(4)

 夕食は簡単なものにしようという穂高の提案でレトルトのパスタとなったが、それでも奏はサラダやらスープやらを手を加えて作ってくれるので、ありがたいと同時に申し訳なくなる。

 手伝いたいけど、いつも断られてるからな。別のことで役に立つか。

「奏、俺ちょっとお風呂場とか掃除してくるね」

「うん、ありがとう」

 そういうとバスルームに向かった。

 スポンジで浴槽を念入りに磨く。


 風呂場はちょっとまずかったかも、昨日のこともあるし、変なこと期待してると思われたら……。


 頭を振って、続けるもほとんど汚れはなかった。


 元々の材質がいいんだろうけど、業者がやってくれているのかな。でも、自分と土谷さん以外の男がこの部屋に入るのは嫌だな。


 風呂掃除を終えると、今度は洗濯もやろうかと思ったが、下着類もあるだろうと考えそれはやめておいた。清掃用のミニマシンを廊下に展開するとリビングに戻り、ゴミ袋をまとめて玄関まで運んでしまい、一通りの作業を終えた。

 ダイニングテーブルでは既に、奏が調理を終えて配膳しているところであった。

「ありがとう」

「うん、こちらこそ……」

 二人で笑い合う。


 新婚さんじゃないんだから……。


 そんなことを思いつけば勝手に頬が紅潮してしまう。

 席に着いて、ミネラル水の入ったグラスをそっとぶつけて夕食となった。

「お昼から、なにも食べてなかったでしょ。ごめん」

「ううん、芳子さんたちには悪い気がしたけど……」


 あ……。


 千緒への八つ当たりめいた態度を思い出した。


 よくなかった、あれは……。あいつだってこっちを心配してくれただけだろうに……。


 今もこのことを気にして、心を痛めているかもしれない。あれで感傷的で線が細い性格であることは穂高とて心得ていることである。


 奏は誰より大切な人だが、それだけに意識を取られてちゃだめだ。他の人たちとの関係というのも大事にしないと……。


 目を開き、奏の方に視線を向けた。

「今日、杉岡には悪いことをした。今度……明日にでもみんなと遊べないかな?」

 それを聞いた奏は安堵したように微笑んでくれた。

「うん、後で聞いてみるね」


 うまくやるとするか。あいつも普段からあんな態度とっちゃいるが、別にお互い嫌い合ってるわけじゃないし……。


 フォークを持っている手が止まった。


 あいつ……。


「どうしたの?」

「い、いや、おいしいなって、ハハ……」

「フフ」

 パスタということで食べ方には気を使うが、どんどん口の中に入ってしまう。

 いつも他人の、調理機械が作ってくれる食事ばっか食べてるけど、自分のために作ってくれるご飯とは全然違うように思える。愛妻弁当なんてアホなのろけ言葉だと思ってたけど、少しは意味がわかったような……。

 レトルト食品だということすら忘れている。

「うん……?」

 奏がじっとこちらを見ている。何かノーマナーでもしたのかと硬直しかけたが、やたらニコニコしていた。

「……どうかしら?」

「おいしいです、はい……」

「そう」

「……ジロジロ見られると食べづらいです……奏さん」

「アハハッ!」

 そんなこんなの夕食であった。


 食事の片づけを終えた後は、いつものようにのんびりしながらお喋りを楽しみだけとなっていた。

 時刻は既に二十一時半を回っていた。

 さっきから時計をちょくちょく窺ってはいたが、なかなか帰宅する旨を申し出ることができないでいた。


 あんなことがあったからな……。奏も不安になってるだろうし……いや、俺が弱気になってるのかも……。


 どちらにせよそろそろ切り出した方がいいだろう。

「奏、俺、そろそろ……」

「……あの、よかったら今日も……」

 一瞬顔が固まった。今日も、がなんとなく色気っぽく聞こえた自分の煩悩を叱咤する。しかし自分の目の前に見える奏は頬に紅を差してうつむいている。思うことは同じようだ。

「で、でも……」

 慌てて取り繕う。さすがに二泊というのは、色々まずい気がした。今、寮には穂高を訪ねてくる人などいないので、どこでなにやってようが気にする人間もいない。内面的な情緒と奏の負担になるのではという配慮である。

「もうこんな時間だし、穂高のことも心配で……」

「平気だよ」安心させるように微笑む一方で、実直な欲望を抑えようと内面は嵐が吹き荒れている。

「お願い……ここで眠って、抱っこしてほしい……」


 そ、そんな顔でそんなこと言われたら……。


「……わかった」 

 もう断ることなどできなくなってしまうのである。


 風呂は奏が先に入り、穂高はその後にした。


 さすがに今日は……。


 乱入してくる気配はなさそうである。


 奏も羽を伸ばして休めるようになったんだ。あまり心配かけないようにしないと……。


 念入りに体を磨いて垢を落とす。トリートメントも少々拝借して体臭も消してしまいたい。湯船につかり、この後のことを考えれば、

「あ……もう……!」

 感受性豊かな青少年の心が体温をまずいくらいに上昇させてしまい、頭が朦朧としてくるほどだった。そうなれば、あのおかしな感覚もいつのまにかどうでもよくなってしまった。

 昨日と同じくベッドメイキングをしている奏を部屋の前で待つことになった。


 見られて恥ずかしいものなのかな……。別にいたすつもりじゃないけど……。あ……。


 自分自身の思考のいやらしさに頬をつねった。。


 お、俺はがっついてると思われたくないんだ……! それに奏のことは大切にしたい……。


 性欲はもちろんあるが、統御できないほどではない。まだ十五、十六という自分たちの年もある。


 そこまで盛っちゃいない、焦るようなことでもないんだ。


 そう結論したとき、入室を呼びかけられた。

「お邪魔します……」

「いらっしゃい……」

 音を立てないようにドアを開くと奏が、昨日と同じようにベッドに腰かけていた。


 う、かわいい……。


 じっと見ると、赤面してうつむいてしまった。


 へ、変質者みたいな歩き方はダメだ……! 堂々と……。


 たった数歩の歩みを思案する穂高。

 やはり昨日と同じように奏の横に腰を落とした。

「……」沈黙する二人。空調機の低音だけが鳴り響く部屋。ようやく言葉が出た。

「あの……今日は」

「……!」奏がわずかに身をかがめると、頬の赤みが一気に濃さを増した。

 そうじゃなくて……!

「今日はぼくが抱きしめてアゲル……!」

 くさくて上から目線な言いようになってしまったことを呪った。


 アホか俺は⁉


「あっ……」そう思った瞬間、奏が飛び込んできてそのまま押し倒された。

「ありがとう……」

「うん……」

 既に照明は落ちている。コンフォーターを引っ張り、上に掛けると、奏の肩をやさしく抱きしめた。奏は顔を穂高の胸に当てている。

「あの……」

「どうしたの……?」

「俺、変な匂いしていない?」

「いい匂い……」  

「そ、そう……」 


 自分じゃ自分の匂いってわからないからな……。これからは普段から香水……は校則上ちょっとまずいけど、ともかく消臭はちゃんとしよう。


「今度はなに考えてるのぉ?」甘えたような奏の声。

「だから匂いのこと……あ」うかつにも口を滑らせた。

「私の?」

「うん……。すごく、いい匂い……」事実なのだがアホな発言と思った。

「そう……よかった……」

 奏が安心したような声音とともに穂高の顔に顔を近づける。そのまま、静かに唇を重ねた。

 ぼんやりしながら天井を見る。


 話題……なにか……そうだ。


「ねえ奏、二学期……来シーズンもテニス部に入るの?」

「どうしようかな……。穂高との時間が少なくなっちゃうし……」

「俺なんかに気を遣わないでよ。奏のやりたいことをやってほしい」

「そう、じゃあ私もキド研に入ろうかな」

「そ、それは……」

 やめて、とは言えないが、昌貴や芳子に毎日からかわれるのはちょっといやだった。

「冗談……、もう少し考えてみるね」

「うん……」

 そのまま二人は眠りへと落ちていった。

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