第二章 恋人二人
(1)
夏もいよいよという、七月中旬、山家穂高は星緑港高校の終業式のために学校に来ていた。式は大講堂で行われるのだが、穂高たち工科が先んじて行われ、その後が文科といった順である。生徒が入りきらないわけではないのだが、教員たちの都合でそのようにわけられることとなった。
「それではよい夏休みを」
工科学長の講話は三十秒ほどで終わった。ありがたいのだが、愛されてないとも思えて生徒たちには苦笑がにじむ。
さっさと自分の研究に戻りたいだけなんじゃないのか……。
系列の大学からの出向学長を見てそう思った。
式自体も十分とかからず終了し、閉会の言葉が終わると一斉に野太いおたけびがこだました。工科生お約束の無礼講であり、男子生徒たちが奇声を発しながら駆け回る。数少ない工科の女生徒たちはそれをながめながら、苦笑しつつも夏休みの訪れを喜んだ。
踊りながら教室に向かう工科生たちを入れ替わりの文科生が驚きながら見送る。穂高は一気に視線を駆け巡らした。探しているのはもちろん愛しの彼女、三崎奏である。
文科は女子が多くて、なかなか……あれは……。
杉岡千緒だった。丁寧に会釈したかと思えば、アッカンベー。
ほっとこう……
小憎らしさ爆発だが今の穂高には余裕があるのだ。
あ……。
ようやく奏を見つけた。結実も一緒にいる。手振りでお互いにあいさつ、頬が緩みそうになるのを必死にこらえても顔の紅潮は隠せない。親密な関係を察した文科生たちが瞠目した視線を送ってきた。
また後で……。
目でそう伝えると教室に向かう。奏とつきあっていることを隠すつもりはまったくないが、他の男子たちに優越感を覚えてなどはいない、彼らを挑発する気も。
まして文科生のアイドルを工科生が盗ったと知られれば……。
闇討ちされかねない、かもしれない。
教室に戻ると、入学式の日に一度だけしか会ったことのない角谷講師から通知表を受けとった。
うん、悪くない。
ほとんどA、A+ とBは少し、といったところである。マシン展と奏への恋患いに悩んだことを思えば、まあまあのできだった。
「山家君、なにかいいことでもあったのかね?」
「え……ええ、少し、いえ、とっても……!」
全然話したことのない先生にいきなり話しかけられて驚く。
「ふむ……それはよかった。夏休み中も気を抜かずに」
「はい!」
「君達のマシン展での出し物、なかなかよかった……」と言うと別の生徒を呼んだ。
先生も見に来ていたのかな。意外と生徒想いな人なのかも……。
二学期では彼の講義も受講してみようと思った。
早足でテラスに向かう。浮かれ気分が軽いステップを踏ませた。空一面が青く染まっており、強い陽光に全身を照らされる。奏を待ちつつも、待ち遠しくて暇つぶしをする気にもなれない。パックゴミ回収用のランドドローンがやってくるとごきげんで頭をなでてしまった。
浮かれすぎている……
と自覚はできても浮かれてしまう。
「あ……」
奏が走ってきた、手振りでこちらの位置を知らせる。
「ごめーん、遅くなっちゃって」
「い、いや全然……」
照れくさくて、言葉がうまく出てこない。
「こっちはあっという間だったよ。うちの、ええじゃないか、すごかったでしょ」
「うん、伝統なの、あれ?」
「みたいだね」
二人で笑い合う。
昼食には少し早かったが、学校近くの洋食店まで足を運ぶことにした。話すことはいくらでもあるので、学食ではちょっと目立つ。
事前に調べておいた店で、こじんまりとしつつも落ち着いた雰囲気の店であり、のんびり歓談するにはちょうどいい。今後はこういう店探しも、念入りにやっていこうと穂高は考えている。
今期の成績はお互いに問題なし、あとはとりとめもないおしゃべりを楽しむだけとなった。
「あの、穂高……くん」
「穂高でいいって」苦笑する。奏には気をつかうような話し方をしてもらいたくない。
「あ、うん。私も奏で……もう呼ばれてるけど」
二人で吹きだす。やはり学食にしないでよかった。
「それでね穂高、私、これから……」
「わかってるよ、試合が近いんでしょ」
テニス部は夏の市大会に向けて、いよいよ腰を据えて練習に打ちこまなければならない時期に来ている。
「うん、ごめん……」
付きあったばかりで、時間を取れないのを申し訳なく思っているのだろう。残念ではあるがいたしかたない。されど穂高にも入念に取り組みたい計画、いうものがある。
「全然平気、こっちはキド研のみんなと適当にやってるから」
その間に夏休みのプランを徹底的に練る……!
顔に力を込めて、脳内でのシミュレートを早くもスタートさせた。彼女を退屈させるようなことはあってはならない。既に昨日の内からタウン誌やイベント情報をかき集めて、Eノートにまとめてある。じっくりスケジュールを練るには奏が練習している時間がちょうどいい、というものである。知瀬の観光スポットはすべて押さえてあり、近隣他県のそれもこれから調査する。
絶対に……。
自分から離れてほしくはない。その想い、というより強迫観念に近いものに突き動かされているのが今の穂高であった。
六月を振り返る。激闘の日々であったとすら感じている。ひたすら苦悩し、心を痛め、なけなしの勇気を振り絞ってようやく今の関係を築けた。それで安心しきるようなら堕落であろう。本当の戦いはある意味これからである。
「あ、あの……穂高……」
「え? ……あ、うん、どうしたの?」
変な顔になっていたようだ。
「ううん、ほんとにおもしろい子だなって……」
「え……?」
「なんでもない」ニッコリ笑顔で言われてしまった。
「それで今日は何時からかな?」
「2時から5時まで」
試合が近いので既定の二時間よりも、特別に延ばしてもらったのだろう。この学校ではクラブはサークル的であくまで娯楽と見る向きが強く、長時間の活動は推奨されない。本気で全国大会を目指す運動部はそういう事情に悩むこともある。
「こっちはマシン展も終わって当分やることはないからね。部室でみんなと遊んでるよ」
「でも4時間も……」
自分のために待っているというのは忍びないのだろう。
「大丈夫、部長とも夏休み中の活動について聞いておきたいしね」
「うん……ごめんね」
あの事が脳裏によぎった。散々テニス部を苦しめた数々のいやがらせ、期せずして穂高が犯人を学校から放逐することになったのが、あの事件のトラウマを引きずっている部員はまだいるだろう。聞くべきかかなり迷ったが、
余計な配慮は二人にとってまた溝になる……。
と思い。オブラートに包んで聞くことにした。
「その、テニス部の人たち、もう大丈夫、かな……?」
奏に瞳に憂いが生じ、穂高も口の中を軽くかむ。
「ごめん、まだだよね……」
「大丈夫……、休んでた人たちもみんな戻ってきた。まだ少し、本調子じゃないと思うけど……」
奏が一度きつく口を結ぶと、軽く息を吐いて、やや身を近づけた。
「それよりも、私、やっぱり穂高が心配なの……! また襲われるようなことがあったら……!」
あの男の報復を恐れているのだろう。元々無関係だった穂高を巻き込んでしまったことも含めて。
「全く問題ないよ。十分用心するし、学校もちゃんとやってくれている」
黒く煮えたぎるほどの憎悪がよみがえりそうになるが奏の前では顔には出せない。
それにあいつはもう拘置所だ。今度こそ実刑だろう。どこの少年院に送られるのかしらないが、二度とこの街には戻ってこれないはずだ。
当然の報いだと思う。この手で成敗してやりたいくらいなのだ。
「みんな、あなたの味方だから……。事情を知っている人は少ないけど、もし必要があれば……」
「大丈夫、もういいよ、その話は……」
奏にはもうこのことで苦しんでほしくない。話題を変える。
「休み中、どこか行きたいところある?」
「どこへでも、あなたとなら……」
「う、うん」
うれし恥ずかしである。
ここからならやっぱり京都か、無難すぎるかな……。高校生で外国はどうかと思うし……。東京も騒々しくて奏にはあわないだろう。後は……。
地元の案内、という選択肢が一瞬浮かんだがすぐに消した。
「あ、あの……」
「え? ああ、そろそろ時間だね」
ずいぶん話し込んでしまったことに気づいた。時間は既に十三時四五分。
「ううん、なんだか……考えてるなって」
「あ、アハハ……」
考え込む癖は彼女の前では改めた方がよさそうである。
奏をテニス部の部室近くまで送ると、穂高もキド研の部室に向かうことにした。もうみんなそろっているだろう。先週のこともあり、多少気おくれしつつもドアを開いた。
一斉に視線が突き刺さる。
「やあ、穂高くん……。麗しの彼女のお見送りは済んだのかな?」
さっそくニヤニヤ顔の昌貴が煽ってきた。
「うん、たった今」
動じず笑顔で返事。なにを言われても気にならない。
「おい、もういい加減自然に振るまえ」
と言いつつ真人もまだからかいたがっているように見える。
「ハァー! 当分緩みっぱなしねこりゃ。レックスも嘆いているわ」
彼は今地下倉庫で休んでいる。芳子が頭を抱えて天井を仰いだ。
「でもまあ、よかったじゃない。六月の始めごろからずっと悩んでたみたいだったけど、全部三崎さんのことだったんだよね」
斎が納得いったという顔で穂高を見る。
「う、うん……」
嘘をついていたように思えて気が引けた。
「ったく、これでマシン展の時にヘマしてたらパンチだったよ、パンチ」
冗談に聞こえなくて冷や汗をかきつつ笑ってしまう。
そろそろ本題に入りたかった。真人に向き直る。
「そ、それより! 夏の活動についてですよね。今日は」
奏との予定とのすり合わせも考える必要があるだろう。
「ああ、そのことなんだが……」
真人が眼鏡の位置を直すと、三人も真剣な顔になった。
「うちは夏休み中、なにかをやる、というのがちょっと難しくてな」
一斉に頷く昌貴たち。事情は既に知らされているようだ。
「特に穂高には……」
「はい?」
穂高もあまり、休み中のクラブでの活動は考えていなかった。
「申し訳ないが、俺は夏休み中ここには来れんのだ」
どこか別の街に行くんだろうか。帰省、という感じではないけど……。ひょっとしたら時田機動の……。
「わかりました」
なにかやるならこの四人で、ということだろう。と思ったら昌貴が踏み出した。
「部長、俺もついてっていいですか?」
「でもなぁ……」
「バイトさせてもらえません?」
「……わかった、好きにしろ」
斎がこちらに視線を向けた。
「穂高、僕も家の方が気になってて……」
「そうなの?」
「うん、ちょっと……」
「別に私たちがいなくたって寂しくなんかないでしょ? なんたってあんたには……」
「ああ、はいはい」
「うん、まあ彼女と楽しく過ごしてくれ、少し不安だが……」
「へ、平気ですよ」
そうは言うが内心を見抜かれているようで動揺する。一人の女の子と一ヶ月半近く過ごす。楽しみであると同時に試練でもあるとも感じている。穂高の度量と創造性のようなものが問われる夏休みになるだろう。
「まあ、羽目は外し過ぎないようにな」と昌貴の意地悪な笑顔。
「ハハッ」
うるせえ、と内心で毒づく。むろん節度は守るつもりでいる。
奏はこれから大会に向けて忙しくなるだろう。遠出するのはその後だな……。俺もちゃんと支えてあげないと。
既に一生分の運は使い果たした気でいた。それくらいの自重はなんということでもない。なにより彼女に嫌われるようなことになるのは死ぬより怖い。
「まあ今日くらいはみんなで遊ぶか」
「はい」
後は適当に駄弁りながら、ゲームをしたりして遊ぶだけとなった。
時計を確認する。いつのまにか時刻は十七時前となっていた。
もうそろそろか……。
立ち上がった。
「あの、俺もう……」
「はいはい、お幸せに」
顔も見ずに芳子がなにか読みながら送辞を送ってくれた。
「時に穂高くん?」昌貴がまたニヤニヤ。
「なにさ?」
「俺たちはこれからは三崎さんのことを三崎さんって呼んでいいのかね?」
「な、なんで……」自分に聞くのか。
「いや、なんか呼びづらい気がしてたんだよね。特にチミの前だと」
「ああ、俺もなんだかそんな気がしてた」
「ちょっと名前っぽい苗字ですからね」
楽し気な三人。
「ご自由にどうぞ」
さっさと出ていこうとバッグを肩に背負う。今日はいつもの鞄ではなく、これにした。
「それじゃあ夏休み、楽しくやれよ」
「はい、部長たちも」
部屋を後にした。
三階の窓から外を眺める。テニス部の面々がちょうど戻ってくるのが見えた。
奏はあそこか。今すぐ行くのは迷惑だろうな。間を置いてからにするか。
そうメッセージを送ると、ラウンジで計画の策定を続けることにした。
さて……、どこがいいかな。Eノートを開き、旅行の行き先を思案する。自然観光の方向性で候補地は絞れてきた。
様々な地名が頭に入ってくると、今度は帰省のことも気になってきた。
……行くか。ほんの二、三日でも……。
天井を仰いだ。
ほんとに、色々あった……。
あれほど思い悩んだのは人生で最初にして、最後かもしれない。
だが報われた。レールに沿った生き方しか知らなかった自分が初めて自分の意志で、居場所を見つけ、運命を開いたような充実感に満ちている。
そうさ、俺にだってこういう力があるのだとわかれば、自信にだってなる。奏に出会い、彼女の心を射止めた、と言っていいのか知らないけど奏は俺を受け入れてくれた。だから俺は、それに報いていきたい……。
ほんとにのろけっぱなしだなと思い、頬を緩ませた次の瞬間……、
「……!」
なにかが頭の中を駆け抜けた。
立ち上がる。誰かの視線を感じた。辺りを見回すが、特に自分に注目している人間などいない。まだ自分は警護対象にでもされているのだろうか。
誰かの目……いや、違う気がする。なんだ、これ……。
敵意や圧迫感とは違う、なにか強い想念を一身に受けている、そんな感覚が肌につく。
なんなんだ……?
「……」
辺りを改めて確認すると、空中の投影時計が目に入った。
少し気になったが、彼女を待たせるわけにもいかない。
奏の所に行こう……。
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