(2)
「幸せそうでなによりね……」
「そう? それよか、ずいぶん他人行儀な態度ですね。上北さん」
「ああ……! もう! あんたバカじゃないの⁉」
「……? なにが?」
「よく、こんな所に来れたもんね⁉」ぷんすか怒ってる芳子。
「なんで?」
「だから……! 周りの視線に気づかないの⁉」
そう言われて周囲の様子を窺うと、確かにちらほら見られている気配がする。
「……なにかやったの、きみ?」
「私じゃなくて、あんたでしょうが⁉」
「え?」
「ほんとにわかってないみたいね……! いい? あんたはテニス部の、いいえ文科のマドンナかっさらった大怪盗なの!」
「大怪盗って……」
「要するに敵視されてる……かもしれないってこと!」
少しハッとした。終業式の日はそのあたりを意識した行動を取っていたが、夏休みに入ってから毎日、奏と逢瀬を重ねていたことで夏ボケしていたかもしれない。
「他人の目なんて、気にしてない……」
「そう、でも三崎さんはここでの立場があるのよ。余計なこと言うようだけど、彼氏なら彼女の体面に気を配ってあげるべきなんじゃないの?」
「それは朝もちょっと考えたよ。ここの人たちとは昨日も会ったから、服だって変えたし」
「……? 服を変えたからなんだっての?」
「あ……、いや、その俺は、きれい好きなんだと……」
「バカじゃないの⁉」本日二度目の、バカじゃないの。
はい……バカです……。
芳子が怒鳴るのも疲れたというように、ドリンクを口にした。
「ともかく、あんま浮かれすぎないでよね」
「ああ……」
やや視線を落として、自分というものを考える。
ここにだって奏を好きな人はいくらだっているだろう。俺よりもずっと近くに彼女といたのに、よそ者の俺に彼女を奪われたと思えば、心中穏やかではいられないはず……。
譲れないこととはいえ、確かに調子に乗っていたかもしれないと自省する。
「私は、そんなあんたが心配で今日、ここに来たんだからね」
「え? ……ああ、そりゃ、どうも……」
杉岡め……。上北を引っ張ってきたくて、俺が来ることになってるってことにしたな……。
奏と付き合って以来、自分を翻弄して、遊ぶのが楽しみになっている千緒。
「困ったもんだな……」
「自覚はあるのね?」
「う、うん、ハハッ……」
話題を変えたくなった。
「そういえば、部長たちは今……」
「……今、知瀬にはいないわ」
「会社でしょ? お父さんの」
「たぶんね……。ああ……!」
芳子がなにかうなると、ため息をついてから穂高を真っすぐ見据えた。
「仕方ないわね、いい? プライバシーに関わることだから、他言無用よ」
「うん……」
「部長……真人さんは、本当は中学卒業と同時に時田機動に入るつもりだったの」
「え……」
「マシン展の時、斎が言ってたでしょ。レックスはほとんど真人さんが作ったって」
そういえば、そんなことを言っていた気がした。穂高が知っているのは、自分たちの入学以前から設計自体は真人がやっていた、ということだけである。
「多少、誇張はあったけれけど、あれはだいたいほんとのこと。製作した会社の方が介在する余地なんてほとんどなかったはず。安っぽい言い方になっちゃうけど、真人さんは天才そのものよ」
芳子がどこか遠くを見るように述懐する。彼女がここまで真人に敬意を払っていたことも今知った。
「本来ならここで高校生やってるような立場じゃないの。AIT……その、海外の大学院からも誘いがあったくらいで。それでもここに来たのは、社長の、お父さんの意向もあったみたいで……。ともかく、そういうこと。休みの間くらいは、会社を手伝いたいと思ったんでしょうね」
言葉を出せないまま、呆然と目を見開いた。頭がいいのは知っていたが、自分との開きがあまりにも大きすぎる。知識だけはなく、マシン対する志も、矜持も。
レックスは部長が造った……。そんな、それほど思い入れのあるものを、俺なんかが……。
あの時、託された重みを改めて噛みしめる。
なのに俺は、マシン展近くの大事な時期にたかが自分の色恋なんぞにうつつを抜かして……。うまくいったからよかったものを……。いや、俺がもっと集中して取り組んでいれば、入賞することだってできたかもしれない。俺は……!
「どうしたの……?」
声の先に視線を移す。葛藤に悶えている間に、千緒が戻ってきていた。両手には肉と野菜の串が握られている。
「……なんだよ?」千緒の声が今は、疎ましく感じられる。
「変な顔してるから……」
「……うるさいな」顔をそむけた。
「ちょ、ちょっと!」
芳子が慌てて立ち上がると、穂高を叱責するように一瞥してから紙皿をテーブルに並べ始めた。
「千緒ちゃん、ありがとう。こっちに……」
まだ千緒は穂高の方を見ている。
「……少し、歩いてくる」
彼女の視線に耐えられなくなり、立ち上がると、振り向くこともなくテーブルを後にした。
人が集まっているところを遠目に見ると、奈都美が奏を他のクラブの人たちに紹介しているようだった。
賑やかに、シーズン終了を労いあう部員たちをすり抜けるように、どこへ向かうわけでもなく黙然と歩く。
奏がいなくてよかった……。こんな日にこんな様子見せたら……。
不機嫌は罪、とかいう偉人の言葉を想起する。個人的な悩みで不快な顔つきをして、歓楽する場の空気を悪くするようなことがあったら、ただの自分勝手な人間だろう。彼女の顔に泥を塗るどころではない。人目に付かないように、近くのだだっ広い林沿いの小道まで歩き、ベンチに腰掛けた。
昌貴は部長を手伝うようなことを言っていた。斎は家が気になるとか。みんなこんな時でもすべきことを見出して行動している……。俺だけが、のんきに奏と夏休みを楽しんでて……。
近くの芝生では、家族連れがシートを広げて昼食を楽しんでいる。
俺は……場違い、なのか……。
この場ではなく、キド研での穂高の立場の事である。あの四人とくつわを並べるのにふさわしい人間なのかという疑念。
セミの鳴き声が耳障りになる。空を見上げると千切れ雲の間から飛行船が出てきた。ぼーっとそれを眺めていた時、誰かの気配を感じた。
「やあ、君が山家穂高くんかい?」
目の前に一人の男が現れた。
「……なんです?」
立ち上がりもせずに、視線だけ向ける。テニス部の人間だろうか、背は穂高よりも高く、温和な笑みを浮かべでいる。
「お礼を言いたくてね」
さわやかな笑みでそう返す。穂高の無礼な対応もまったく気にしている様子はない。
「なんの礼ですか?」
「うちの部をいやがらせから救ってくれただろ」
「ああ……そんなこともありましたね……」
もうずいぶん昔なことのように思えた。
「君は大勢に知られるのを望まなかったようだけど、僕は部長という立場上、聞かされてしまってね。一度ちゃんとお礼をいいたいと思っていた」
「お気になさらず、それに救ったなんて大袈裟ですよ。あのゴミが勝手に自爆しただけです」
あの男の顔を思い出して、ますます気分が悪くなった。
「それでも筋は通したい。ありがとう、山家穂高くん」
青年は丁寧にお辞儀をした。
「いえ……」
そこまでされて座ったままでいるわけにはいかない。穂高も立ち上がり、返礼する。
「本来であれば、僕が対処しなければならない問題だった。それを部外者の君にやらせてしまって……。情けない限りだ」
「そんなことありませんよ。運動部じゃ揉め事は御法度ですし……」
彼らが力ずくで排除できなかった理由はそこにあった。
あんな異常な行動、誰だって手を焼くだろう。この人や、藤林先生みたいに真面目で純朴であればあるほど……。
「君はうちの……失礼、女子テニス部の三崎奏さんともいい仲なんだろう?」
「ええ……」
「そのことをやっかんでる男子部員が何人かいるようだが心配はいらない。君には借りがある。悪い噂は許さないよう注意しておく」
「……ありがとうございます」なんとなく居心地悪さでこんなところに座っていたのだと思われていたのだろうか。
「君がいい男であることは、それとなしに皆に伝えておこう」
「は、はい……」
いい男、というのがどういう男なのか穂高にはよくわからないが、今、目の前にいるこの男はとてもいい男であるように思えた。そこで肝心なことを聞き忘れていたことに気づいた。
「あの……失礼ですが、お名前は?」
「え……? ホア!」
いきなり青年が奇声を発したので、のけぞってしまった。
な、なんだ……!
「す、すまない僕としたことが……。最初に名乗っておくべきだった。垣本、垣本淳介だ」
「はい、垣本さん。山家穂高です」
さわやかな垣本部長と固く握手を交わした。
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