第三章 隙間を埋めて

(1)


 照りつける太陽の下、熱気が充満する空間に、若さを帯びた叫喚があちらこちらで、轟いた。それも今は収まり辺り一帯からは批評と感想の言葉が耳に入り込んでくる。

 今日は、知瀬市市民運動場での奏の試合の最終日であった。彼女は惜しくも、市大会準優勝で終わった。控室に戻っていく様子を観客席から見届けたが、すぐに駆けつけたい衝動を抑えてシートに座りながらぼんやりコートを眺める。まだ部員たちとの話があるだろう。

 なんとなく劣等感と羨望のようなものを感じてしまった。


 やっぱり、運動能力って人間的な魅力に結合する、のか……。


 そんなことを考えている。力強くコートを跳ね回る奏はとてもきれいに見えた。

中学では穂高もサッカー部で汗を流していたが、高校で続ける気はもうなかった。ここに入った以上は、機械工学のクラブに取り組みたいと思っていたのが理由だったが、やはりあのチームメイトたちとの軋轢から、自分にそんな資格がない、という自責と自信喪失もあった。今の、キド研での活動には充実感を感じてはいるが、どこかやり場のないエネルギーを体の奥に封じ込めており、それが時折蓋を破って飛び出してきそうな時がある。そんな時はスポーツ館に行って、ボールを蹴って発散していた。


 今さら、サッカーなんて……。


 伸びをしながら、空に目をやる。夏の青空にまばゆいばかりの太陽、今日は天気を気にせず遊べるだろう。

 そう思った時、あの現象が気になってきた。


 なんだったんだ、あれは……。


 予知能力めいた、謎のインスピレーション。ただの錯覚とは片づけられないなにかが今もまとわりついている。口元に手を当てて思索していると、

「山家くん」

「え……、あっ、藤林先生……」

 テニス部顧問の藤林薫講師が隣に来ていた。

「こんにちは、三崎さんの応援ですか?」

「え、ええ……そうです。こんにちは……」

 一瞬、奏との関係をはぐらかしそうになった自分の性根の卑小さが恨めしい。

「ふふ……」

 もう二人の仲などお見通し、といった微笑を浮かべる藤林。


 まいったな、こりゃ……。


 深奥まで知られてしまった相手だけに、なんとなく気後れしてしまう。

「もう、平気なようですね」

「え?」

「色々と……うまく行ったのでしょう?」

「……ええ。それより、先生にはずいぶん心労をかけるようなことばかりして……すみませんでした」

 立ち上がり一礼する。

「いいえ、あなたは他人を思いやることができるやさしい人間です」

「……」

 目頭が熱くなってくる。誰に認めてもらいたかったわけではないが、なにか報われたような心地が胸に染みわたる。


「ああ⁉」

 デリカシーのない大声に強襲された。振り返ると、

「杉岡?」

 千緒がずかずかとこちらに向かってくる。

「あんた藤林先生になにやったのよ⁉」

「べ、別になにも……いや、ちょっとやったかな……」

「ッ⁉ こっちこい!」

「お、おい」

 千緒に腕を引かれて連行される。


 連れて来られた先は、テニスコートだった。

「なんだよ……?」

「はいこれ」

なにか手渡してくる。

「なにこれ?」

「ラケット」

「見ればわかるけど……」

 千緒が前にでると向かいのコートにあるなにかを指さした。

「いい? あそこからボールが飛んでくるから、それで打ち返しなさい」

「なんで?」

「いいからやる! お姉ちゃんの言うことが聞けないの⁉」

 いつかのくだらないやり取りを思い出した。


 まだ根に持ってんのかよ……。


 前方の機械に視線を移す。練習用の機械のようでボールを高速で打ち出すものだろう。


 あれか……ふん、野球のピッチングマシンみたいだな。発射口が自在に曲がるようだがカーブとかも出せるものなのか。三連装みたいになっているのもある。どこから飛んでくるのかわからなければ……。


 ぞろぞろと足音が聞こえて振り返った。

「え?」

 穂高が機械を分析している間に千緒が部員たちをコート際に集めていた。奏もおり、穂高がコートにいるので驚いている。その横で千緒がニンマリ。やつの意図がわかった。

「あ、あんにゃろ……!」

 奏の前で穂高に大失敗させて笑ってやろうという魂胆とみた。一部の男子部員たちも失敗してしまえ、という顔でこちらを見ている。

「ほらー、行くよー!」

 千緒がなにかリモコンのようなものをかざした。あれで操作するのだろう。


 せめて振ってみるか……。


 そう思って構える。ボールが発射された。その次の瞬間……、

 世界が凍りついた、時が止まった、ように感じた。穂高の五感がすさまじい勢いで拡張されていく。会場にいる全人数、気温の微妙な変化、空気の流れ、すべての情報が圧倒的な速さで脳内に流れ込んでくる。打ち出されたボールを見る、まだ空中に浮かんでいる。それを見ただけで、弾道、速度、到達位置、打つ姿勢、諸々のタイミング、それらすべてを理解した、気になった。その気に従い、ラケットを振ってみる。確かな感触を得て、打ち返したボールは、物理法則を無視したような縦の弧を描いて飛んでいき、すさまじい音を立てて、向かいのコートに着弾した。


「あ……」

まばたきすると同時に、穂高の空間認識は平常のそれに戻っていた。

ちらりとコート横に頭を向ける。全員が呆然と絶句していた。穂高も呆けたような視線を送る。そして頭に浮かんだのは、


 い、いや……! 今日はあれは持ってきていない! 寮の部屋の収納ケースに入れたままだ……。これは一体……⁉


 あの機械の球形物を思い浮かべていた。


 と、とりあえず……。


 この場は離れた方がよさそうだ。千緒の元まで近づくと、奏の顔が目に入った。彼女も目を丸くしている。

「これ……」

「え……? ああ……」

 千緒にラケットを手渡すと、奏の方に向き直った。

「俺……ちょっとあっちで顔洗ってくるから……」

「うん……」

 あの日の声音に近かったが、今はそれを気にしている場合ではない。

「す、すごいですね山家くん……。中学の時にやってたんですか?」

「い、いえ……。すみません……」

 なぜか謝りながら藤林の脇を抜けた。

「やるじゃない、彼氏……!」

 背後からそんな声が聞こえてきた。


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