第八章 叫ぶ
(1)
七月の試験期間も終わり浮かれ気分の星緑港の生徒たちは、至る所でおしゃべりにふけっている。後はもう消化試合のようなものとなれば、講義中に気が緩むのは学生の常、
「工科道不覚悟っ!」
そんな生徒たちのさえずりが惹起した本堂講師の怒号が飛んだ五限であった。
部室までのロードウォークを早足で歩く。速めに取り組みたい課題があるのだ。課題、といっても至極個人的なものではあるが。
芳賀康裕とすれ違い、挨拶を交わした。真人はちょくちょくロボット部に顔を出すようになった。彼らもレックスのことが知りたいのだろう。今度は自分も行ってみようと穂高は思う。
部室に着くと、奏と結実が椅子に腰かけて、卓上のEノートを広げていた。
「こんにちは、山家くん」柔らかなほほ笑み。
「こんにちは、いらっしゃい。今日は休みなんだよね?」
「うん、火曜はそうなの」
基本的にこの学校ではクラブは週に二日は休みとしている。それでもスポーツ館で自主練に励む生徒もいるが、大抵は部室でだらだら遊んでいるのが大半である。文化系と工作系はさらにいい加減で基本的に毎日、後者みたいなものであった。
こんなところに奏がいたら、以前の穂高なら逃げ出したくなっただろうが、そんな惰弱はもうどこにもない。奏が立ち上がって、目の前に来た。
「……試験どうだった?」
「……まあまあかな」
同時に吹きだす。こんなやり取りも普通にできるようになった。結実がテーブルに突っ伏した。微妙に痙攣している。ツボに入ったというやつだろう。
「千緒も来てるよ、ほら、あそこ」
コックピットキューブを見やった。中で遊んでいるのだろう。
「芳子さんも一緒ですよ」
結実がようやく笑い涙をたたえた顔を上げた。芳子は内部の後部席で千緒の補助をしているようだ。
「おやぁ、うちにもずいぶん彩りってもんがでてきたねえ」
「いらっしゃい、皆さん」昌貴と斎も来た。
「お邪魔してます」
「それカタログだよね、マシン展の」
委員会がまとめたレポートで各参加チームのマシンの詳細が載っている。ほとんどのチームは核心的な技術まで提供していた。学生のお祭りであるわけだし、企業などにアピールしたいという思惑もあった。穂高たちもレックスの仕組みを惜しげもなく公開している。
「うん、時田さんにみせてもらったの。さっきロボット部の方に行ってくるって言って出て行ったよ」
CCのハッチが開き、千緒と芳子が出てきた。
「すごい、すごーい! 今、南極行ってきたよ、南極!」
千緒が腕を大きく開いて興奮気味に語りかける。
ここのVRシミュレーターは世界各地の地理の詳細な映像記録を保有している。それをCGで再構成してかぎりなく実物に近い景色を現出させることが可能で、仮想空間での世界旅行ができるのである。穂高も最初やった時はえらく興奮したものだった。
「ペンギンとか、あれ全部CGなの?」
「そう、本物そっくりの挙動をするようにAI……人工知能がやってくれるの」
芳子の説明を千緒はキラキラした目で聞き入っている。
AIと聞いてあのガスマスク、のようなマスクを着けていた男を思い出した。
ただのコスプレみたいなもんだろ……、あの大会にはいろんな人たちが来るから……。
「そのうち月や火星とかにも行けるの?」
「月はもうすぐだと思う。火星はまだ先かな」
もはや秒読みとまで言われているが、まだ人類は火星への有人飛行は実現させていない。理論的には可能なのだが、確実な生還を期すにはまだ少し無人機での探査でデータを集める必要がある、いうところである。それを支援するための軌道基地も年々拡充されている。
「気に入ってくれてなによりだよ」ここの地理データの入力は斎がやっている。
「宇宙戦争ごっこもできるぞ、三百人くらいでやってるやつ」
「ほんと⁉ やりたい!」
「だーめ、三十分やったら五分、一時間やったら十分休憩。目が疲れちゃうからね」
芳子がそんな母親みたいなことを言う。昌貴は千緒に最初、すけこまし呼ばわりされたことはまったく気にしていないようだった。度量が広いのだろう。芳子が奏たちの方を向いた。
「三崎さんたちもどうです?」
「はい、ちょっとやってみたいと思ってました」奏がカタログを閉じた。
「補助なしで大丈夫か」昌貴が横目で穂高を見た、が本人はEノートでなにやら作業に没頭していた。
「基本的な操作はできると思いますから」
「それでは私とロンドン旅行としゃれこみましょう」結実と一緒に入っていった。
「なにやってるの?」
「え、ああ……! ちょっと調べ物を……」ぎょっとして顔を上げる。千緒の接近に気づけないほど集中していた。
「ふーん」
彼女も盗み見するほど意地悪ではないようで、カタログを見始めた。
ふぅ……。部室でやるにはリスクが大きいな……。
動揺を静めて、作業を再開させる。
試験は終わったが、穂高にはこれから男の勝負が控えているのだ。
映画は……違うな。知瀬に動物園ってあるのかな、ちょっと子供っぽすぎるか。
必死に構築しているのは、ずばり奏とのデートプランである。
水族館は小さいのしかないな、もっと複合型のアミューズメント施設がいいかな。でも三崎さん、あまり騒がしいところは好きじゃないだろう。
その最後で決行する予定でいた。この気持ちを抱えたまま夏休みに突入するのは耐えられない。玉砕覚悟のアタックを敢行する、それが穂高の決意であった。
モノレールで、第四地区の動植物園に行って……ここなら二時間は遊べるだろう。けど、行ったことあったらどうしよう……。
一心不乱に取り組んでいる。
昼食はイタリアンでいいだろう、テーブルマナーは念入りに予習しよう。念のため寮の生活課に行って……。あっ……。
肝心かなめの誘い方をまだ考えていないことに気づいた。
まずい……、思いつかない。
こうなるとやはり自分は不器用なのだと再認識する穂高。
ストレートにいくか、さりげなくか……三崎さんならストレートだろう……。
「おう、全員揃ったか」真人が入ってきた。あわててノートを閉じる。
「これからレックスの今期の最終格納を行う。うちの部のみんなは一階のC2ブロックまで来てくれ」
そこからレックスを地下倉庫に格納するのである。もう二学期まで彼を見ることはない。
穂高は寂しくもどこかやり遂げたような感覚に襲われた。他の皆も同じようだ。
「あたしたちは……」
「杉岡さんたちはここで遊んでてください。そんなに時間はかけませんから」
「すぐ戻るよ」
「行ってくる」
それぞれに挨拶して部室を後にした。エレベーターで一階に降りていく。普段は生徒の使用は禁じられている業務用のものだが、今日は特別に認められている。多くのクラブはこの日に学期終わりの片づけを行うのだ。
部室棟の一階は、学校の駐車場、機械置場となっており、主に工科生たちが、それぞれの機材を運んだり、バイトで教授の作業の手伝いなどをしていた。
夏休みが近いんだ……、帰省するひとはどれくらいだろう……。
作業に取り組んでいる生徒たちはみな一区切りついたといった充実感に満ちているように見えた。
俺は……。
帰省すべきか悩む。
横浜に帰ったところで、会いたい人なんて一人もいない……、父さんにさえ……。これもすべて自分が……。
歩んできた道の轍にすぎない。すべて自分で受け止めるしかないのだ。
それでも一度は帰ってみようと思う。今ならあの時見えなかったものが少しは見え
るようになっているかもしれない、そう思った。
みんなはどうするんだろう……?
キド研の面々を見やる。
斎は仙台で上北は知瀬に家がある。そういえば昌貴の出身は聞いていなかったな。部長はここがほぼ地元みたいなもんだろうけど……。
ほぼというのは、時田機動は日本各地に拠点を構えており、どこが真人の故郷と言えるのかはよく知らないからだ。頭脳となる本社は一応東京にある。
今は作業に集中しよう。
レックスがカーフォームのまま置かれていた。
「俺と斎はエンジニアの人たちと話してくるから三人はここで待っていてくれ」
「私も行きます。ちょっと聞いておきたいことがありますので」
「わかった、それじゃ行ってくる」
三人はスタッフルームに向かった。
しばらく手持無沙汰で辺りを見回すと、部室棟の奥行きの深さに改めて驚く。
「俺、ちょいとお花つんでくるわ」
そういうと昌貴はトイレに行ってしまった。
レックスの側部をながめてみる。
機械汚れが全くない。念入りに洗浄しただけでなく材質そのものが……。
そこまで観察した時、軽い音がした。
「えっ?」
振り返ってみると、誰かがいる。制服や作業服は着ていない。
どこのクラブだ?
なにやら様子がおかしい。ポケットからなにかを取り出し……こちらに投げた。
「なっ……⁉」
それは穂高の脇をそれてレックスのボディに当たると、あっさり砕けた。石だった。
驚くと同時に目を見張った。ここの生徒でそんな粗暴なふるまいをする人間がいるなんてことが信じられない。一瞬の間を置いて、すさまじい怒りが突き上げてきた。一気に近づいてにらみつける。
「おい! おま……⁉」
その男の顔を見て、愕然とした。
な……んだ、こいつ……。
子どものような丸型の顔つきなのだが、やたらでこぼこしており、老人かと思えるほどにシワが深く刻まれている。目は光の反射が見えないほど小さく、髪は手入れしていないのか不潔に見える。背は穂高よりもかなり低い。
ここの生徒なのか……?
人を顔や見た目で判断してはいけないということは理解している。だが目の前の男はあまりにも異様に見えた。
「……ェ!」
顔を見られた男が口元を大きく歪める。半開きになった口からは前歯が一本ないのが見えた。そして再びポケットから石を取り出した。
こいつ⁉
再び石を投げようとした。穂高にではなくレックスに向けて。
「なにをする⁉」
穂高自身でも信じられないほどの大声が出た。男が怯んで動きを止めた。
「ふざけるな……!」
本気で激怒して、さらに距離を詰めて男をにらみつけた。憤激が内から爆発するような感覚。レックスは穂高だけではない、クラブ全員の誇りそのものである。それに石を投げるなど誰であろうと許せることではない。
男も左右不釣り合いな口の口角をわずかに広げ、緊張からか息を荒くして穂高をにらむ。
小さな目でも憎しみが宿っているのがわかる。しかし、体格差の不利は理解できるのか、わずかに震えているようにも見えた。
「おい……!」
誰だお前は、と続けようとしたところ、男は横を向くと両手をポケットに突っ込み大股で歩き始めた。どこかで見たことのある歩き方だった。
「……ォ」
去ろうとした男の進路を誰かが遮った。
「なんだ……お前?」
昌貴だった。
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