第四章 死が迫る
(1)
すっかり乾いたシャツを手に取ると、一つの悩みが出現した。口元を押さえて、服を見る。
昨日と同じ服だ、洗ったとはいえちょっとまずいかも……。
今日、テニス部主催のバーベキューに奏と行くのだが、もう二人が付き合っていることはほとんどの部員が知っている。自分だけが同じ服だと、当然奏の家に泊ったのだと皆思うだろう。
まあ、実際泊ったんだけど……。それでも奏に悪い印象持ってほしくないし、行く前に一旦寮にもどるか……。
そんなことを考えていると、
「穂高、これどうかな?」
「え?」
奏が未開封のシャツと思しきものを持ってきてくれた。
「ずっと私の応援に来てくれたでしょ。そのお礼にと思って、サイズは大丈夫だと思うよ」
「ありがとう……」
初めての彼女からの贈り物にじんわりする。だが、
「でもこれ、すごい高そうだよ……。これからバーベキューだし、汚したら悪いよ」
大人向けの高級ブランドだろう。この手のファッションには疎い穂高でも、ラッピングの手触りの良さでなんとなく理解できた。
「気にしないで、穂高へのプレゼントだから」
「いや、それはうれしいけど……」
付きあってまだ日が浅いというのにこんな高級なものをもらうというのは気が引ける。
「やっぱり一度寮に……」
「いいから」
逡巡する穂高を促すように開封してしまう。
「さあ」
「じ、自分でやるから」
服を脱がされそうになってしまい、慌てて服を持ってとなりのリビングに早足で向かった。
子どもじゃないんだから……。
時折強引になる奏に、振り回されるのも今はなにか心地よい。慎重に袖を通すとサイズはジャストフィット、いつのまに奏に体型を把握されていたようで少し頬が紅潮してきた。
「うん、大丈夫。ありがとう」
「誕生日にはもっとちゃんとしたの送るね」
こちらこそこの恩に報いる日を考えねばならない。
そういえば、奏の方がちょっとお姉さんなんだよな。
穂高の誕生日は十二月、奏は五月である。
来年の誕生日は遠すぎる、今年のクリスマス……いや、その前に文科祭の時になにか送ろう。
文化科学祭、十一月一日に控えた学園祭である。
時間的にはまだ余裕があるが、お互い散歩したい気分もあり、少し早めに出ることにした。
「なにか持っていくものあるかな?」
「用具は全部向こうにあって、食料も先輩たちが用意してくれるって言ってたけど」
「そう、でも俺たちもなにか持ってったほうがいいね」
手ぶらで行くというのはさすがに躊躇してしまう。まして穂高は部外者であるわけで、なにか飲みものでも用意したほうがいいと思い立った。
「うん、途中でスーパーに寄っていこう」
「それで……あの服は?」
テラスに干してある昨日のTシャツとハーフパンツに視線を向けた。
「フフ、ここでの穂高の部屋着にするね」
「そ、それじゃあ、そろそろ行こうか」
UVの手配は既に終わっている。市の公共車ではなく、このマンション所有のものを使う。買い物袋を手にして部屋を出た。
奏と手をつないでエスカレーターで下まで向かう途中、夏のまばゆい日差しが二人を照らした。
朝帰り……じゃないけど、それに近いよな。俺にこんな日が来るなんて……。
自然と顔が紅潮してくるが、平静になろうと軽く息を整えた。友人たちと会うのだから、おかしなそぶりをして痛くもない腹を探られたくはない。
いつもの駐車場でUVのドアを開く。奏がなにか見ている。レジャーにでも行くのだろうか、家族連れが、出発するのが見えた。
昨日のこともあり、奏が少し心配になったがすぐに乗り込んでしまった。穂高も後に続く。
女の子は、親との関係を気にするものなんだろうか……。俺はいまさら、父さんと解り合いたいなんて全然思わないけど……。
父親との希薄な関係性は母がいなくなったことが直接の原因とは思っていない。元々の性向がそうなのだろう。穂高とて、忌避しているわけではないのだが当たり前になりすぎた父子の関係を矯正するにはもう、遅すぎると実感している。
それでもお盆には一度は帰る気でいる。自分自身を見つめなおすために。
「それじゃいつもののとこでいい?」
「うん」
シートベルトを締めると発車させた。このアッパータウンのような地域にある住民専用のスーパーに向かう。
このUVは、あのマンションの所有物だから本来俺が帰宅に、一度だけならまだしも日常的に使うのはまずいのかもな……。
お互いの実家の経済力の違いに劣等感を抱いたことなど一度もないが、出入りしている身である、という点はわきまえねばならないだろう。
「今日は何を考えてるのかなぁ?」
「あっ……」
久々の意地悪顔。またしても奏に心中を除かれた気分になってしまった。
「はは……よくない癖だね。改めるよ」
「ううん、なんだか面白い」
「そ、それは……光栄です」
「アハハッ!」
多少顔を引きつらせながらも、楽しんでくれてなによりだと、皮肉抜きに思ってしまえるほど奏が好きなことを再認識する穂高である。彼女の笑顔は、なによりも自分を魅了する。
スーパーは午前中ということもあり人影はまばらだった。庶民向けとは言い難い店であり、日本語表記のない直輸入品もちらほら見かけられる。
価格も相応だろうな。でも自分が出す。
と思いつつも、普段の買い物癖で処分が近く、価格が低下している品を選んでしまう。
「ふふ、ちゃんとしてるんだ穂高は」
「うん……え?」
ドリンクや菓子類を適当にかごに入れていく。レジは無人でRCを読み取り機にかざして支払処理を行う仕組みのようだ。
不用心な気がするけど、それだけ治安がいいとこなんだろ。……あ。
ポケットからRCを取り出そうとしたが、前を歩いていた奏が一瞬で支払いを終えてしまった。
「い、いや俺が払うよ!」
慌てて後を追う。今日のイベントには部員の彼氏という立場で行く引け目もあり、ここは払いたい。
「いいの」
「で、でも」でも今さら現金を取り出して渡すのは野暮だろう。
二人で食事に行くときはいつも穂高が払っている。普段から奏の家でご飯をごちそうしてもらっているから、という名目だったが、男としては、高校生と言えども度量を見せたい。そんなことで奏が喜ぶことはないこともわかってはいるが、彼女も穂高の顔を立ててか、礼を言って甘んじてくれた。
「それじゃあ、代わりに……今度なにか一つ言うこと聞いて」
「う、うん」
なにをさせられてしまうのだろうか。
荷物を後部座席に運び入れる。冷凍パックを借りれば肉類も持ち運べるが、それはたくさんあるとのことなのでやめておいた。使用したパックは地下のレーンを使えば、市内のどこからでも返却できる仕組みである。
学校近くの自然公園までやってきた。隣接する学校の敷地はすさまじい規模だが、この公園もかなり広いようで奥行きが見えないほど芝生が広がっている。穂高は来たことはなかったが、生徒や近隣住民の憩いの場となっている。
「千緒たちも、もう来てるかな?」
「え、ああ、そうだね……」
大事なことを思い出した。芳子も来るのだ。
おかしことになんなきゃいいけど……。
馴れ合いが嫌いで我の強い彼女が、なにかやらかしたらと思うと、怖くなる。
近くの駐車場にUVを停車させる。降車際に、フリー化という使用終了手続きを行おうかと思ったがこれは公共車ではない。自分たちを置いて勝手にどこかに行くこともないのである。
夏真っ盛りで外はかなりの暑さだが、園内の各所にはミストシャワーが設置されており、かすかな霧を現出させて涼を運んでいた。
「ちょっと湿気っぽいね」
「うん。ここ、よく来るの?」
「ううん、結実たちと一度散歩したことがあるだけ」
奥の広場では、この公園施設で飼育されているロバに幼児がまたがっており、親子連れも見かけられる。
会場近くでは既に多くの人が集まっており、奈都美が受付をやっていた。
「あら、来たわね。二人とも」
「こんにちは、奈都美先輩」
「こんにちは」
「はい、いらっしゃい。晴れてよかったわ。去年、あっちの屋内でやった時は煙くてもう……」
今日は普通に見えるけど……。
以前の彼女の奇行を思い出して、じっと見てしまった。
「山家くん、どうかした?」
「い、いえ、これ僕たちからです。どうぞ……」手土産を渡す。一人称がなぜか僕になった。
「ありがとう。二人は、ええっと……あっちのテーブルね。杉岡さんたちもいるから」
「はい」
指定されたテーブル席は、既に千緒、結実、芳子が来ていた。挨拶を交わすと同時にチラリと工科の同族に視線を運ぶ。やはりというか居心地悪そうに、というほどではないようだが、少々戸惑っているようには見える。
どんな面々が来ているのかと、辺りをざっと見回してみた。
テニス部の仕切りだし……他もほとんど運動部だよな。
加えてほとんど文科生たちだろう。この学校の工科生は個人で研究や趣味を突き詰める人間が多く、集団的な運動部はあまり好まない。分類が築かれていけばそれが垣根となって、しまいには対抗意識や、排斥に帰結するのは学生社会の宿業みたいなものである。正面切って喧嘩になるようなことは滅多にないが、陰口の応酬は日常的だった。
穂高は奏の彼氏として充分な自信をつけている。この場においてはよそ者の工科生だからといって、気後れするようなことはないが、それでも異民族の祭りに紛れ込んだ考古学者か探検家の気分だった。
四人席なので穂高はパイプ椅子を使うことになった。
「キャハハ、このウッドチェアの座り心地が楽しめないなんてかわいそー」
そうかよ……。
早速、千緒が煽ってくる。例の言葉も出たが、もう全く気にならなかった。立場が立場なので今日はスルーしてやり過ごすことにした。
芳子と目があうと、やはりお互い場違い感を自覚しているようで、少々気まずくなった。
ドリンク類が配られると、テニス部の部長と思しき男子生徒がマイクで挨拶をして、乾杯となり、中央のグリルやレンガで作ったコンロから一斉に煙が立った。
肉を焼く香りが鼻に伝わってくるが、あまり食欲がわかず座ったままでいる。昨日のことで今もこうして奏といれば、なんとなく夢心地な気分が続いているような気になる。奏も同じようで、千緒たちに自分の変化を気取られないか、気にしているように見えた。
「かなー、どうしたの? お腹空いてないの?」
「うん、ちょっとね……」
「朝食食べたばかり?」結実はいつもと同じ見えるが。妙に鋭いところがあるので、穂高も内心ドキッとする。
「そうじゃないけど」
「こんなのほっといて行こうよ」こんなのがなにを指すのかいちいち考えるまでもない。
「奏ちゃん、最初に……」結実がなにか言いかけた。
あ、そうだ。ここには他のクラブの人たちも来てる。奏は準優勝まで行ったんだから挨拶しなくちゃいけない人たちがいるだろう。ここは……。
目くばせのつもりで、奏に、自分には気をつかわないで、と目で伝えた。意は伝わったようで、奏もうなずくと立ち上がった。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「うん」
「芳子ちゃんも行こー」
「あ……えっと、私、ちょっと山家くんと話があるから……。ごめん、後でね。三崎さん彼氏お借りしますね」
「はい、それじゃあ行ってきます。芳子さん」
三人は鉄板の方へと向かった。ため息をついてドリンクを飲むと、一気に鋭さを増した芳子の眼光に射抜かれた。
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