第五章 聞いてはならない

(1)

 朝の陽光眩しい奏の部屋。穂高はRCを起動させ、寮の自室、自分の机の上にあるパソコンに装着されているカメラから部屋の内側を見ていた。


 特に変わりなし、当たり前だけど。


 これまで三日も家を空けたことはなかったので少し気になり見てみることにした。


 俺が部屋にいないからって、気にする人はいないし、まして奏の所に泊まりに行ってるなんて思われることもないだろうけど……。


 今、寮には昌貴も斎もいない。


 自意識過剰かもな、しかし自分の部屋をこんなスパイみたいに観察することになるとは……。


 空調や水道もチェックするが特に異常はない。ただ空気が澱んいでいるのがなんとなくわかった。

 部屋の横に並べて積んである収納ケースが目に入った。


 例の球形物はここにしまったけど……。


 ズームで見てみる。やはりおかしな点はない。


 やっぱり考えすぎかな……。


「なにか面白いものでもあるの?」

「ああっ! びっくりした……」

 いきなり背後から奏に覗き込まれた。

「ご、ごめん」

「い、いやこっちこそ……。自分の部屋だよ、ほら」

「わあ、すごい。スパイ映画みたい」


 女の子の気配ってのはどうも察知しにくいな……。


「パソコンに取り付けてあるカメラからの映像だよ。ちょっと気になってね」

「あ……そうだよね。二日も引き留めちゃってごめん……」


 ……カメラで嫌なこと思い出させちゃいけない。


 映像を閉じて、RCをしまった。

「今日は、十三時から、だよね?」

「うん、昨日あんなことがあったから……改めてシーズン終了のお祝いをって」

「ああ……あの三人もショック受けてなければいいけど……」

 間の悪さが重なった形もあり、特に千緒のことが気がかりだった。

「あの男の子は……?」

「さっき親御さんから連絡があったよ。念のため一日だけ検査入院したけど、特に問題はないってさ」

「そう……よかった」

「お礼の方は断ったけど……」

「うん、穂高もあまり気にしないで」

「わかってる」

 とは言うものの、なにかが引っかかっている。原因不明のUVの暴走など滅多に起こるようなことではない。まして人間を識別不能になるなど。管理責任を問われる側はそのことをもっとも懸念して二重三重の安全策を講じるのが当たり前なのである。


 俺だって仕組みを理解してるわけじゃないんだ。しかし、そういうものに命を預けることが一般化しすぎた社会と言うのは……。


「……やっぱりもう少し休む?」

 奏が不安げな面持ちをたたえていた。

「え……あ、いや大丈夫。心配かけてごめん」

 どちらから、というわけでもなく距離を縮めてそっと抱き合う。

「今日はUVも使えるから……」

「うん……」


 御大層なこと考えたところで、今さらこの暮らしを放棄するなんて自分にできることじゃない。ましてこの機械の街で……。


 そう思う他ない。気持ちを切り替えた。

「それじゃ、ちょっと早いけどもう出ようか。あそこのショッピングモールの屋上にある庭園を散歩でもしてから、お昼にしよう」

「はーい」

 壁側に浮かぶ空中モニターで天気を確認してから部屋を出た。

 玄関で昨日まとめておいたゴミ袋を持つとそれを近くの廃棄物専用の小型エレベーターに入れてしまう。後は勝手にゴミ捨て場まで持って行ってくれる。

 奏がドアを閉じるとオートで鍵がかかった。これも開閉は生体認証でやってくれる。

「昔は、家のドアでも電子オートロックや指紋認証なんてほとんどなくて、実物の鍵で開けていたんだ。だから、鍵をなくしたりしたら大変だったらしいよ」

「ああ、聞いたことある。これも機械がおかしくなって開いてくれなくなったらって思うと怖いね」

 そんな話をしながらいつもの駐車場までやって来た。このマンションも旅行かなにかで家を空けている世帯が多いのかUVは十分に置いてあった。

「やっぱり車呼ぶ……?」

 奏が、有人車を呼ぶか、という趣旨でそう言った。

「大丈夫だよ、行こう」

 レディファーストには反するが奏を安心させるため先に乗り込んだ。

 奏もすぐに乗り、UVを発車させた。


 小高い丘の上の住宅街を軽やかに下っていく。坂から見える空にはちぎれ雲がまばらに浮かんでおり、天候は穏やかであった。

「そういえば男子テニス部はこの後も決勝がまだあるんだよね? 応援とかはいいの?」

「うん、行く子もいるけど、必須ってわけじゃないし、シーズン終わりだから自由にって部長が」

 あの、いかにもさわやかな好青年という感じの彼の顔が浮かんだ。

「垣本部長は去年、全国大会で準優勝まで行ったから見に行く人は多いだろうけど」

「へえ、そんなすごい人だったんだ」

 昨日のつっけんどんな態度を思い起こして若干恥じ入る。

「話したことあるの?」

「昨日、少しね……」


 ひょっとしたら俺と奏に配慮してそういう運びにしてくれたのかな、今度会ったらちゃんとお礼言っとこう。


 見えてきた第二区は繁華街となっており、夏休み中は市外からの観光客も多数訪れる。そこのメインストリートを抜けるとショッピングモールの手前で停車した。

 待ち合わせの十三時まではまだ三時間以上ある。

「さて、屋上庭園に行く前になにか見たいお店ある?」

「特にないよ。適当に歩こ」

「いいの? 服とかでも全然大丈夫だよ」

「……服は、あまり興味ないの。普段着ているのもほとんどお母さんのお下がり」

「……」

 憂色に染まる奏の横顔。母親に頼み込んで、気を引こうとする彼女の姿が目に浮かび、胸が痛くなった。

「わかった、ちょっと探検しよう」

「うん」

 手をつないで歩きだす。ここら辺一帯のアメニティはカップル客も多かったので穂高たちが目立つこともなかった。

 円形の大型エレベーターで屋上まで上がっていく。二階の外に突き出たフロアでは、なにかヒーローショーでもやっているのか子どもたちの歓声がここまで響いてきた。

 屋上庭園は街の緑化事業の一環として整備されたもので、一部は田畑となっている、目的のフラワーガーデンは無料で開放されていた。

 奏の足取りが少し速まってくれたのにわずかに安堵しつつ中に入っていく。内部のちょっとした迷路のような空間を二人で散策しつつ、あの件を思い出した。


 旅行の件を言ってみるか……。


 ここ数日のアクシデントですっかり切り出すタイミングを逸していた。多少の緊張を感じつつも話すことにした。

「奏、休み中、市外でどこか行ってみたいところってある?」

「え? あまり考えたことなかったな。……ああ……」

 穂高の言わんとしていることを察したようだ。

「その……二人で、旅行にでも行かない……?」

 時期尚早だったかも、とやや弱気になる。

「静かなところがいい……」

「あ、ああ……! 探しとくよ」

 愁眉を開きつつも、心中で快哉を叫んだ。探しておくとは言ったが、予想通りの希望だったので既に候補地は絞れてある。


 あそこの高原、そこのハイキングコースにするか。奏は体力あるし大丈夫だろう。というか俺がへばったらみっともない。ちゃんと備えて運動しておくか。


 その場で軽いストレッチをなにげなく開始する。

「ふふ、なにやってるの?」

「いや、なまってるなって……はは、機械に頼り過ぎで……」

 言葉が止まった。以前、千緒に言われたことをそのまま復唱していたことに気づいた。


 どうもあいつとは……。


 思考が同調しやすいように感じている。

「そういえば井上くんや葛飾くんはどうしてるの? 一緒に遊んだりしなくて大丈夫?」

「ああ……二人とも今、知瀬にはいないんだ。家の事情らしくて……夏休み中に一緒になにかするってのは難しいみたいで……」

「そうなんだ……」

 奏も穂高が自分にばかり構って、友人関係をおろそかにしていないか気になっていたのだろう。

「ちょっとさびしい?」

「ちょっとね……」


 斎は家の研究所か、そこから部長を手伝っているんだろうか……。


 昨日の芳子の話と合わせて考えると、今、自分がこうして奏とデートを楽しんでいることすらなにか罪であるかのようにすら感じてしまう。


 自分にできること……すべきことを整理しておこう。


 二学期は堂々とした気分でみんなに再会したかった。昼食はフードコートで簡単に済ませてしまうことにした。

 約束の時間になり待ち合わせの一階ホールへと向かう。

三人は既に来ていた。離れた場所から手振りで挨拶を送るが、千緒だけは軽く会釈しただけだった。まだ気持ちが沈んでいるのだろう。

「お待たせー」奏が元気に呼びかける。

「こんにちは三崎さん」と芳子。今日はスカートだった。三人と交流していくうちに少し女学生らしさに気をつかうようになったのかもしれない。

「奏でいいですよ」

「うん、奏……ちゃん」

 照れくさそうに指でほほをかいてみせた。

「その……みんな昨日はごめん。あんなことになっちゃって……」

「なに言ってるんですか。子どもを助けたんです、謝るようなことじゃありません」結実が穏やかにそういってくれた。

「ああ……ありがとう」

 さりげなく千緒に視線を移す。目があった。


「……あの子、どうだった?」

「ああ、問題ないよ。さっきご両親からも連絡をいただいて……」

「そう……」

 沈黙。重苦しい空気がこの場に停滞するかのようだった。


 やっぱり、謝るか……。


 と、思い千緒に向き直ったのほぼ同時に、

「ところで皆さん、この映画見たことあります?」

 結実がバックからなにかのパンフレットを取り出した。

「ないけど……」奏が覗き込む。

「少し、いやかなり古いやつだね。いつの……?」

「二十世紀終わりころのものです。最新の技術で大幅に手を加えたものが、ここの三階のクラシック劇場でやってるんですけど、よかったらどうでしょう?」

 さらっと全員を見回す。特に反対する気配はない。

「うん、いいよ」

「ほかに希望もないしね……?」

 芳子が千緒の様子を窺う。

「あたしも平気」

「それじゃあ、行きましょう」

 結実の後に続いて歩き出す。


 映画か、三人も……じゃなくて、四人も女の子を連れてちゃ目を引きやすいしちょうどいいかな。それに今は……。


 前を歩く千緒の背が、実体以上に小さく見える。それを目に入れれば、穂高とて平静というわけにはいかなくなる。


 見かけによらず繊細なんだよなこの子は……。すっかり忘れてた。


 普段の憎まれ口も、どこか気の弱さをごまかしたいためのもののように思えてくる。


 香月さんも、こうなるとわかってて、映画なんかにしたんだろ。彼女にまで気をつかわせてしまって……。


 小さく嘆息すると、奏がそっと手を添えて目配せしてくれた。


 大丈夫、うまくやるよ。


 目線でそれを伝える。奏とのアイコンタクトができはじめていたことに気づいた。


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