある。


 話せば力にはなってくれるだろうけど……。


 馬鹿にされるようなことはないだろうが、ああいう社交性というのは一朝一夕で身につくようなものではない、と理解はしている。

 考え込んで視線を落とすと、鞄が少し開いてるのが見え、そこから先ほど斎から受け取ったグリップが光を反射した。


 な、なにを考えてんだ俺は……⁉ マシン展は来週なんだぞ……!


 昼食時の決意を思い返し、恋患いなどで懊悩している自分を叱りつけた。

 こんな悩みを抱えて失敗しようものなら、みんなに詫びても詫びきれない……!

 両手で頬をぴしゃりと叩いた。

「どっちにしても、それが終わってからだな……」

 つい口に出てしまった。それと、同時に終了時刻となった。

 

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