(5)

 二台目のUVはすぐに来た。自転車を折りたたんでトランクに入れてしまう。

「それじゃあ、どうぞ」

 いつかやってみせたように、レディファーストで奏に乗車を促す。

「はーい」

 芝居がかった声音で奏が乗り込むと、多少の緊張をはらみつつも穂高も後に続く。彼氏になったというのに、まだ周囲の目を気にしてしまう自分は小心なのだろうか、とつい考えた。

 住民カード(RC)をかざして目的地の設定を行う。当然行き先は奏のマンション、

「どこか寄ってくとこある?」

「ううん、今日はまっすぐ行こ」

 車を発車させた。茜色に染まったロータリーを見渡しながら、うれしさに頬を緩ませた。学校帰りに恋人の家に向かう、以前の自分では考えられないことだった。

 お邪魔してばかりで恐縮になるが、自分が住んでいる男子寮に奏を連れ込むにはリスクがある。


 別に女子禁制ってわけじゃないけど……。


 上級生が女子を連れ込んでいるのを見たことはある。しかし、そういう女生徒はどこか軽いイメージがあるのだ。


 奏をそんな風に思ってほしくない。


 彼氏としては、彼女が学校内で悪評がたつような真似はできない、考えている。


 不自由だな寮は。いっそ引っ越すか。いやそれはダメだ。ベーシックインカム(BI)だけでは賄えなくなる。もう一つの口座にあるお金は……。


 母の命に代わったお金なのだから……。


 もう時期、帰省が始まる。そうなればあそこも人が少なくなるだろう。その時に奏

を自分の部屋に招待しよう。

「フフ、またなにか考えてるなぁ?」

「あ……」

 あんた考えてることが顔に出やすい、芳子に言われた言葉を思い出した。これも改善の余地があるようだ。

「うん……奏の家ばかりじゃ、悪いなって……」

「気にしないで、穂高が来てくれて楽しいし」

「うん」

 自然と手を固く握っていた。奏と触れ合っているだけであたまが朦朧としてくる。

 UVは坂を上る手前の踏切のようなところで一旦停車した。


 そういえばゲーテッドコミュニティだったな。


 住民以外は立ち入り禁止であり、認証がなければ侵入者扱いになる。穂高はもう奏から認証をもらっているので普通に入れる。


 日本じゃめずらしいって聞くけど、あのマンションは元々奏のおじいさんが持っていた物件で、三崎貿易の従業員しかいないらしいが……。まあどうでもいいやそんなの。


 奏に彼女の家や親のことはまだ聞いていない。入り組んだ事情があるらしいことはなんとなく穂高にもわかっているが、自分から聞き出すつもりは今のところない。その必要もないと感じている。

 マンションの敷地の駐車場で停車すると、先に降車して奏の手を取った。

「ありがとう……」

 にわかな緊張が二人に走る。付き合って以来毎日来てはいるが、夕暮れの赤い色彩がどうもムードを色っぽくしているような気がした。

「ご、ご飯になんにしようか」

「……なにがいい?」

「……なんでも}

 また変な気分になる。周囲の様子をうかがいながら自転車を出してしまい、近くに止めた。住民の目に止まる前に奏の部屋に行こうと歩き始めた。

 エントランスに入ると、いつものようにコンシェルジュの土谷氏に挨拶してからエレベーターで五階まで上がっていく。奏以外は住民がいないフロアの奥まで行くと奏が手をかざして部屋のドアを開いた。

「先に……」

「え? うん」

 促される形で、靴を脱いで足を踏み入れた。


「お邪魔しま……あっ……」

 いきなり後ろから奏が抱き着いてきた。

「奏……」

 顔をこすりつけられる。穂高もそのまま動けない。奥のテラスのガラス戸から夕日が差した。

「……いったん着がえた方が」

「うん……」

 そうは言っても動いてくれない。されるがままで奏の体の感触を背で受け止める。


 ま、まいったな……。うれしいけど……。


「穂高、それ……」

「え?」

 奏が離れる、振り返ると

「あれ……?」

 自分のバッグが光っている。


 なんだ?


 バッグを床に下ろして、開いてみると輝きは奥の方から発しているのがわかる。それに手を伸ばして取り出してみた。

「これは……」

 あのマシン展の時に、謎のガスマスクの男から受け取った機械の球形物スフィアであった。それが発光している。


 そういえばあの時、このバッグに入れっぱなしにしたままだったんだ。


 今日は持ち帰るものが多かったので普段の通学鞄ではなく、このバッグを使ったのである。


 今まで光ったことなんて……あったか……?


 そんな機能があるなんて、むろん聞いていない。そもそもあの男は、これについてなんの説明もしないうちに去ってしまった。

 白色に青さが混じったような淡い光は徐々に小さくなり、消えていった。

「うん……? おかしいね」

「なにかのおもちゃ?」

「だと思うけど……。もらいものだしね、どこか壊れてるのかも」

 それだけ言うと、もうこのことはどうでもよくなった。そのままバッグの奥にしまってしまう。


 食事は簡単に有り合わせの調理パンとサラダ、スープで済ませた。終業式のお祝いにしてはシンプル過ぎるが今はお互い、あまり食べる気がしない。

 部屋着に着がえた奏とソファで映画を観ているだけとなった。内容などほとんど頭に入ってこない。寄り掛かってくる奏の方に手を回すと、もうそのことだけで頭がいっぱいになってしまう。奏も同じようで、どこかぼんやりしながら全身を預けてくる。


 ああ……力が抜けていく……あっ。


 奏が両腕を穂高の肩から背に回す。どんどん行動が大胆になっていき、彼女の息が首筋にあたるだけで意識が遠のいていく。穂高もソファに体の重心を倒して奏を受け止める。そのまま、ただお互いの温もりだけを求めた。

 いつのまにか映画は終わっていた。時刻は二十時四十七分、そろそろ帰らねばならない。泊っていくほどまだ二人の関係は成熟していないだろうし、奏は明日からの練習が控えている。


 つらいけど、ここは……。


 膝に乗っている奏の頭をやさしくなでると意を決した。

「……奏、そろそろ帰るよ」

「……うん」

 奏が起き上がり、穂高も立ち上がる。血流がにわかに激しくなり足がつりそうになった。

「それと、試合が終わるまでは夜の通信はなしにしよう」

「……」

 奏の顔が萎れていく。穂高とて心痛に苛まれるが、

「奏は試合に出るんだから、出れない人の気持ちも考えてあげないと……」

「うん……」

 男がらみで調子が上がらないようでは一年の奏に対する部内での風当たりもよくないものになっていくかもしれない。冷たい言い方だったか、と不安になったが抱擁で応えてくれた。


「今日はここでいいから……」

 離してくれない。

「下まで行こうか……」

「うん……」

 バッグを左肩にしょって、右手で奏の手を取りながら一階に向かった。

 自転車を留めたところまで来ると、バンドを取り出して裾を縛ろうとしたところ、奏がマンションに備え置かれていたUVを一台呼んでくれた。自転車で帰るつもりだったが、心配してくれたのだろう。

「ありがとう」

 自転車を再びたたんで、トランクに収納した。


「それじゃ、もう行くから。明日は午前中までだよね、終わるころに迎えに行くから午後からメインストリートでぶらぶら散歩でもしよう」

「うん……」

「ちゃんと体を温めて、風邪ひかないように……」

「うん……」

 ドアを開いた。

「それじゃあ……、奏……」

 入る前に、一歩踏み出して最後のハグをした。

 うん、しか言ってくれない奏が心配だったが自分が彼女の足を引っ張るわけにはいかない。後ろ髪引かれる思いでUVを発車させた。奏は見えなくなるまで、ずっとこちらを見ていた。


「はぁ……」

 車内で大きく息を吐くと、窓に視線を運ぶ。今日が知瀬のほとんどの学校の学期終わりの様で、街に繰り出している学生たちは、この時間でも繁華街で遊んでいるようだ。各種のイベント告知の電子公告が空中に掲示され、ぼんやりとそれを眺める。未だに心は奏の部屋に残してきたような、虚脱感が身体中に満ちていた。


 ずっと、側にいたい……。


 自分で自分はアホか思えるほどに彼女に惚気ている。ポケットのカード入れからRCを取り出す。奏にメッセージを送ろうかと思ったが、ここはこらえる。

「かわいそうだけど、仕方ない……。あ……」

 あの嫌いな言葉を、自然と口に出していた。


 変わったのか……俺も……。使っていい時と、悪い時があるんだろうか……。


 一度目を閉じる、とすぐ気分を切り替えた。


 考えてても仕方ない、明日はにわか雨になるから、念のための奏の分の傘も……。

「え?」

 思わず声に出してしまった。自分はなぜ今、明日にわか雨になる、などとわかったのだろう。天気予報など見ていない。

 RCで明日の天気を確認する。確かに明日はにわか雨の予報が出ていた。

「……」

 さすがに気味が悪くなってきた。思わず、バッグを開けてあの球形物を取り出す。特におかしな様子はない。


 浮かれすぎて、思考が変になってんだろ……たぶん……。考えてても仕方ない……。


 また、その言葉が頭をよぎった。

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