(2)
芳子と別れ、校門近くの駐車場でシャトルバスに乗り、席に着くと重苦しいものが胸にのしかかる。今日見てしまったものを忘れたくて窓に顔を押しつけた。
寮に着くと、汗で服がべっとりしており、早くシャワーを浴びたくなった。
「そんじゃ、メシの時間に呼ぶわ」
昌貴たちもそれぞれの部屋に向かい、穂高もようやく自室につくと、鞄を放り投げた。荒っぽく服を脱ぐとシャワールームに向かう。風呂は共用の浴場があるが、自室のシャワーで済ませることが多い。無数の水滴に打たれながら、茫然と昼のことを考えてしまう。誰にだって、というフレーズがまた頭をよぎった。
当たり前だろ……。いつから自分が特別だなんて考えた……。
あの男子生徒たちの容姿はよくみえなかったが、さわやかでやさしく、たくましいのだろうと想像してしまう。
またしても……。
奏のことを考えていると、頬をつねりそうになったが寸前でやめた。
いちいち考えようとすまいと思うから、よけい気になるんだ……。
あるがままにすればいい、と思いを改める。
自分は、きっと負けている……あの男子たちに……。
なにかと自問してもはっきりしない。男としての全体的な魅力、のようなものか。強いライオンはハーレムを築くが、弱いライオンは築けず、エサも取れなくなって死ぬしかなくなる、そんな自然ドキュメンタリーを思い出した。
なにも大勢にもてたいわけじゃない、ただ……。
そこまで考えると、シャワーを止めた。体をふいて、バスタオルを腰に巻きつける。
ベッドに腰かけて、ドライヤーのスイッチをいれて、タオルで頭をくしゃくしゃにしつつ乾かしていく。
自室のインターフォンが鳴った。
「どうぞ!」
ドアフォンにでるのも億劫で大声で返答する。ドアが開かれた音がした。
夕食は、なんにするか。
来客はなかなか奥までやってこない。なにかもたついているような気配がする。
なにしてるんだ?
差し足で入ってきた誰かが見えるところまでようやく来た、それは、
「え……?」
昼に会ったばかりの杉岡千緒だった。お互い、目を見開いて見つめ合う。口をパクパクさせる千緒、なにか言っているようだが、聞き取れない。
バスタオルを腰に巻いているだけで、上半身裸の自分にようやく気づいた。沈黙の中ドライヤーの音だけが響く。
「ご、ごめん!」
なぜか自分が謝った。千緒が身を翻す。
「ちょっと……! 外で待ってて!」
タオルで体を包むと、慌てふためく声でそう言った。千緒は千鳥足で退室した。
なんだってんだ……⁉
てっきり昌貴か斎が来たと思っていたのだ。わけがわからぬまま体をふくが、動揺でどうにも手がすべってしまう。なかなか乾かない髪にイラついて、タオルを思いっきりこすりつける。部屋着に着がえ終わると、ドアフォンをつけた。モニターには上気した顔の千緒がおり、顔中の筋がぐねぐねと動いていた。
「ど、どうぞ」
「お、お邪魔します」
千緒がおそるおそる入ってきた。気まずい沈黙を一呼吸置いて口を開いた。
「やぁ……」
なんとも間抜けな声音だったが、千緒は会釈してくれた。
またしても沈黙。口を開くのに難儀しているように見える。どうも彼女は見かけよりもうぶなようだ。
「それで……、どうしたの?」
「……え?」
「だから、その……用件は……?」
遊びに来た、というわけのはずがない。
「あ、ああ……!」
千緒がなにかを思い出したかのようにうなずいた。
「その、お礼……言おうと思って……」
「お礼?」
今日、高速階段上りを見せたことだろうか。
「だから、あの後……クラブで、顧問の藤林先生から説明があったの……」
今一つ要諦が把握できない。
「あのいやがらせの件……」
小さな顔が沈鬱な表情をたたえる。
「あいつの……カメラから、わかったの、ある男子生徒が、あいつに立ち向かった、とかなんとか……」
誰のことかと思う。
「それで、あいつが……勝手に怒って窓を蹴って、その音でガードが……、ガードに捕獲されることになったんだって……」
ようやく話が見えてきた。
「あれ……あなたのことなんでしょ……?」
「ああ……」
ああ、そういうことか、のああ、だったが彼女は肯定と受け取ったようだ。
「すごいうわさになってた。退治したのは誰なんだって……」
「退治って……」
ためいきをついて椅子に腰を落とした。
「大したことはしてない、向こうが勝手に自滅したんだ。それに……」
あんな馬鹿なことをやっていればこうなるのは時間の問題だっただろう。よくもこんな長期間放置されていたものである。そんな不毛ないやがらせを継続できる歪んだ情念がなんなのか、一瞬気になったが、眼前の千緒の言葉を借りれば、知りたくもない、ことである。
「私以外まだ誰も気づいてない、奏たちも……、みんなすごく安心して喜んでた」
「そう……」
穂高にはなんの興奮もない。あの時のとっさの判断が結果的に功を奏したということ、ただそれだけのこと。
「あの男……、もっとひどいことしてた。それでちょっと、問題は終わってもショック受けてる人もいて……」
苦し気な表情、やり場のない怒りを感じる声。帰る時、部室棟で誰かが搬送されるのを先ほど見たばかりである。男の穂高には言えないようなことなのだろう。クラブの正常化にはまだ時間がかかるかもしれない。
「その……あたし、ちゃんとみんなに説明しておくから」
「なにを?」
「だから、あなたがやってくれたんだって……」
「よせ!」立ち上がって叫んでしまった。
千緒が驚いて、後ろのベッドに腰を落とす。
「あ……その、大したこと、じゃないから」
奏には知られたくない。恩を売るようで浅ましい。なによりも……、
「でも……」
「いいんだ……」
そこまで聞いて、ある一つの結末、というものが見えた気がした。
そう、おそらく自分はもう必要ない。
「それにあたし、あなたが心配で……」
「なんで?」
「あの男、きっとあなたを恨んでる。また逆恨みして、あなたになにかするんじゃないかって……」
あんなチンピラくずれ毛ほども怖くはなかったが、千緒はかなり不安な顔でこちらを見ている。一連の事件に相当な恐怖を感じていたのかと思えて、改めてあの男への怒りがにじんできた。
「もし! もし……あなたになにかあったら……あたし……!」
どうもこの娘は自分が穂高を巻き込んだと考えているようだった。
「心配しなくていい」
「で、でも!」
千緒が立ち上がり、脇を締めて両腕を縦に曲げて、食い下がってきた。
「大丈夫だ」
彼女の両手をつかんで、
「あ……」
すぐに離した。
……前にもこんなことがあったか?
「ともかく、そんな心配はしなくていい」
「……わかった」
お互い再び腰を下ろした。
「でも、もし、なにかされたら絶対相談して。力になるから。あたしも、クラブのみんなも全員……」
「ああ、ありがとう……」
目を伏せると、床に放りっぱなしになっていたドライヤーが目に入った。拾おうと立ち上がったところ、千緒が一瞬、ビクッとした。
「……?」
緊張した面持ちでこちらを見ている。考えてみれば、年頃の少女が男の部屋におり、その男のベッドに腰かけているのである。
夕暮れ時、自分は湯上り、彼女はミニスカート、お礼……。
「……ッ!」
バカな考えが頭をよぎり、思いっきり両頬を打った。千緒が仰天する。
「あっ……、お、俺これから晩メシ……晩ごはんだから……」
「う、うん」
なぜごはんを食べに行くのに、気合を入れなくてはならないのか穂高には説明不可能だったが、彼女はなんとなく納得したようだった。
ほんとに色ボケなんじゃないのか俺は⁉
「それじゃあ、あたしもう行くね……」
「あ、ああ……」
千緒が立ち上がる、よく見ると鞄やらの荷物をなにも持っていなかった。かなり急いで来たのだろうか。
「……一人で帰れる?」
「うん、表に
少し心配だったが、どうも送ってはならない雰囲気が身にまとわりついている。それでも廊下までは付き添うことにした。
「それじゃ……」
「うん、気を付けて……」
お互い手振りとともに別れの挨拶を交わした。
彼女の背が徐々に小さくなっていく。すれ違う男子生徒がそれを垣間見ては目をそらした。男子寮に女子がいると大抵こうなる。
今、はじめて千緒はひょっとしたら自分に似ているのではと思った。他人の気持ちに鈍感なくせに、妙に感受性が強い。〈お姉ちゃんだよぉ〉第四実習館での彼女の言葉を思い出す。
俺に……姉か妹がいればあんな感じなんだろうか?
「んんー? 今の娘って」
いきなり昌貴が背後から現れた。
「杉岡千緒さんだよね? 先週、第四実習館に来た」
斎もいたのに驚くと同時に、彼の記憶力のよさにも驚く。
「なんで穂高ちゃんの部屋にいたん?」
「そ、その……お礼、だって」
「なんの?」
「いや……その……階段で、ちょっとした芸をね」
「ふーん……?」
なにを言ってるんだ俺は……?
額を押さえて熱を測った。
「気が多いのは、よくないな」
「え?」
斎がなにか苦笑しながら言ったが意味がよくわからなかった。
「そんじゃ、メシだメシ」
二人で昌貴の後に続く。夕食は冷やし中華にした。
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