(3)

 動けなくなった。目を見開いたまま立ち尽くす。手から生じた汗が指先からしたたり落ちる。

 ずっと会いたいとは思っていたが、彼女のほうからやって来てくれるとは想像していなかった。こちらに向かって歩いてくる。目をそらしたい衝動にかられるが、それはできない。

 思考が追いつかず、言葉の構築が遅れる。相変わらず自分は急場に弱いのだと実感する。奏が斎に黙礼すると斎も会釈で返してノートに目を戻し、そのまま行ってしまった。

「ふーん、それじゃごゆっくり」

つまらなそうに、つぶやくと芳子も管制スペースに移動した。それと同時にさきほどのやさしげな声が奏の者であったと気づいた。邪険にするかのような対応をしてしまった自分を呪った。

「こんにちは、山家くん。フフッ、もうそんな時間でもないけど」

 奏が笑う。

「こんニチワ……」

 機械音声のような返事声になってしまった。前と違って直視することすら今の穂高にはつらく感じられる。自分の感情の方向性をはっきり認識したせいであろうか。

「さっきはごめんね、忙しいところ邪魔しちゃって」

「い、いや」

 君とは気づかなかった、と返答しかけたが、それはそれで失礼だと思い口をつぐんだ。


「あの、ここに来る途中……」

 奏がなにかをいいよどむ。そこにいきなりあの小柄な少女が飛び出てきた。

「追い払ってくれたんだよ、あの男をさ。俺が相手になるぞーって感じで。みんな助かっちゃたよね」

 と、隣にいたウェーブがかかったセミロングの少女に向き直って話した。

「はい、とてもかっこよかったです」

 妙に間延びした声だった。


 助けた……? なにを?


 またしても状況が読み込めない。ただ、なんとなくテニス部の問題に関係していることではないかと察した。


 さっきこの娘はうちの部の問題と言っていたが……。


「あの、こっちの子は同じクラブの香月こうづき結実ゆうみ、それでこっちは……」

「杉岡千緒! ……お姉ちゃんだよぉ」

 先ほどの皮肉が気に入ったようで、穂高をおちょくるような不敵な笑みを投げかけてきた。にらんでやりたかったが奏の前ということもあり自重する。口をかんで顔をそらした。奏が怪訝な顔をする。


「えっと、それでなんだっけ……?」まずいと思い、とっさに話題を戻す。

「あ、うん、また助けてもらっちゃったね……」

「また……?」

 また、がなにかわからない。一つは前に上級生にしつこく言い寄られていた彼女のことを助けたことであろうが、もうずいぶん昔に感じられた。だが今日はなにもしていない。

 口に手を当てて、考えていたところ後ろにいる千緒がぱちくりとウインクを繰り返し始めた。

 話を合わせろという目くばせ、なんだろうがアイサインに慣れていないのか、故障して異常動作を反復する電機人形のようであった。

「べ、別に大したことじゃないけど……」心中の混乱を静めながら、奏の様子をうかがう。

「その、説明しづらいんだけどうちの部、よく思ってない人もいるみたいで……」

 奏が顔を伏せ気味に話す。心苦しそうであり、なにかを耐えるような表情をたたえている。彼女の黒髪ですら、悲し気に揺れているようにすら見えた。

 穂高の胸の奥がざわめく、俄然そこにあるものに火がついた感覚が走った。

「それで……いやがらせ、というかトラブルめいたこと事が最近よくあって……みんな少しピリピリしていて」

 穂高はここに来るまでの道中を想起した。


 あの帽子をかぶっていた男か? なにか不審な挙動をしていた。


「でも、まさか……! 山家くんを巻き込んじゃうなんて……! ほんとに……ごめんなさい……」

 そう言って頭を下げる奏を見ているだけで、胸をかき乱される思いがした。

「いいよ、そんなことは……」

 頭に血がのぼる、怒りが血管を駆け巡る。許せない、と感じた。彼女を脅かすなにかを。

「まあまあ、なにごともなかったんだからさ、もういいでしょ」

 いきなり前に飛び出てきた千緒が屈託なく笑う。君が言うな、と口に出したかったがやはり奏の手前自重した。

「そうですよ、ケガ人もなくてなによりです」

 もう一人の連れの少女、香月結実が口を開いた。そのどこか脱力する声音で、高揚しきっていた闘争心も冷めていくような気がした。


 こんなにおっとりしてて……。


 テニスボールを追えるのだろうか、と疑問に思えたが、今はそんなことはどうでもいい。

「ともかく、奏さんが気にするようなことじゃないよ」

 言ってしまってから、またしても彼女を名前で呼んでしまったことに気づく。

「あ……ありがとう……」


 ……しまった……。


 今回は奏も、顔を赤らめて視線を落としてしまった。苗字のほうも名前のような響きなのでつい間違えてしまった、ということである。

 一瞬目が泳ぎかけたが、穂高から見て右にいた千緒のニヤけ顔が視界に入り、意地になって視線を戻し、顔の筋に力を入れた。

「そんなことより、あれ……、どうかな? ようやく形になってきたんだけど」

 沈黙を打破せんと、とっさにレックスを手振りで示した。奏も目を開いて、穂高が示した先を向いて視線を移した。

「ああ、前に言ってた……えっと、ロボット」

「多用途複合環境適応機」

「なにそれ?」

 千緒がいきなり割って入った。

「様々な環境に応じて最適な移動ができる……まあ車みたいなもんだよ」

 わずかに目を細めながらも、あえてつたない説明をした。まだすべてを話していいのか、他のメンバーに聞いた方がいいような気がした。

「完成したんだ。フフッ、さっきまで一生懸命だったもんね」

 奏につっけんどんな態度をとってしまったことを思い出し、顔に熱が走る。しかし、彼女が以前のような笑顔を取り戻してくれたことにうれしさも感じていた。


「よくわかんないんだけど」

 こっちを向けとばかりに説明を催促する千緒。苛立ちを奏に悟られないように千緒に向き直る。

「つまりさ、平らな道なら車輪で走る。でこぼこした道なら足で歩く。それで……その両方が難しいなら浮遊していくって感じで、外部の環境に最適な形態を選んで、それで移動するためのマシンだよ」

「足って、機械の足でしょ。それはどこに……」

 奏がレックスの下の部分を観察するように視線を向けた。

「今は収納してあるよ。レッグで歩くっていうのは、ホイールで走るのに比べればやっぱり負担が大きいからね。地上じゃもっぱらホイールのほうが使用頻度は高いかな」

「ああ、そうだよね、四足で走る車なんてないものね」

 髪を直す仕草に、ドキッとする。相変わらず好奇心が強いようで興味ありげに機体全体を見回している。


 ほんとは二足なんだけどね……。


「でもなんで?」またしても千緒がくちばし横から突き入れた。

「え?」

「なんで、そんなトッピング全部乗せラーメンみたいなの作る必要があるの?」

「なんでと言われても……」

「使い分ければいいじゃん、車は車、馬は馬で」真顔で質問してくる。

「そこは……、技術実証として可能性を追求するというか……」

「なんか得することでもあんの?」

 返答に窮して押し黙る。

 じゃあなんで君はテニスなんかやってんだよ⁉ と叫びたい衝動に駆られたが、やはり奏への配慮を優先せざるを得なかった。

「千緒……!」奏が叱ってくれた。 

「失礼ですよ」と、結実の援護。

「はい、はーい」ふてくされたように、両手を頭の後ろに回して、体をそらした。

 別に気分を害したわけでもないのだが、千緒のなんで、が妙に引っかかる。


 なんで、と言われてもな……、文明の始まりなんてそんなもんじゃないのか。


 思考が大仰になり過ぎて、自分に呆れた。

 そこまで考えた時、いつの間にか普通に奏と話ができるようになっていたことに気づいた。


 あいつの……おかげ、か?


「それで、浮遊っていうのはプロペラかなにかを使うの」

 奏がフォローするように質問してくれた。

「いや、バーニアスラスタ……噴射装置を使うんだ、底部と側部に装着させてある」

「え⁉ そんなことができるの?」

 元々宇宙空間で使うためのものだが、この時代ではかなり一般的に普及しており、大型の貨物輸送機などでも使用されている。文科の彼女でも相当な出力を要するであろうということは、感覚として理解できるようだ。

「うん、指定した企業に頼んで調達してもらった最新の水素エンジンだから、旧来のバッテリーよりもずっとパワーがある」

 と、言ってもエンジンは真人の担当であり、穂高自身は触りの知識しかしらない。実物は彼の実家の時田機動の提供であるが、真人はそれにかなり基礎的な部分から関わっているようであった。

「じゃあ、ほとんど飛ぶって言っていいくらいなんだ」

 奏が改めて機体の全体を見回す。心底、驚いているようで、自分が褒められているような錯覚すらしてきた。

「うん、実際さっきまで飛んでいたし」

「この黒い箱みたいなのが? ……なんだか空飛ぶ霊柩車みたい」

 どこまでも遠慮のない千緒の物言いに瞳孔が小さく丸まってしまった。

 しかし、彼女も多少は興味が出てきたようだ。

「ねえねえ、飛ばしてみてよ」

「今日はもう無理だよ、システムを落としてしまったし……、時間ももうない」

 と、壁に投影されている電子時計に目をやった。既に十七時十五分になろうというところだった。

「ええぇ」千緒が不満そうに口をとがらせる。

「千緒、無理言わないの」奏がまた叱った。

「見たいなら来週、青沢でやるマシン展見に来ればいいよ」

 来るわけないだろうけど、と思いつつそうつぶやいた。

 そこに真人が歩いてくるのが見えた。


「やあ、お客さんかい?」

「部長、こちらは……」

「お邪魔してます。テニス部の三崎奏と申します」

 奏が真人に丁寧に一礼した。

「……ご丁寧にどうも、機動機関研究会部長の時田真人です」

 真人も礼を返す。

 このシンプルな挨拶でも、温和で圧迫感を感じさせず、なおかつ自然に振るまえる真人がうらやましく思えた。

 続いて、千緒、結実とも挨拶を交わした。

「君たち文科生だよね、こういうのはやっぱり物めずらしいかな?」

「ええ、文科でも機械実習というのはあるんですけど、最低限なものでトレーナーの指示通りにドローンを動かすだけです。型さえ整っていればそれでいいみたいで……」

「ラジコンみたいで、男の子たちはワイワイ楽しんでたけどね。あたしは苦手だな。大きな地上用の……ランドドローンっていうの? 乗りながらリモコンしてたら怒られちゃった」

 いかにもこの少女がやりそうなことだと、穂高は思った。

 真人がアハハッと笑う。

「工科は覚えることたくさんあって大変ですよね。私は純文系みたいで、物理の教科書ちょっと読んだだけでくらくらしちゃうくらいで」

 結実が手を頬にあてて、ぼんやりと話す。

「特別多いってわけでもないよ。それに一見複雑に見える公式でも、使いどころさえちゃんと心得れば……、ブレイクスルーっていうのかな、割と簡単なものだったんだと思えたりする」

 穂高まで教授を受けている気分になってきた。

「ここでも、一見すごいことやってるようにみえるかもしれないけど、それほど大したことじゃない。過去三十年の間に起こった機械革命なんかも、僕たちの生活のほんの少し延長上にあるだけのものだしね」

 AI技術やロボット工学の大幅な飛躍のことを指してそう呼ぶことがある。

「……それほど、遠いところではない……」


 え……?


 奏がなにか小声で言ったようだが、穂高も真人の話に聞き入っていたため聞き取ることができなかった。

 そして、真人の方へ振り向きなおした一瞬、彼女の視線を感じた気がした。

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