(5)

 なんだったんだ……?


 気になりブースを飛び出して辺りを見回す。男は影も形もなくなっていた。

 レックスの近くで真人が、芳賀康裕らロボット部の部員たちと話をしているのが見えた。皆興奮しきりであれこれと質問攻めにしているようだ。斎も微笑をたたえて応じていたが、表情にはまだ少し陰が差しているようにも見える。

 西日を受けて三つの影が自分の前の地面に出現した。昌貴たちが戻ってきたのかと思い振り返った。

「昌……⁉」

 目が固まり、全身が硬直する。

そこにいたのは、千緒、結実そして奏であった。

 お互い無表情のまま、にらめっこになった。なぜここに、という疑問よりも先に先日のテニス部顧問の藤林講師への悪態を思い返して戦慄する。


 お、怒ってる……よ、ね……?


 自分でやったこととはいえ今は猛烈に後悔していた。揺らぐ視線を投げかけ三人の顔を窺う。

 なにか言わなければ、と思って出た言葉は、

「あ……、こ、こんちわ」

 自分を殴りたくなった。

「はい、こんにちは」結実が一歩前に出て丁寧にお辞儀する。慌てて返礼。

 顔を上げる途中で怖々と奏の方を見た。彼女も無言で一礼。そして、元の位置まで戻ったその顔は、いつもと同じ、穏やかでやさし気な表情そのものであった。

 どこかで見たことのあるまなざし、自分を誉めてくれている、それが伝わってくる。


 だけどいつの……?


 思い出せない。記憶ではなく感覚が覚えているような気がした。数秒の思索を終えると、なにかがヌッと前に出てきた。


 うん……?


 千緒である、のだがこれがやたらニヤニヤしている。目を細めて彼女を見ると、今度は吹きだした。


 なにかおかしなものでもあるのか?


 つい辺りを見回すが、穂高たちのブースの先には滑走路のようなだだっ広い空間があるだけである。千緒は口に手をあてて、必死に笑いをこらえている。

「おやおや、両手に花、どころじゃないな、穂高くん」

 昌貴が戻ってきた。後ろには芳子もいる。彼女までなにかおかしな表情をしている。

「やあ、いらっしゃい。どうだったかな、今日は……」

 真人と斎もやってきた。彼女たちが来ることは知っていたようだ。

「とても面白かったです。勉強になりました」奏が丁寧に答えた。

「はい、来てよかったです」結実も同様。

 千緒はまだ口元を押さえ、震えている。いい加減気味が悪いので、なにかと聞こうとした。

「えっ……?」

 千緒がRCで空中に平面映像を投射した。一瞬何かわからなかったが、見えてきたのは穂高自身の姿だった。

 先ほどパフォーマンス開始前に、瞑想にふけっている、ようなことをして目を閉じている自分の姿。パイロットスーツを身に着けてそれをやっている、その顔は、いわゆるキメ顔としか形容しようのないものであった。

「……」

 穂高も含めた全員が凝視した。

 続いて、千緒がそのキメ顔の自分を体を曲げて覗き込んでいるもの、大胆にもすぐ横に座りながらピースサインをしているものも出てきた。


 なんのことはない。先ほどのざわめきのような感覚はプレッシャーでもなんでもない。単にこの娘が目を閉じている穂高の周りをちょろちょろしていただけだったのだ。そしてこれを撮影したのはおそらく……。

 芳子を見た。顔をそらされる、と彼女もついに耐えかねて吹きだした。CQに入る前の彼女のおかしな様子がようやく合点いった。

 結実は相変わらずニコニコにしている。そして、奏は……、彼女の顔を思いっきり凝視してしまった。なにか目を潤ませて、口元をゴニョゴニョさせている。

 こんなに長く彼女と見つめ合うのは初めてだった。

「……ふ、あ……アハハハハハ!」

 ついに決壊したかのように一気に大笑いする。口を開けて遠慮なしの大哄笑、以前の車駅でのそれを思い出した。男性陣もそれが導火線になったかのように一斉に笑い始めた。


 穂高は、耳まで真っ赤になっていたかもしれない。

「部長、部長、これキド研の宣伝に使いませんか? ちょっとセピア加工加えて、出撃に臨む少年みたいな感じで」千緒が、苦しそうなほど笑いながら真人に提案する。

「お、そりゃいいな」真人もノってきた。

「ナイスアングルだ。偉いぞ千緒ちゃん」

 昌貴が腹を抱えてのたうち回る。

「ぼ、僕は感動しているよ……。穂高がここまで集中してくれていたなんて……!」髪をつかんで笑う斎。先ほどの激情からは完全に解放されたようだ。

 ようやく、穂高も言葉を出すことができた。

「杉岡……、そ、それ……! 消せ!」

「イヤだっ!」

 手を伸ばすと後方にのけぞられる。脱兎のごとく逃げる千緒としばらく会場で追いかけっこをするはめになった。


 息を切らしながらブースの座席四つを使って横になる。ただでさえ疲労しているのに俊敏な千緒を捕えるのは骨過ぎた。ようやくデータを消去させて、ブースに戻った時はめまいすらした。

「情けないねぇ、機械に頼り過ぎて運動不足なんじゃないの?」

「……うるさい」

 誰のせいだと思っているのか。

「あの服かっこいいよねえ、ヒーロー気分に水を差しちゃったかな」

 なんとも小憎らしい、先日の穂高の部屋でのしおらしさはどこへやらである。やっと聞くべきことを思い出した。

「……どうしてここにいるんだ?」

「え?」

「だから、なんでマシン展に……」

「あんた自分でこの前言ったでしょ? 見たいなら見に来ればいいって」

 そんなことを言ったような気はする。しかし本当に来るとは思っていなかった。

「でもすごかったよ。人っていうか人型のロボットになるなんて聞いてなかったから」

 なんの意味があるの、という彼女の言葉も思い出したが、素直に感心してくれているのはうれしかった。

「秘密にしてたんだぁ、本番で見せてびっくりさせたかったのかなぁ?」ねっとり、である。

「単に言う機会がなかっただけだ。それにうち以外にもこの手のマシンは他にたくさんあっただろ」

 もちろん運営には最初からすべて伝えてある。彼らも必要と認めたとき以外は事前に公表したりはしない。人型ロボットというのはやはり日本男児の憧れなのか、製作に取り組むチームは多かった。ただあそこまで飛んで見せたのは自分たちだけだろう、そのことは矜持として持っている。


 俺は、大したことはしてないけどな……。


 起き上がり、わずかに考え込んでから千緒に視線を向けた。

「どうしたの?」

「その……なにか聞いてないか?」藤林講師への悪態のことである。

「ああ……大丈夫。誰も気づいてないよ、私だけ……私も誰にも話してない……」

「ああ……」今度はこっちが、ああ、である。


 例のいやがらせ退治のことと勘違いしているのか……。


 藤林講師は彼女一人の胸にしまっておいてくれたようで、詫びたくなった。

「えーっと、そろそろ撤収準備に入りたいんですけど……」背後から芳子の声。

 千緒の乱行を止めないどころか、一緒になって自分で遊んでいたこと回顧してジト目で彼女をにらんでしまう。

「……アハハ、それじゃコンテナへの搬入は業者がやってくれるから手荷物だけまとめといて」

 気まずい笑みとともに、そう言うと去っていった。

「ンモー!」

 確執を作り出した張本人が、なにが、ンモー、なのであろうか。


 顔を両手でこする、と視線を感じた。

 奏と結実がこちらに向かってきた。再び顔に緊張の筋が浮かぶ。

 立ち上がり、眼前まで来た少女を直視する。静かな微笑をたたえている奏。

 彼女とはこの間、彼女の部屋で別れたきりだった。しかし、顔を思い浮かべるだけでつらかった、あの疑心からくる怯懦は消えていた。もう自分を卑下する気はない。使命を成し遂げたことによる自信だけではない。先ほどの言葉は嘘にできない、そう感じた。

「やぁ……」

「うん……」

「その……試験、どうだった?」

 結実が微かに笑う。つい先日彼女に言った言葉である、どうも話題を思いつかないとこうなるらしい。

「……ん、まあまあかな」奏の返答もほとんど同じだったので、結実はますますおかしくなってしまったようで、口を押えて笑いこんでしまった。

「あ、あの……」

「どうしたの?」

「……あの……レックスくん、すごかった……」

「ああ、ありがとう」

 なにか他にいいたいことがあるような口振りだったがそれ以上は聞かなかった。駆動音が近づいてくる。レックスを運ぶコンテナ車がやってきたのだ。

「ごめん、ちょっと……」

「うん……」

 彼女との会話を打ち切らねばならないのが残念だったが、やはり世話になったレックスをちゃんと見送りたい。コンテナ車に向けて走った。真人がリモコンしてコンテナにレックスが収まっていく。コンテナの蓋が閉じられた。コンテナ車が去るまで五人はじっと見ていた。


「さぁ……帰るか」

 真人が振り返った。

「ええ」

 荷物を置いた場所まで戻ろうとした時、芳賀康裕が駆け寄ってきた。

「お疲れ様」

 温和な笑みとともにそう言ってくれた。

「ああ、ありがとう」

「ありがとうございます」

 穂高たちも頭を下げる、今度は斎もちゃんと礼をした。

「これさ、本堂先生から」

 封書のようなものを取り出して真人に渡す。

「え? あ、悪いよ……」

 真人はなにかわかったようだ。ざっと辺りを見回す。

「もう行っちゃったよ」

 芳賀が苦笑する。

「まいったな……」

「ご祝儀だって、気にすることないよ」

 それでわかった。現金だろう。打ち上げで使えという趣旨の。支払いの類はRCでやるのがほとんどのこの街でも現金文化は健在である。

「それじゃ俺はこれで」芳賀が手振りで別れの挨拶をする。

「ああ……ありがとう。本堂先生には今度、俺の方から礼を言いに行く」

「うん、それじゃあ……」歩き去っていったが途中で振り返った。

「時田、たまにはこっちにも遊びに来いよ!」

「ああ!」

 ロボット部の面々も遠くからこちらを見て一礼してくれた。穂高たちも返礼する。

 真人はどこか懐かし気に彼らを見ていた。喉元のトゲがとれたような顔つき、やはりどこかで彼らと別々の道を選んだことを気に病んでいたのかもしれない。


「打ち上げかぁ……、そういや全然考えてなかったな」

「芳子さーん、地元でしょー、どっかいいお店知らなーい?」

「し、知らないわよ」

「でもラーメンは得意でしょ?」

 芳子の蹴りが昌貴のふくらはぎに炸裂する。ラーメンで打ち上げ、というのはちょっと違う気がした。奏たちもやってきた。

「時田さんたち、今日はありがとうございました。私たちはもう帰りますので」

「ええ、お疲れ様です。興味があったら今度部室にでも来てください」

「山家くん、さっきはあんな笑っちゃってごめんね」にこやかに言ってくれた。ずいぶん久しぶりにみたような彼女の笑顔。

「い、いや……」

「それじゃあ……」

 彼女が振り返る。自然と、足が前に出た。踏み出さなければならない、そう感じた。

「三崎さん……俺たちこれから打ち上げなんだけどよかったら一緒にどうかな?」言えた。

「え……」

「ああ、歓迎するよ」真人も同意。

「うちの応援団になってくれたわけだしね」斎も続く。

「穂高ちゃんにパワー注入してくれたみたいだしな」と昌貴。

「どうかな……三人とも」

 芳子がちょっと照れくさそうに言う。最初に会った時の態度を気にしていたのかもしれない。

「でも……」

「はいはーい! 行きまーす!」千緒が乗り出してきた。

「お邪魔してもよろしいでしょうか?」結実も乗り気のようだ。ちょっと意外に思ったがもちろん歓迎である。

「三崎さん、あのお店どうかな? 以前行った……」

「あ、ああ……! ちょっと聞いてみるね」

 ようやく一歩踏み出せたようだ。


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