(2)
少し離れた水道まで来ると、思いっきり顔を洗う。水を止めて、髪の先からしたたり落ちる水滴を目で追った。特に今の自分におかしなところはないと思える。しかし、
ほんとにどうしてしまったんだ、俺は……。
腕を見る。
ただ打ち方がわかった、というだけじゃない……。腕にもなにか加速がかかったような気さえしたが……。
腕を振ってみるが特に異常はない。
思い当たる節を改めて考察する。やはり、頭に浮かんだのは
マシン展の時……。穂高ちゃんにパワー注入……違う! そんなことじゃない。確か……。
「そうだ……! あのガスマスク!」
あの不気味なガスマスク、のような仮面をつけていた男を思い出した。
だが……あの時俺は……。ほんの少し話して。あれを受け取っただけだ。なにかをされたという気配はなかったはずだが……。
口に手をあてて、自分の記憶を探る。
俺はあの時、あいつとなにを話したんだったか……。AⅠがどうとか……。他に……、
〈死ねるのだな?〉
血の気が引いた。あの男の仮面と同時にその言葉が脳裏をよぎった。
呪いでもかけられたっていうのか……。
「……」
考えてても仕方ない……。あ……。
またか、と思ったが今の状況はほんとに仕方がない、としかいいようがない。
……部長にでも相談してみるか。いや、部長は今、家の事情で忙しくしているのかもしれない。こんなオカルトめいた話を持ちかけられても迷惑だろう。
セミがざわめき、風が木々を揺らす。
どうしたものか……。
考えれば考えるほど、思考の糸は複雑に絡み合い、ほどき難く結ばれていく。水気を含んだ髪から、水滴が頬に伝わりうっとうしく思ったところでタオルが差し出された。
「ああ……! あんがと!」
「い、いえ、別に……」
「ん……? わぁ!」
いつのまにか奏が目の前に立っていた。
「ご、ごめん! ちょっと考え事してて……」
「フフッ、またぁ?」
本当にこの癖はどうにかしたほうがいいかもしれない。奏がタオルで顔を拭いてくれた。
「ありがと、今日は、今日も来てくれて」
「いや、マシン展の……お礼……」
この件は一旦保留にしとこう……。
「負けちゃったけどね」
「でも、すごかったよ」
テニスの事などよくわからない穂高でも、奏の動きには魅了されていた。ただの彼氏のひいき目、というわけでもない。
「うん、すごかった。さっきの」
「え?」
「穂高、ひょっとしてテニスやったことあるの?」
「い、いや全然……あれは、その、偶然っていうか……」
「フーン……」
「な、なにか隠してるってわけじゃないよ!」
あの行き違いの件もあり、奏に隠し事をする気はないし、していると思われるのも怖い。
「わかってる」
奏が指先を穂高の口に当てる。それは言わないで、ということだろう。
「奏……」
風が吹き、頭上の木々から漏れた光が彼女の顔に縞を作った。顔を近づける。このまま……、とおもった矢先に顔をそらされてしまった。
「あぅ」
間抜けな声が出ると同時に、奏が向いた方向から誰かやってくる。
「あ……」
先日、テニス部の部室で遭遇した奏の先輩、辻端奈都美の姿を目に捉えた。
奏が一礼すると、穂高も軽く会釈した。正直、怖い。奈都美も会釈を返すとが穂高に向き直った。蛇に睨まれた蛙状態になる穂高。
「あなた、なかなかいい筋してるわね、来期からうちの部に入らない?」
「い、いえ」怖いから断った。
「ダメですよー、山家くんはキド研のエースなんですから」
横合いから結実がヌッと出てきた。
う……気配を消すのがうまいな、この娘……。
「へえ? 工作系のクラブにもエースなんているんだ」
いるわけないでしょ……。
「穂高……くんは、六月のマシン展、機械を使った大会でロボットの操縦をやりました。すごかったです」
嬉々として語る奏。彼氏自慢をされているみたいで照れくさい。奏は千緒や結実たちの間では穂高、それ以外の人がいると穂高くん、で言い分けているようである。
「そうだよぉ、超イケてるエースパイロット様だもんね」
小悪魔参上。口の中をかんでイラつきを抑えて振り返ると、千緒が来ていた。動揺はもうなくなったようで再びなにか企むかのようにほくそ笑んでいる。
こいつ、奏の前だと俺が大人しくせざるを得ないと、わかって……!
「ほーら、これこれ」
「あん……!」
千緒がRCを使って、平面映像を空中に投影した。全員の視線が注がれる。
「……」
以前、マシン展の時に見た。飛行服を着ながらキメ顔で瞑想みたいなことをしている穂高の映像だった。全部処分させたと思っていたが、まだ少し残っていたのだと理解した。
無言、真顔になる。奏の方を振り返ると、口元が微妙にぴくぴくしながら揺れている。あの悪夢がよみがえった……。
「こ、このヤロー!」
逃げる千緒を全力ダッシュで追いかける。
「……イケてるわね」
奈都美がぼそりとつぶやいた。
息を切らしながら、シートに腰かける。ようやく今度こそすべて消去させたが、炎天下のなか不慣れなスプリントをしたせいでくらくらしながら、奏が用意してくれたドリンクを拝借した。
お、俺が試合をやったってわけでもないのに……。
疲労困憊である。半年前まではこの程度どうということはなかった。以前から気にしていた体力の低下が身に染みて、さっきから身体中におかしな波が走っていた。
こりゃ本格的に、どうにかしたほうがいいな……。こんどスポーツ館にでも行って……。
自分を覆った影を見る。
「だ、大丈夫?」
気まずそうにしつつも、まだどこか笑い涙をたたえている奏。
「もう……」
「ごめんね」
その後ろでニヤニヤしている千緒。いい加減怒るのも、もう疲れたので同じようにニヤニヤしてやった。気味悪がって逃げた。
やっとどっか行ったか……。
奏をチラリと見る。切り出すなら今だろう。
「そういえば、試合も今日で終わりで、明日から休みだよね……」
「うん」
星緑港のクラブは学期ごとのシーズン制なので奏たちも今日で一旦卒部、のような形になる。もっともクラブは学期をまたいで継続する生徒がほとんどである。
「それでよかったら、今度二人で……」
ドアが開かれた。奈都美と結実が近づいてくる。プレッシャーを感じて、言葉も途切れてしまった。
「三崎さん、お疲れ様、こっちはもういいから後は自由にしちゃって
「はい、ありがとうございます。奈都美先輩もお疲れ様です」
「それと、明日はどうかしら」
「ああ……」
奏がなにか迷っているような表情になる。黙って聞いていたところ奈都美が視線をこちらに向けた。
こ、こわ……。
声には出すまいと舌をかんだ。
「彼も一緒で構わないわよ。……あなた」
「な、なんでしょう?」
「明日、うちの部でバーベキューやるんだけど、来ない?」
「え? いや、行けませんよ、よその部の催しなんかに」
結実が口を開く。
「大丈夫ですよ。主催はテニス部ですけど、シーズン終了の打ち上げも兼ねたお祭りみたいなもので、色んなクラブの人たちが来ますから」
「で、でもなぁ……」
今日ですら、正直なところ居心地の悪さを少々感じて、離れた場所から観戦していたのである。男のプライド、というほどのことでもないが、どこまでも彼女の後に引かれるポーターみたいに思われるのは嫌だった。それに、
この人もちょっと怖いし……。
「芳子ちゃんも来るって言ってるよー」
いつのまにか千緒が戻ってきていた。
「え……?」
うそだろ……? テニス部の女子なんてほとんど、いや全員文科って聞いたけど……。
芳子が来る理由が見当たらず困惑する。
杉岡のやつにせがまれて断り切れなくなったか?
穂高の豊かな感受性は、なんとなく怪獣の如く暴れる芳子の姿を想像してしまった。
まずいかも……。
「来てほしいなぁ」
考えているうちに、奏のなまめかしい声が耳から心の臓にまで染みわたる。
上北が暴走しないように……うん、キド研の名誉のために行くとするか。
本人が聞いたら怒りそうな言い訳を構築すると、決意を固めた。
その後は疲労している奏を気づかってレストランで外食とし、千緒と結実も一緒に来てくれた。
今日は……どうするかな……。
おしゃべりにふける三人を視界に入れつつ、この後のことを考える。ようやく奏の試合が終わり、ゆっくり二人で過ごせるようにはなったが、今日は遠慮したほうがいいかもしれないと思っている。
ここしばらくは、奏の練習時間の合間を縫って色んな所をデートしたが、もう時間に追われることもないので、お互いのんびりしたいだろう。いきなり旅行の話を持ちかければ、少し負担に思われてしまうかもしれない。だいたい時間も時間である。
うん……今日はゆっくり休んでもらおう。
時刻は二十時を過ぎようとしていた。
「それじゃあ、二人ともまた明日」
「まったねー」
二人を乗せたUVを見送ると、先に奏を帰らせるための二台目が到着した。
「奏、今日は、あっ……」
奏がバッグを素早く中に入れてしまう様子が見えると、間髪入れず手をつかまれ、そのまま車内に引きずり込まれてしまった。
「か、奏?」
「シートベルト」さっとそれを装着する奏。
「う、うん」穂高もやむを得ずそうする。
こちらの話も待たずに奏がUVを発車させた。手際の良さに、思わず目を見張る。
チラリと横目で彼女を見ると、真顔のまま、真っすぐ前を見据えている。別に怒っているというわけではないだろうが、真剣な顔つきに穂高も言葉が出しにくい。
「あの……今日は、遠慮しようか……? ずいぶん疲れたでしょ?」
「ダメ、ずっと我慢してたんだから」
ピシャリとそう言う。反論の余地を許さない迫力があった。
「あ……うん、そうだよね」
今の返答は、正しかったのだろうかと思案してしまった。
無言のまま、夜の街を走るUV。流れては消えていく歓楽街の光。大きな流れの一部に呑まれていくような感覚が拡がっていく。
「え……」
奏が、しがみつような力で穂高の手を強く握った。顔は相変わらず前を向いている。彼女が汗をずいぶん流したせいだろうか、車内にひろがる女性のにおいが穂高の
男性本能を刺激してくる。
が、我慢、我慢……。
穂高も奏の手を強く握った。
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