(2)
講義終了とともに、第四実習館に向かう。レックスをはじめとする機材一式は昨日のうちに、学校に勤めるエンジニアに頼んで運んでもらったため、部室によることもなく直行である。
少し離れた場所にあり、行ったことは穂高も数回でしかなかった。工科の入る二号館の二階からも長大な渡り廊下で接続されており、そこにやってきたのだが、
「……? ええぇ……」
そこのオートウォークがメンテナンス中であり、そのために全体が通行止めとなっていた。
一階におりて、そこから歩いていくしかないか、かなり遠回りになるけど。
ツキの無さを嘆いた。
第四実習館までの細長い道沿いには、野球場やサッカーグラウンドが広がっており威勢のいい掛け声があちこちで響き活力のある空間となっていた。
ここは……。
グラウンドを横目で見る。シュートが決まり、部員たちがハイタッチで喜び合っていた。その光景は、穂高にはまぶしい。
この学校のスポーツ館は、やはり巨大なものでありサッカー専用の施設もある。手首に巻き付けたリストバンドに触れるだけで、ボールを出せたりする機能やシュートを阻止する動く的など、レジャー施設のような面白さがある。
たまには行ってみるか……。
何度か利用したことはあるが、その近くでやっているフットサルには参加したことはない。誘われたことはあるが、下手だからと言って断った。つらい思い出を、よみがえらせたくなかったからである。
急ごう……。
早足でその場を通り過ぎた。
あっ……。
次に見えたのはテニスコートだった。ここも規模が大きく、見えるだけで十二面はありそうだった。手前を男子、奥の方は女子が使っているようである。
顔をやや伏せる。
なんでもないかのように歩くが、やはり心穏やかというわけにはいかない。この中のどこかにいるはずの彼女が気になって、軽くめまいまでしそうであった。心なしか、呼吸まで乱れはじめたような気さえする。
目に入るようなことがあったらまずい……。
それが彼女にとって迷惑と思ったからなのか、自分が恥ずかしさに耐えられないからなのか、そのどっちであるかはわからなかった。
はやく通り過ぎようと、うつむいた顔を上げた。
うん……?
路傍の芝生になにかいるのが見えた。距離が近づくと人であるとわかった。この暑くなる時期に黒い帽子などかぶっている。片手をポケットに入れて、もう片方の手でなにかを持って、うろちょろ行ったり来たりを繰り返していた。
なんだ……?
通り過ぎる際に横目で一瞥する。
「……!」
視認できずともかなりの勢いでこちらを振り向いたのだとわかった。しばらく凝視していたようだが、再びウロウロし始める。が、次の瞬間止まると、ポケットに両手を入れて大股で立ち去って行った。
気味が悪かった。多少気になったが、元の道に向き直る。そこに誰かが歩いてきた。テニスウェアを着た女子生徒のようだが、怒りを感じる歩き方をしている。まっすぐ穂高のところに向かってきて、いきなり口を開いた。
「あんたねえ! いい加減にしないとセキュリティ呼ぶ……⁉」
いきなりヒステリックにわめかれたので目を見開いてしまった。
「え?」
こちらの反応と同時に少女が硬直する。
「あ……」
数秒間、真顔でのにらめっこになった。
「……あ、あの」しばしの重苦しい沈黙を破って少女が口を開いた。
「えっと……、ごめんなさい、人違いでした」
「そ、そう」
頭を下げて謝ると、上目遣いでこちらの顔を見た。すると、一瞬驚いたような顔になったかと思えば、今度はまじまじと見つめてくる。
な、なんなんだこの人?
「あなた、この間の……」
「えっ」
そう言われて、奏と食事に行った日に校門近くで遭遇したあの少女であると気づいた。あの時は髪を両おさげにしていたが、今日はサイドテールだった。
確か……ちお、とか呼ばれてたっけ?
マシンガンのようにしゃべり続けていた彼女を思い出す。
「あなた……奏に会いに来たの?」
「いや、違うけど……」
ドキリとした。冷や汗すら出てきそうだったが、はっきり否定する。
「隠すことなんてないよ」
「違うって、これから、この先の第四実習館に行くんだよ。うちのクラブの活動で」
「……ふーん、なんてクラブ?」食い下がってくる。探るような目つきが輝きを帯びた。
「だからキド研の……」
「誰それ?」
「……? い、いやそうじゃなくて」誰かのあだ名と思われたらしい。
「うちの部だよ」
「キドケン部? そんなの聞いたことない」
さっきから会話がかみ合わない。ついイラついてしまう。
「だから機動機関……!」
「おい」
振り返ると、四、五人の男がいた。テニスウェアを着ておりテニス部の男子とわかる。
「あ……」敵意のある視線に緊張が走った。
「そいつか、例の……」
「違う!」いきなり少女が穂高の前に立って叫んだ。
「この子は関係ない」
フォローしてくれているようだが、子呼ばわりが引っかかる。
「ほんとか?」
まだなにか疑われているようで、さらに三人ほどやってくるのが見えた。
「この子は……私の……弟!」
「え……?」一体なにを言いだすのか。
「いいからこっち来なさい!」
腕を握られた。自分より頭一つは小さいであろう少女に弟と呼ばれ連行される。わけがわからず混乱の極致だった。
「杉岡の弟だってよ」
背後の声でとりあえず誤解で誤解を解いたのだということはわかった。
ずんずんと歩く少女に引っ張られて、コート沿いの道の向かい側にある水道場で解放された。困惑の目で千緒なる少女を見た。
「あの、ごめん……色々」
「別にいいけど……、なんだったの?」
「ううん、うちの部の問題、勝手に巻きこんじゃってごめん」
思いのほか丁寧な態度であった。そのうえ申し訳なさそうな顔をされれば、もうそれ以上追及する気にはなれなかった。
「まあ、いいけど……」
「ところで」
「なに?」
「ほんとに奏に会いに来たんじゃないの? 私、取り次いでもいいよ」
「……ッ! ほんとに違うって! これからレックスを……!」いい加減くたびれてきた。
「ああ……! もう俺行くよ! 仲間を待たせてるんだから」
「あ……、うん、ごめん」
「そんじゃ、失礼します! お姉さま!」
渾身の嫌味のつもりだったが、少し歩くと背後から変な声音の大笑いが聞こえてきた。もう振り返る気にもなれなかった。
「おそーい!」ようやくたどり着くや芳子に怒鳴られる。
「ごめん、すぐ準備する」
道中でのことを説明しようかと思ったが、言い訳がましいことは言いたくないと思い、すぐにここにも設置されているコックピットキューブに入り込んだ。
「ああ、来たか穂高」
中はそれなりに広く、真人と斎が既にシステムを立ち上げ、調整をしていた。
「すみません遅れて、すぐに取りかかります」
「更新はもう終わったよ。後はグリップを取り付けるだけ」
「ありがとう」
カバンを開けて、昼間受け取ったグリップレバーを取り出し、開封して接続部に取りつけた。あっさりはまり、反応を確認する。
「問題ありません」
「よし、始めるぞ」
真人と斎が出ていく。鞄を後部座席に置いて、深呼吸。ハッチが閉じられ、真っ暗になるやシステムが軌道し、光のラインがコックピットの形に沿って表れる。VRヘルメットをかぶる。むろん内部にもモニターはあるのだが、使い慣れているこれを使う。自宅で夜遅くまでやったシミュレーションを思い起こし、グリップを握った。
「試験開始!」真人の声が、スピーカー越しに響くと同時にペダルを踏みこんだ。
一通りのパターンをこなし、予定していた訓練を終えることとなった。ほとんど休憩を挟まず百分近くに及んだ試験だったが、のめりこみ過ぎて時間の経過すら忘れていた。ゲーム的なおもしろさもさることながら、指定の企業に発注したものとはいえ、自分たちが製作に関わったマシンを実際に動かすというのは思いのほか興奮を伴うものであり、達成感も感じていた。ネックになっていた第四パターンもつつがなくこなしてみせた。
「やれたんだな……」
そんな感嘆を口に出すと、息を切らしていることに気づく。張り詰めていた気を緩めると一気に、疲労の波が襲ってきた。しかし、今はそれもどこか心地よい。備え付けておいた、ドリンクボトルを取りストローで飲む。ただそれだけの動作にすら気だるさを感じるほどだった。
コールがかかってきたのでモニターをつけると、昌貴が覗き込んできた。
「今、管理人と話してきたぞ。十七時半まで、あと四十分くらいだな。それまでは大丈夫だ」
そういわれて予定の時間を既に超過していたことに気づいた。
「わかった、最後にもう一度……」
「いや、もういい」横から真人が現れた。
「さすがにもう疲れただろ。後はデータの確認と機体の点検で終わろう」
「まだやれます」
「実習規則なの! 眼精疲労でも起こされたら、部長の責任問題になっちゃうでしょ!」
今度は下から芳子がヌッと飛び出てきた。
「穂高は少し休んでくれ」と、斎の声も聞こえた。
「さっさと出てこないと強制的に開くぞ!」再び芳子。
計画していた全てをようやく終えることができて、彼女も少しハイになっているようである。
「わかったよ」
内部はほとんど電子パネル操作だが、開閉には正副二つのスイッチがあり、それを押してハッチを開いた。それと同時に風が一気に入り込んで顔にかかって、すがすがしい気分であった。
実習の充足感で顔が緩んでしまう。VRヘルメットをシートに置くと、コックピットキューブから出て、少し離れた地べたに腰を下ろした。
管制を行っているスペースに目をやると真人と斎が話し合っており、芳子は気ぜわしく動き回っていた。うまくいったという興奮、ここからみてもそれが伝わってくるようだった。
両手を頭の後ろに回して仰向けになる。天井は開いており、赤み始めた空を見上げる。空に向けて手をのばす。
軌道基地が発する光サインが見える時があるっていうけど……。
それはまだ見えなかった。
五分ほど経った。
最後にもう少しやっとくか。
操縦席に向かう。今日の操作データを改めて確認しておきたい。
ハッチを開きっぱなしにしたままメットをかぶり、システムを立ち上げる。どのパターンも八割超といったところである。
及第点なんだろうけど……。
ここで満足していたら、だめかもしれない。そんな強迫観念もあり、さらに練度を高めるための方向性を考える。
「あ、あの……」
横合いから、か細い声がした。
VRヘルメットをかぶっていると、近くの音がどうも遠くなり、誰かわからない。高めの声とわずかに見える細い影から芳子と判断。
「最後の確認だよ。これくらいやらせてよ」またぞろ規則云々言いに来たのだろう。
「ちょっと忙しい?」
「見ればわかるだろ」なにを言ってるんだ、と思う。
「それじゃあ、向こうで待ってるね」
「そうしてよ」
「ごめん……」
そういうと影は見えなくなった。
なんなんだ、上北のやつ。
いきなりしおらしくなった芳子に当惑したが、すぐ集中を取り戻した。だいたいを終えて、後部席に置いてあった鞄を取って出ることにした。
「あんた休んでなさいって言ったでしょ!」いきなり芳子の怒号に急襲された。
「へっ?」
先ほどのいじらしさはどこへ……?
穂高は芳子が躁鬱でも発したのではと心配になった。
「上北、君……だいじょうぶか?」
「なにがさ?」変わらずぷんぷん膨れており、お互い怪訝な表情になる。
「ああ、終わったんだね」
芳子の後方から斎が出てきた。
「穂高、お客人がみえているよ」
「えっ?」
「あちらに」と手振りで示した先には女子生徒三人が、シートに腰を下ろしているのが見えた。一人が立ち上がり、こちらを見て一礼した。この距離でも穂高にははっきりわかった。その少女は三崎奏であった。
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