Ⅱ
第一章 ゲスの雄たけび
(1)
夕闇の小さな産業道路、そこのフェンスが衝撃音とともに揺らされる。一人の男が息を荒げてフェンスを蹴っていた。
「クソが! クソがぁあ!」
先ほどの屈辱を思い返しては怒りを増幅させる。あの男に一撃を加えてビビらせてやろうとしたが、やつの仲間に囲まれて惨めな思いをしたあげく、セキュリティガードに追い回されてようやくここまで逃げてきたのだ。
「……っす! ぶっ殺したらぁ!」
足に痛みが走り、蹴りを止めた。元々体力がないのですぐに息が上がってしまう。
呼吸を乱しながらあの仇敵の顔を思い浮かべ、最後に一撃加えると、「がっ!」足の指の付け根にあたり、思わず痛みに悶える。
やつのせいだと思った、自分を追い落とした、と勝手に思っているだけだが、あの〈さんが〉とかいうやつ。憎しみのあまり頭から湯気が出そうだった。
塚越道太は自分をボスであり王だと思っていた。何の、とかそういう問題ではなく、自分はボスであり王だから、王でありボスなのだ、そう自認していた。
大工の子として生まれた。父親はアル中で、事あるごとに道太を殴った。それも、クソの役にも立たない、目つきが気に入らないなど気分次第で言いがかりをつけて殴るのである。
母は自分をかばわなかった。いつも道太のせい、ということにされた。自分の口座すら管理され経済力の無かった母は父に逆らえなかったのである。
暴力で育てられた子どもは外で暴力を振るうようになった。野良猫や野うさぎを見つけてはバットで叩いて憂さ晴らしをした。行動はエスカレートし、飼い主の目を盗んでは、飼い犬にバットを振り下ろした。吠えられてひるむと、仕返しに離れた所から首輪でつながれた犬に石を投げた。
小学校でも道太の荒れようは変わらず、言いがかりをつけては同級生たちを殴ったが、ある時逆襲をくらい、一発殴り返されただけで戦意喪失してしまった。元々矮躯で発育も悪い道太は腕力が弱かったのである。組み伏せられて、痛みのあまり泣き出してしまった。道太は弱い、といううわさが広まり、同級生たちは道太を軽く見るようになった。それだけならまだしも、横暴で乱暴な道太の態度は、自分自身の孤立を招いた。侮辱的なあだ名をつけられ女子からも嫌悪と軽蔑の対象とみられた。
そんな同級生たちにも怒りと憎悪の矛先は向けられた。内面に吹き荒れる黒い嵐は道太の情緒をいびつに歪ませて、その日常的な歪みは顔のシワとなって刻まれていった。
十一才の時に父親が急性アルコール中毒で死んだことにより、家庭内暴力からは解放されたが、そのことでねじ曲がった性格を矯正するには遅すぎた。力で勝てない道太は、敵のものを壊す、ということ覚えた。放課後、人気のなくなった教室に忍び込み、自分を侮辱した生徒の私物を盗んでは破壊した。騒ぎになった時もあったが、疑いだけで済んだ。あいつごときにそんな大胆な真似はできないだろう、という周囲の評価に助けられていたのだがそのことには気づかなかった。犯人がわからず落ち込み、いら立つ敵の姿を見るのはたまらなく愉快だった。悪い形での憂さ晴らしを覚えてしまったのである。
中学に入ると野球部に入った。別に野球が好きだったからではなく威張りたかったからである。下級生に罵声を浴びせて威張る野球部員は道太の憧れだった。一年の辛抱と思ったが、同級生にも舐められないようにしなければとも思った。そして、これが仇となった。
常に偉そうな態度で威張りくさり、ヤジを飛ばしたことでチームメイトたちとの間に溝を作ったのである。道太の自信に満ちあふれた態度から相当な実力があるのだろうと、下手に出ていた部員たちも、下手で動きも鈍く身長も低い、加えて勉学の成績も最低クラスの道太から離れていった。そうなればいじめの対象になるのは必定であった。
陰口から始まり物を隠され、物理的な暴力にまで発展した。廊下でいきなり後ろから殴られ、殴った相手が逃げると見るや追いかけるがすぐに息が切れ、ようやく追いついたらまた殴られる、相手は笑っていた。部内でもいじめが始まった。悪質なスライディングで足を傷を負わされ、ユニフォームを便器に捨てられ、後頭部に硬球をぶつけられたことすらあった。殴って反撃したかったができなかった。組み伏せられ、顔を踏まれた時の恐怖がそれを阻止した。
教員たちも簡単な注意で済ませてしまう。彼らからも問題ばかり起こすやつ、と嫌われていた。そして、とうとう事件は起こった。
いつものように拳の寸止めでからかわれると持っていた切り口で相手の顔面を切りつけたのである。相手は泡を食ってその場にしゃがみ込み、這いつくばって逃げようとした。初めて感じた勝利だった。児童相談所に送られたがなんとも思わなかった。逃げまどう生徒の姿を思い出してはニヤついた。だが……。
家に帰ると、母がいなくなっていた。切りつけた相手の親から突き付けられた民事賠償に対応できず失踪したのである。どこに行ったのかは道太にもわからなかった。市からの支援金で一人で生活するようになった。
学校にも戻ったが、もう道太にちょっかいをかける生徒はいなかった。教員たちも今回ばかりは厳しい指導を行ったということもあるが、刃物を持っていてすぐにキレるやつ、と恐れられるようになっていた。自分が恐れられている、という状況は彼の自尊心を満たした。実際にナイフを持ち歩くようになり、さりげなくそれをいじって見せた。教員たちも注意しない。失うものがなく刃物を使うことに躊躇がない上、少年法で守られている道太を恐れ、放置した。見捨てられた、と言い換えてもいいのかもしれない。
顔を歪めて周囲を威嚇するのが習い性になり、自分自身の内面を反映するかの如く顔のシワは深くなり、歪んでいった。自分に睨まれて縮み上がる生徒を見るのは最高だった。特に女子が脅える姿は……。誰もが自分に恐懼しているかのように思えた。その勘違いは彼の自我をますます歪曲させ、次第に自分はボスであり王なのだ、と錯覚させていった。
勉強はからっきしだったので定員割れの私立高校に進んだが、そこが二学期の終わりに閉校してしまった。元々生徒不足で資金繰りが悪かった上に、理事長が投資に失敗して破産、校長が学校の金を持ち逃げして夜逃げ、というお粗末な最後だった。市は救済策として、在校生を各地の学校に転入させることにした。そこで道太に転機が訪れる。
知瀬市の名門校、星緑港高校へ文科生として転入が認められたのである。親を失い一人暮らしという道太に近い経歴を持つ男性教員が同情と共感から呼び込んでしまったのであった。ようやく自分にもツキが回ってきたと思った。ただ、学校にはほとんど行ってなかったので一学年からのやり直しとなった。
そして入学式の日に一人の少女を見初めた。舐め回すように見て劣情をもよおした。あの女子生徒は俺の女にならなければならないと欲望した。少女の名前は三崎奏。
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