第九章 君のためなら

(1)

「こんなもんか」

 買ったばかりのシャツに袖を通した。高校生の衣服にしてはやや高めな部類になる。普段はあまりファッションなど意識しないで、量販店の服で揃える穂高でもかっこいいと思えた。

 今まで読んだことのないファッション誌も参考にした。代金は初めて父のカードを使わせてもらった。普段の生活費はベーシックインカムだけでまかなえているが、これは奢侈品と思ったからだ。この街に来てから父に感謝したのも初めてだった。帰省の理由を見つけたかったのかもしれない。


「行こう」

 ドアを開き、寮の駐車場に向かう。

 これから楽しい一時を、と思うのだが、一瞬あの事を思い出して顔が曇る。あの男のことである。あの後、藤林から連絡があり、警察が逮捕したと聞いていた。審判前の観護中であったので、もう出てくることはできないだろう。

 その次の日に真人からも説明をうけた。住所は教えてくれなかったが、男はアパート暮らしで、そこも、もう今月いっぱいで取り壊しが決まっているという。


同じ寮だったらと思うだけで身の毛がよだつ……! あんなやつと同じ屋根の下なんて生理的に許せる話じゃない……!


 さらに男には逮捕歴まであった。傷害一回、窃盗五回、あとはどれもケチな犯罪ばかりであった。


 なんだってあんなやつが星緑港に……。やつの境遇に同情した教師がよその学校からの転入を認めてしまったと部長は言っていたけれど……。


 その教員も今やひたすら恥じ入り、反省しきりだという。男のRCも没収され使用資格が停止された。家宅捜索が入り数々のいやがらせや盗撮の動画もすべて押収されたことも聞いた。男が入手していたテニス部の個人情報、大半は女子だがそれらも審判が終われば破棄されることになっている。奏のものはなかったらしいが、それでも不快感を拭い去ることはできない。

 被害を受けた女子部員と一部の男子部員、その保護者たちも一斉に被害届を出した。ほとんどが三年生であり、一、二生を守りたいという意志があるようだと聞いた。彼女たちの強さとやさしさに胸が打たれると同時に男の破滅が確定したことも知った。警察の捜査で発覚した諸々の余罪に加えて先日の穂高への傷害未遂も含めて、もはや更生の余地なしと判断した学校は少年審判の終了を待たずに男を退学処分にしたのである。


「知瀬は福祉の厚い街だが、犯罪に対しては厳しい。学校を追われ、住む場所も失い、RCすら持てなくなったのでは、もうここで生きていくことは不可能だ。元居た街に戻るしかなくなるだろう。それもすべての処分が終わったずっと後の話だ。だからお前も、もう……」

 忘れろ、そう真人は言った。


 どこぞで野垂れ死ねばいい……!


 そこまで毒づくと息を落ち着かせた。こんな表情をしていては彼女たちに合わせる顔がない。

エントランスを抜けて駐車場まで行くと、もう全員がいた。

「おっはよー!」千緒の元気な声が響いた。

「おはようございます」結実のおっとりした挨拶が続く。そして、

「おはよう」奏も笑顔で穂高を迎えてくれた。

「おはよう!」

 できる限りの明るい声で手振りとともに挨拶をした。奏の顔をそっと見る。やさし気で柔和ないつもの彼女ではあるが、まだ少しぎこちない感じがした。やはり、先日のことをまだ気にしているのだろう。服はワンピースで片の部分からわずかに見える肌が眩しく見える。

「前にも来たけど、ここってすごい大きいよね。女子寮の倍近くはあるんじゃないの」

 千緒はボレロにブラウスとスカートを身に着けている。活発なイメージがあったので少し以外に思った。

「去年、できたばかりだからね。中もとってもきれいだったよ」

 結実はうっすら水色がかった白いチェニックで清楚な彼女らしい出で立ちだった。

「千緒、ここに来たことあるの……?」

「え……? う、うん、ちょっと……ね」


 奥ではキド研組がUVの準備を既にしていてくれた。

「おう、来たか穂高」

「おはようございます、部長」

 三人の私服姿を見たことから、つい芳子の方にも視線を移すと……シンプルなポロシャツにジーンズだった。

「……なによ」

「い、いや別に……」

「今日は穂高ちゃんの仕切りでいいんか?」

「うん、ま、簡単なものだけどね」

 元々、奏とのデートコースにするつもりだったが、予定を変えてみんなで遊ぶことにした。彼女を元気づけたかったのだ。多少の変更を加えて、賑やかに遊べるものにした。試験終わりの息抜き、そんな名目でみんなを集めた。不安はあったが奏は来てくれた。

「それじゃ行こうか」

 UVに乗り込んでから、まずはモノレールの駅に向かう。車はそこで返してしまい、モノレールで第四区の人工高地にある動植物園まで行く。。そのあとは一体となってるテーマパークで遊んで、そこからロードウォークで接続されている港まで行き、この日に来ている移動庭園型の旅客船で夕日を見るというものにした。

 穂高も含めて他県から来た面々はまだここのモノレールには乗ったことがなかったので物珍しそうに、車内から街を眺めた。

 あまり知らなかったお互いの学科の裏事情、文科と工科の違いなどで談笑しながら、動植物園を散策する。知瀬唯一の動物園でもあり千緒は興奮気味に走り回ってみんなを先導した。そんな彼女を微笑ましく見ている奏、足取りはしっかりしているがやはり気になって仕方がない。


 楽しんでくれている……とは思うけど……。いや、原因はすべて俺にある……。あの約束は終業式の後に必ず……。


 穂高にとっては頭で思うのも恥ずかしい言葉、奏への告白である。その日にすべて打ち明けるつもりでいる。千緒と結実も少しくらいなら、そのための時間を作ってくれるだろう。それではっきり断ってくれるなら、それもやむを得ない。すべて受け入れるつもりでいた。

 いずれにせよ、今日という日はただ楽しむだけにしようと穂高も決めていた。

 昌貴はなにやら、結実と楽し気に話をしている。斎はなにかメモを取りながら動物を観察していた。

「穂高、あのムササビすごいな。レックスに応用できないかな?」

「い、いや、重量が違い過ぎますよ」

 こんな時でもマシン第一の真人に苦笑してしまう。


 簡単な昼食を終えると、隣のテーマパークに向かった。知瀬の科学技術を売りにしているもので、真人の会社からもアトラクションがいくつか提供されていた。

 十七時を回ったところで、大型のアミューズメント船にやって来た。世界中を周回しているもので、知瀬に来たのは初めてだった。デッキ部分はかなり広い庭園となっており雨天時にはドームのように覆われるという。

 皆、さすがに遊び疲れてきたのか、デッキのテーブル席に腰を下ろして適当におしゃべりするだけとなった。

「ちょっとみんなの飲みもの取ってくるね」千緒が立った。

「私も行くよ、一人じゃ大変でしょ」

「私も手伝います」芳子と結実も続く。

「私も……」

「奏はちょっと休んでて、シングルで試合に出るんだから体調はしっかり、無理はしないで」

「あ、うん……」

 そう言うと千緒たちは行ってしまった。


 試合が近い……? ちゃんと聞いておけばよかったな。


「ほんじゃ、俺はちょいとつまめるものを」昌貴が立ち上がる。

「僕も行くよ」

 穂高も行こうかと思ったがやめておいた。今は彼女が気になる。


「……あの、時田さん」

「うん? なにかな?」

 奏が遠慮がちな様子で真人に話しかけた。

「時田さんは、どうして工科……いえ、機械の道と言っていいんでしょうか、そちらを選んだんですか?」

「うーん……、そういう環境にいたから、としか言えないかな」

 真人が眼鏡を整備しつつ苦笑した。

「君も知ってるだろうけど、うちがそういう商売をやっていてね、物心ついた時にはもう機械をいじってたよ」

 穂高も集中して聞き入る。

「父さんは工学者みたいなものでね、色々なメカを持っていた。それで俺も……まあ、マシンやロボットが友達ってやつだね」


 みたいなものってどういう意味だろう? たくさん特許を持っているすごい人、としか自分もしらないけど……。


「それで気づいたら、もうここまで来てたってとこ。あの三人も……」

 言いよどむ。おそらく昌貴たちのプライバシーに関わることなのだろう。

「そういえば穂高は?」

「……とりたてての理由というのはありません、ただ……」あの街を離れたかった……。

「前に話してくれたじゃない」

「あ……うん、三崎さんには話したかな……」

「ハハッ」

 いきなり奏に話しかけられたのでドキッとしてしまった。

「ちょっと失礼……」真人が立ち上がった。トイレだろうか。


 奏と二人だけになった。

「……」

「……」

 千緒たちはまだ戻らない。なにか言わなければと思考を整理する。


 今、言わなければならないのは、まず……。


「山家くん」

「はい」真顔で答えてしまった。

「ちょっとあっちに行かない? 夕日がよく見えるみたい」

「……わかった」二人同時に立ち上がった。

 デッキの側部の手すりに腕を乗せた。奏も手を置きながら夕日を眺める。日の入りは遅い時期なので、日差しはまだかなり明るい。

 あの時のことを思い出した。

「前に高速で見たね、こういうの……」

 彼女の家に行った日のこと。

「そうだね……」

「あの……、今さらだけど、あの時泊り込んじゃってごめん、思ってたより疲労してたみたいで……」

「ううん、おもしろかった」

「え?」

「全然起きないんだもん、頬つまんでも、鼻つまんでも」

「え……あ……」

 そんな無体を受けていたのかと思うとうれしくなる。だが今はそんな変な感想はどうでもいい。

「それと……色々黙っていたことも……」

「違うよ……謝らなきゃいけないのは私の方なのに……」

「後……入学式の時の事も……」

「ああ……ふふっ、びっくりしたでしょー?」

 ちょっと意地悪な顔になった。

「びっくりしたなんてもんじゃないよ……」

「なんで見てたのかなぁ?」

「……かわいい娘だなって思ったから」

 ストレートに言った。

「……そ、そうなんだ……。はは……」


 何やら下の階のデッキが騒がしい。なにか催し物が始まるようだ。

「……帰省する?」

 言葉が見つかったかのように奏が言う。

「わからない……。帰りたくないのかも……」

「どうして?」

「母さんとの約束を……破ってしまったから……」

「お母さん?」

「ああ、五年、いや六年前に死んだ」

 自分でもなぜそんなことを言い出したのかわからなくなった。

「……あ、あの……ごめんなさい……」

「いや、いいんだ……」こちらが切り出したことだ。

「前に君に、無人車が好きではないみたいなこと聞かれたことがあったよね」

「……うん」

「あれは……、母さんが無人車にはねられて死んだからなんだ」

 今こそ向き合わなければならない、そう感じた。封印していた記憶がほどかれてゆく。


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