(2)

 彼女がテニス部に入ったと聞いて、自分も入ろうとしたがトライアウトという選抜試験を受けるように言われた。受けてみたが普段からろくに運動をしていなかったので、あっさり息が切れて、一分ともたずにボールを追えなくなった。ラケットの振り方もよくわからず昔やったように殴りつけるような動作になってしまう。それを後ろから見ていた部員の一人が笑った、ように感じた。

 ラケットを地面に叩きつけ、殴りかかった。コンプレックスになっていた顔を笑われたのだと思ったのだ。慌てて上級生たちが止めに入り、大事には至らなかったがトライアウトは不合格となった。


 道太のプライドは大いに傷つけられた。中学時代の孤立は、特に根拠もなく自分は優れているという思い込みへの帰結となっていたからである。加えて三崎奏は自分のそばにいなければならないという自分の欲望を満たさない現実は受け入れられなかった。星緑港の生徒たち、特に文科は裕福な家の出が多く、全体的に余裕があり、進んで道太をからかうような生徒はいなかったがそれも気に入らなかった。自分が恐れられないという状況が癇に障る。気にもとめられないというのは屈辱でしかなかった。


 重なり続けた怒りと鬱憤は自分を拒絶したテニス部への報復という形に結実していく。元々性根が小心なので大それたことを思いついてもそれを実行する度胸はなかった。そこで思い出したのが、かつての〈壊す喜び〉である。夜中に部室に侵入して、ラケットをナイフで切りつけ、ロッカーを破壊し、ウェアを盗んだ。

 後日、ニヤニヤしながら、隠れながら部員たちの様子を窺ったが、ショックを受けて立ち尽くしたり、座り込んだりしていた女子生徒たちを他の部員たちが励ましていた。その中には三崎奏もいた。しおれる女生徒たちに順々に元気づけ、予備のラケット配っていく。許せなかった、自分の行いを否定したその行為が。そもそも三崎奏さえ手に入ればテニス部などどうでもよかったのだ。


 増幅された怒りは道太の報復を大胆なものにしていく。ターゲットを女子部員たちに集中させると同時に、自分の姿を見せるやり方に変更した。練習に打ち込む女子部員をコートの横からニヤつきながら眺めて、カメラで撮影することを始めた。なんのつもりか、と聞かれても答えずニヤニヤ笑いながらカメラで撮り続けて威嚇する。彼女たちは、意味がわからず怯え始めた。

 とうとう怒り出す女子を見るのも痛快だった。女ごときになにができる、とニヤつきながらカメラで撮影する。さらには盗み撮りした画像を写真化して部室近くにバラまいて怖がらせ、ノイローゼ気味になる部員たちも出てきた。自分を軽侮してきた〈女〉への復讐も果たせて心地よかった。

 しかし腕力の弱さは、認めてはいないが、感覚的に覚えていたので、女子が男子部員を呼ぶとすぐに退散した。逃げるようで悔しいので、ズボンのポケットに手を入れて肩をいからせながら大股で歩いた。刃物を持っていると思わせたいことから身につけた癖だった。


 努力ができず、もう講義にもついていけなくなっていたので学校での楽しみはこれだけになった。いやがらせは日常的なものになり、三崎奏の姿が見えない時はイラついてフェンスに蹴りを入れ、さらにはナイフをちらつかせて女子部員たちを怯えさせた。力で反撃できない女を恐怖させる、これほど痛快なことがあったのかと完全に悪癖と化していった。


 再び部室に侵入した時は、多数のウェアや金になりそうな備品を盗んだ。三崎奏のが欲しかったがどれかわからず、イラついて飾ってあった動物のぬいぐるみを持っていたナイフでめった刺しにした。部室棟は一階の倉庫、駐車場エリア以外はセキュリティの穴になっていたので証拠は残らなかった。


 この道太の悪行三昧は徐々に学校側にも知られることになったが、クラブは生徒の自主的運営に任せる方針だったので対応は鈍かった。

 いやがらせは二か月近く続き、テニス部側も練習場所を屋内に変えるなどして対抗した。さすがに屋内の実習館まで行くと男子に捕まりかねないのでそれはできず、いやがらせができずストレスがたまった。


 今日は屋外コートにいることを確認してから、カメラを持ってコートに向かった。

「あいつら、あまりビビらなくなってきやがったな……」

 そろそろ新しいいやがらせをしなければならないと考え、その妄想をしながらいつものようにコートの辺りをちょろちょろする。

 その時、何者かの視線を感じて、勢いよく振り返った。そこにいたのは一人の男子生徒、工科生のようだった。自分のことを怪訝に思ったようだが、すぐに真っすぐ歩いて行った。

 なにか気に入らなかった。あの男の後ろ姿が妙にイラつく。自分など取るに足らない矮小な存在、そう思われた、気がした。被害妄想はよくしたが格別に胸くその悪いものを感じた。


 コート内を再び撮影しようとすると、女子部員がこちらを指さして男子部員と話すさまが見えたので引き上げることにした。ついさっき通り過ぎた男のせいだと思った。今日の所はここまでにする気だったが、苛立ちを抑えきれず、向かいの倉庫のような建物に侵入して、帰り際を盗撮してやろうと決めた。

 次々と通り過ぎていく獲物をカメラに収めていった。すると、

「……ェ! あの野郎……!」

 再びあの男が歩いてくるのが見えた。ムカっ腹がたったが、すぐ後ろに三崎奏がいるとわかり、鼻息を荒くしてカメラを構える。その次の瞬間、前を歩いていたあの男がいきなり駆け出してこっちに向かってきた。

「……⁉」


 バレるはずがないとタカをくくっていたので大いに動揺した。男子生徒がなにかをかかげこちらを睨んできた。もう自分の位置は気づかれているとわかり、屈辱に震えながらその場を後にした。が、怒りを処理しきれず窓に一撃蹴りをいれた。

そのことが破滅を引き寄せた。建物を出ようとしたとき、セキュリティガードに呼び止められたのである。人がいるとは思ってなかった。ここでなにをしていたのか、と聞かれたが無視して突破しようとしたが肩をつかまれた。ムキになって振り払おうとしたら、カバンからカメラが落ちてしてしまった。


 明らかに不審と判断したガードは無線で応援を呼んだ。焦って逃げようと走ったが、すぐに息が上がりガードに捕まり、押さえつけられた。組み伏せられたあの記憶が思い返され、怒りで我を忘れそうになった。しかし、どうすることもできず、カバンの中から発見された数々の犯罪の証拠は全て押収された。ナイフまで持っていることが知られ、顔を青ざめる女性教員もいた。


 事態を重く見た学校は、道太に無期停学を言い渡すと同時に警察への通報を決定し、道太は逮捕されることになった。日常的に繰り返していた窃盗も露見することとなり、すぐには帰してもらえず、保釈には時間を要した。地元にいた時の逮捕歴もすべて学校に知られ、復学は絶望的となった。


 すべてが呪わしかった。あの男が現れてからうまくいかなくなった。自分の復讐は正当なものであり、悪いのはあの男、そう考えればまた復讐をしなければならない。認知の歪みが呼ぶ際限のない逆恨み。それが道太のすべてだった。入構許可を停止されていたので、機材の出入りで頻繁に開放される部室棟の裏手から侵入し、再びテニス部の部室を荒そうとした。まずは自分の逮捕でいい気になっている女どもを脅えさせてやるつもりだった。そこで見たことのあるサイドテールの女を偶然見かけた。


あの野郎は……!


 以前、自分の撮影を妨害したテニス部の女子、気づかれないようにマスクをして後をつけた。そこには、やつもいた。自分を停学に追い込んだあの男。なにか親し気に話している。二人の後を追う。食堂でなにやら集団で話をしている。

「ぐぁ……⁉」

 そこにはあの三崎奏もいた。自分がこんなめにあっているのに自分が欲望し続けた女と懇ろになっているあの男への憎悪が燃え広がっていく。しかし、殴り込みをかける度胸もないので、やつの素性を探ろうとした。やつの仲間と思しき男たちの後をつけて部室を確認し、どうすべきかうろちょろしながら考える。なにか怪訝な視線を向けている眼鏡の男子の姿が見えたので今日の所は引き上げることにした。

 翌日、復讐のために再び構内に侵入して、やつの部室近くで待ち伏せして出てきたところをつけた。一階まで来てやつが一人になった機会を見計らって石を投げつけた。が、逆に反撃を受け、怯んでしまった挙句、男の仲間に散々にコケにされ、警備に追い回わされての逃亡。屈辱を重ねただけとなった。


 さっき部室棟に侵入した時に盗んだばかりの住民カード(RC)で無人車(UV)に乗り込む。そんなものを使えば一瞬で警察に位置を把握されてしまうのだが、そんなことは理解できない。自分のものは警察に没収されてしまった。苛立ちから前席を蹴りたくなったが、前にそれをやって車外ロックされそのまま警察署に連行されたことを思い出し留まる。そうなると憎悪はますます肥大化し、息をするのすら苦しくなった。


 旧市街にある自宅のアパートに着いた。辺りは再開発中の土地であり、工事現場のすぐ横で工事音がけたたましく鳴り響いている最低の立地だった。保証人がおらず、その場合の公的手続きもすべて無視したため寮に入れなかったのだ。自らの不手際を顧みることもなく、自分を不遇な目にあわせる社会を呪った。

 ドアを蹴り開け、靴も脱がずに部屋に入るとまた壁に蹴りを入れる。来月には取り壊しが決まっている建物であるため大家からも放置されていた。すべてを自分中心に考える道太に引っ越し先を探す気などない。当然新しい住まいが提供されると勝手に思っている。


「クソがぁ!」

 ニット帽を脱ぎ捨てると金属バットで壁を叩いた、矮躯から見下ろされる屈辱をやわらげるために外ではいつもなんらかの帽子をかぶっている。かつて野球をやるために母から買ってもらったバットは今やうさばらしの道具でしかなく、あちこちがへこんでいる。

 殺風景な部屋にはインスタント食品の容器があちこちに散らばっており、部屋はごみ溜めと化していた。いやがらせを撮影した動画を見て悦に入るのが日課だったが警察の家宅捜査が入り、バックアップを取るまめさがなかったため、これまで撮影したデータは全部失い、戦利品として盗んだテニスウェアもすべて没収された。

さんがとその仲間たちのことを思い返し再び、怒り始める。怒ってない時の方が少ない。


「クソガキどもが……!」

 本来一つ上の自分にとって同級生たちはタメであってはならない。皆自分に敬意をはらってしかるべきなのだと思っていた。将来が半ば約束される星緑港には一年遅れで入学する生徒も多いが、道太は彼らのように高校生活を楽しむなんてことはできない。いじめとその報復に明け暮れた道太には人間は、敵か家来しかいないのである。

 なんとかしてあの〈ガキども〉に報復したかった。結局思いつくのは盗撮や窃盗くらいなものなのでカメラを見る。盗み癖があり、これも公園で盗んだものだった。これだけは自分で買ったと嘘をついて奪還したのである。傷が目に入った。いつか三崎奏を撮影していた時に、怒った小柄な女子生徒に叩き落された時にできたものだった。


 あのクソチビ……!


 今度は怒りがそっちに向いた。あの女子生徒は前にさんがとかいう男と一緒にいたところを見たことがあった。


 あいつはさんがの女か、それなら……。


 口を歪めてニヤつく。自分よりもさらに小柄なあの女なら、自分でも仕返しができるような気がした。

 その時、ノックもなしにドアが開かれた。

「……⁉ ぐ……が……」

 恐怖でのけぞる。現れたのは警官三人、先日、自分を逮捕した警官たちだった。またこいつか、そんな軽蔑めいた視線を向けている。


「……星緑港高校への不法侵入で逮捕する」

 名乗りもせず、名前も聞かずそれだけを述べた。

「ざ、ざけんな! 俺はあそこのもんだぞ!」

「今は停学処分中と聞いている。窃盗と傷害の容疑もある。おい……」

 警官たちが入ってくる。指示を受けた警官二人が道太を組み伏せる。

「は、離せ! クソが!」

 両手を抱えられて駄々っ子のように連行されていく。

「クソぉ! クソぉおお!」

 屈辱でめまいがしそうだった。

「ちくしょおお!」

夕闇の工事現場に獣のような怨嗟の雄たけびが木霊した。

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