ヨケノウタ ~お兄ちゃんにまとわりつく悪い虫は私がぜんぶ始末してあげるね!~

カクレナ

お兄ちゃんにまとわりつく悪い虫は私がぜんぶ始末してあげるね!




花ということばは、簡単に言うと、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先触れというくらいの意味になるらしい。ほすすき・はなすすきが一つ物であるなどを考えあわせればわかる。物の先触れと言うてもよかったのである。

――――――折口信夫「花の話」より






「お兄ちゃんにまとわりつく悪い虫は、私がぜんぶ始末してあげるね!」


 そう言ったなずなの声は震えていた。

 花降はなおりなずなは、俺の義理の妹だった。

 俺より二つ年下の、中学二年生。

 今年で十四歳になるなずなの容姿はしかし、年齢に比して随分と幼かった。

 か細く小さな肢体。不健康なくらいに青白い肌。

 そして、腰ほどまで伸びた長い髪は、生まれつき真っ白に染まっていた。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 なずなは振り向くことなく、俺に呼びかけた。

 俺はただ息を呑み、じっとなずなの後ろ姿を見つめていた。

 白い髪に添えられた薄紅色の花飾りだけが、凛と、わずかに揺れたように見えた。

 夜の路地裏には、俺となずなの他に人影はなかった。

 頭上には月明かり。

 なずなは華奢な体躯を精一杯に張って、俺を庇おうとしていた。

 そして。

 俺を背にして立つなずなの先では――巨大な異形の生物が、俺たちの行く手を拒んでいた。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ――――っ!」


 俺となずなを見下ろして、異形が吼えた。

 悪臭が鼻腔を刺激する。

 鉄が軋むような不快な音が、三半規管を狂わせた。

 思わずふらつきを覚えた俺は、拠り所となる物を求めて、不用意にもと直に眼を合わせてしまった。

 ぞっ――と、視線に射竦められる。

 ガラス玉のようなあかい複眼が、俺を捉えていた。

 憑蟲ひょうちゅう

 一見してその外見は、昆虫――特に直翅ちょくし目バッタ亜目イナゴ科のバッタ類、つまりはいなごのそれに酷似している。

 しかし実態は人間に寄生し、生気を啜り取る怪物だ。

 全長は五、六メートルをゆうに超えるだろうか。硬質の甲殻と長大な翅、つんと突起した触角、そして特徴的に屈曲した大きな後脚を持ち、鋭い爪は厚い岩盤を苦もなく砕く。魁偉な胴体は、六本の肢脚によって支えられ、驚異的な俊敏さで地を跳ね回る。

 人類を絶滅に追いやらんとする最大の脅威。

 生きた人間の魂を糧に増殖する超常的害悪。

 それが、憑蟲という存在だった。


「あ、あ……」


 憑蟲の威容に、俺は完全に気圧されていた。


 どくっ。どくっ。どくっ。どくっ……。


 鼓動の速度が上がる。

 呼吸が乱れる。


 どくっ。どくっ。どくっ。どくっ……。


 手足が硬直する。

 汗が噴き出る。

 恐怖が全身を支配する。


 ――動けない。


 しかし。

 しかしそれ以上に、俺は――――、


「大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 なずなの柔らかな声に、俺はハッとした。

 俺を安心させるように、なずなは憑蟲の正面へ一歩を踏み出す。ついでなずなは、ひと振りの銀枝を右手に携え、そっとそれを憑蟲のいるほうへと差し向けた。


「――千早ちはやる」


 なずなの口から、まじないの言葉が紡がれていく。


「――卯月八日うづきようか吉日きちじつよ」


 銀枝が光粒を帯びる。同時に発せられる神聖な霊気に当てられ、憑蟲が怯んだ。


「――神下かみさむし成敗せいばいぞする!」


 なずなが銀枝を突き上げると、突端から鮮やかな花々が咲き誇った。たちまち、周囲に花びらが舞う。

 なずなは、憑蟲と戦う術を持った特別な一族の末裔だった。

 銀の枝葉を束ねた形状の咒具じゅぐ――《天道花てんとうか》を用い、憑蟲退治の儀式《花祭はなまつり》を執り行う。

 見ると、先程まで花柄のワンピース姿だったはずのなずなは、いつの間にか、巫女装束とドレスを組み合わせたような、謂わば〝和風魔法少女〟とでも呼ぶような出で立ちへと変わっていた。


「…………許せない」


 なずなの声音には、怒気がにじんでいた。

 なずなは懐から呪符を数枚取り出すと、素早く霊力を込め、憑蟲の体に叩きつけた。バチバチと火花が散る。憑蟲が苦しげに身をよじった。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ――――ッッ!!」

「させない!」


 憑蟲からの反撃を予測して、なずなが跳躍した。

 小さな体のどこにそんな力が隠されているのか、バネのような瞬発力で、なずなは宙を踊った。

 軽やかな放物線。

 月光を背景に反り返る少女の影姿シルエットを、俺は美しいと思った。


花降はなおり除蟲じょちゅう術――第壱番、夏花ゲバナ


 なずなが虚空で《天道花》を振った。

 そして俺は見る。

 花が。

 いくつの花が。

 いくつもの色で。

 視界のすべてを埋め尽くしていた。

 見渡す限りの、花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花。花…………。

 まさに色彩の暴力。

 まるで無限に広がる満開の花畑。

 あるいは空に投射された至高の万華鏡。

 咲き笑う花々は、篝火かがりびのように闇夜を明るくした。

 これが《花祭り》。

 これがなずなの使う《天道花》の力なのだ。


花降はなおり除蟲じょちゅう術――第弐番、八日花ヨウカバナ


 憑蟲の背後に着地したなずなは、再び《天道花》を振るった。

 途端、憑蟲を取り囲んでいた花冠が、焔塊となって一斉に憑蟲を襲った。

 憑蟲はなす術もなく全身を焼き焦がされる。甲脚を掻き、毒煙を吐いて、必死の抵抗を試みる憑蟲。その反撃をことごとくかわし、なずなは間隙なく《天道花》を振るい続けた。


「許せない! せっかく! せっかくの貴重なお休みの日だったのに! せっかくお兄ちゃんと楽しくデートしていたのに! せっかくのご褒美ラブラブデートだったのに! それを最後の最後に台無しにするなんて! 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないっ! ほんっとに……っ、許せない……っ!」


 今日、俺となずなは何日かぶりに街へ遊びに出かけていた。

 憑蟲と遭遇したのは、その帰り道でのことだった。

 憑蟲が跋扈する現今のこの世界において、外出の機会というのは、実に限られている。そういう意味で、なずなの憤りはもっともと言えた――それでも、俺はあくまで家族として義妹と余暇を過ごしていただけで、ご褒美ラブラブデートとやらをしていたつもりではなかったのだが……。


「お兄ちゃんと私の邪魔をする奴はっ、みんなっ、死んじゃえっ!」


 極彩色の火焔弾が次々と発射され、的確に憑蟲を撃つ。

 憑蟲の殻にはいくつも亀裂が入っていた。

 抉られた傷口からは、焼けただれた臓腑が覗く。

 ただならぬ異臭。

 憑蟲の体が傾く。

 ぐずぐずに溶け崩れた肉切れが毒泥となって飛び散り、時折、俺の頬まで撥ねた。

 しかし、なずなが攻撃の手を休めることはなかった。

 容赦ない猛攻を受け続け、憑蟲は苦悶の咆哮を上げた。


「これで、おしまい。花降はなおり除蟲じょちゅう術――第参番、高花タカハナ


 なずなが《天道花》を夜天に掲げた。幻影の花卉が、高く、高く、高く咲き伸びる。花々はやがて一本の白い光の柱となり、空間全体を両断する。形成された輝く巨柱を、なずなは大剣のように振り下ろした。そして、


「―――――――――――――ッッッ!!」


 断末魔を叫ぶいとまも与えられず、憑蟲は一瞬で塵芥と化した。

 路地裏に静寂が戻った。

 爆ぜた憑蟲の残滓が、光のかけらとなって空へと昇っていく。


「……どうか、安らかに」


 なずなが祈りをささげた。

 蟲葬送むしおくり。

 憑蟲と成り果ててしまった哀れな魂を、冥界へ送り届ける。

 それが。

 それこそが、なずなを始めとする花降家の人々の本来的な役目なのだった。

 祈りながら、なずなはすっかり大きな花束となった《天道花》を、うやうやしい手つきで持ち上げた。


「さあ、この地を清めて――《甘露の恵みアムリタ》」


 なずながつぶやくと、高く伸びた《天道花》の切っ先から、光る液体が雨のように降り注いだ。光の雨は路上のすみずみまで染み渡り、憑蟲の穢れを浄化していった。

 甘ったるい匂いが、一帯に満ちていた。

 ふう、とひと息をついたなずなは一転、くるりと振り返り、後ろに控えていた俺のほうへと駆け寄ってきた。なずなの白い髪が月の光を反射してきらきらと輝いた。


「お兄ちゃん、大丈夫? 無事? 何ともなかった? 怪我とかしてない?」


 なずなが心配そうに俺を見上げた。

 髪と同じように白く長い睫毛。

 そしてそれと対照的な紅い瞳。

 爛々と見瞠みひらかれた大きくつぶらな双眸には、いまだ呆気に取られたままの俺のかおが映されていた。


「あ、ああ。大丈夫だよ……」

「ホント? ホントに大丈夫? どこか痛いところとかは? 無理してない? 嘘ついちゃヤだよ? お兄ちゃんがいなかったら、私は……なずなは……」

「ホントに大丈夫だって。なずなは心配性だな」

「ホントに?」

「ホントに」

「そっか、よかったぁ♡」


 なずなは、にたり、と恍惚とした笑みを浮かべた。

 俺は思う。

 ……いったいどうしてこんなことになってしまったのか、と。




     ◆




 俺となずなの出逢いは突然だった。



『――そこのきみ、悪いが少し我々に同行してもらえないだろうか』



 もう、半年以上も前のことになる。


 俺の家が憑蟲ひょうちゅうの群れに襲われたあの日。

 俺の平穏な日常が終わりを告げたあの時。

 俺の中に憑蟲の毒を防ぐ力、《神虫しんちゅう》の力が秘められていることが発覚した。そして、その力は人類が憑蟲へ対抗する数少ない手段であるのだということも。

 ついては俺に、花降はなおり家が主導する憑蟲殲滅計画に参加してほしい――と、掻いつまんで言うとそういう話を、花降家の使者を名乗る黒服たちから知らされたのは、半壊した自宅の前で、俺がひとり茫然自失としていた時だった。

 聞けば、花降家は長い歴史の中でひそかに憑蟲と戦い続けてきた一族であり、政財各界にも人脈が及ぶ名家なのだという。

 家族も住居も財産も何もかもを失った俺は、請われるままに屋敷を訪ね、そこで、花降家の末娘――花降なずなと対面した。



 、というのが最初の印象だった。



 穢れなき純白の少女。髪も肌も白ければ、身に纏う衣服もまた白い。

 それは、暗がりに咲く一輪の白い花のように。

 それは、幾重もの花辨かべんに覆われた雌蕊しずいのように。

 日の光の差さない座敷の最奥で。

 なずなは、静かに坐っていた。

 そこでなずなとどのようなやり取りをしたかは、よく憶えていない。

 さすがに挨拶くらいは交わしたと思うのだが、その時の俺は目の前で起こる状況の変化についていこうとするのに必死で、細かな事象に気を配っている余裕がなかった。

 とにかく。

 他に行き場のなかった俺は、しばらくの間、花降家で過ごすことになった。



 しかし、悲劇はそれで終わらなかった。



 花降家の重鎮が集まり、俺の処遇が話し合われているさなか。

 花降邸が突如、憑蟲の大軍勢に急襲されたのだ。

 健闘もむなしく、花降家の人々は次々と憑蟲に喰い殺されていった。

 その際、俺はなずなと二人で奥の部屋にいたのだが、息を殺して身を隠す他にどうすることもできなかった。

 何とかしてなずなをつれて逃げられないか……と狼狽しながら考えていたところまでは憶えている――が、不思議なことに、俺の記憶はそこで一度途絶えていた。


 次に覚醒した時、俺が見たのは焼け落ちた屋敷と、ぼうと俺を見下ろすなずなの紅い瞳だった。俺が事の顛末を知ったのは、それからまた少し経ってからだった。

 辛うじて全滅は免れたものの、わずかな精鋭を残して、花降一族はその数を大きく減らしていた。

 憑蟲殲滅計画においても、花降家はそれまで有していた権限の多くを外部機関へ移譲せざるを得なくなった。そればかりか、一族そのものの存続すら危うい事態に陥っていた。

 必然的に発生する、絶対的な人材不足と、対憑蟲戦力低下への懸念。

 もはや花降家は、憑蟲と戦うという役目を担い続けることも難しくなっていた。


 そこで誰のどのような意思が働いたのか、俺は知らない。

 だが、ただでさえ苦戦を強いられている状況下で、手っ取り早く頭数が足りなくなった分を補充しようという判断があっただろうことは想像に難くなかった。

 気づくと、俺は花降本家に養子として迎え入れられることが決定していた。

 結果、俺が憑蟲殲滅計画に協力するという当初の目的は達成された。

 ……が、そこに含まれる意味は、以前とはまるで違うものとなってしまっていた。

 むろんそれは花降家の娘であるなずなにとっても他人事ひとごとではなかった。俺が憑蟲によって両親や親戚を亡くしたように、なずなもまた、近親のほとんどを失っていたのだった。



 ――そして、俺となずなは二人きりになった。




      ◆




「おはよう、お兄ちゃん」


 ある朝。

 声がして目覚めると、俺は

 場所は俺の部屋に違いなかった。

 が、目と鼻の先には、義妹であるなずなの姿があった。なずなはベッドの縁から身を乗り出し、俺を覗き込んでいた。

 その両眼には、少しも光が宿っていなかった。

 まったくの無表情。

 ぞくりとするほどの虚無。

 昏い深紅の瞳が、まばたきひとつせずに俺を見据えている。

 白い髪が垂れ下がって、ほどけた銀糸のように、俺の胸の上に広がっていた。


「――ああ。おはよう、なずな」


 俺はあらためて仰向けになった自身の状態を確認した。

 両腕と胴体には、厚みのあるゴムのベルト。

 足首には、左右どちらも太い金属の鎖。

 首と指はどうにか動かせるが、それ以外はベッドにきつく固定されている。

 俺がシーツの上で身じろぎすると、俺の動きに合わせてなずながぎゅっと身を寄せてくる。

 ふと、なずなの薄い唇がぼそぼそと何かをつぶやいているのに気づき、よくよく耳を澄ませてみれば、「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん……」とそれだけをひたすらに繰り返しているのだった。


「……えーと、なずな?」

「あ」


 が、ある時点でそれが途切れ、


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッッ!」


 と、何かのたがが外れたようになずなが叫んだ。

 かと思えば、


「ああああああっ、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! こんなに、こんなに雁字がらめにされちゃって……。つらいよね痛いよね苦しいよね私もつらいよ。ごめんね。ごめんね、お兄ちゃん……」


 などと言ってさめざめと泣く。

 ……困った。

 だが。


「ごめんねって言われても……

「そ、それは、だって……」


 俺が意地悪に言うと、なずなはたじろいだ。

 なずなの顔は、この世の終わりを見たかのように蒼白に染まっていた。


「その、それはそうだけど。でも……つまり、しょうがなくって……」


 俺の問いかけに対し、なずなはどうにかして弁解を試みているようだったが、


「はははっ。冗談だよ」

「だってその私はそのお兄ちゃんが……って、え?」

「だから、冗談だよ。なずなにはいつも感謝してる」

「あ……うん。そっか。そうだよね。お兄ちゃんが私を責めるわけないもんね。私、ちょっと勝手に勘違いしちゃったみたい」

「いや、俺もヘンなこと言ってごめんな」

「そんな、お兄ちゃんが謝ることなんて……。わ、私こそおかしなこと言ってごめんね。えへ、えへへへ……」


 なずなはいくらか気持ちの均衡を取り戻したようだった。しかし俺が首だけを起こして笑いかけると、今度は顔を赤くして俯いてしまった。

 なずなは人よりも少しばかり感情の起伏が激しい。

 毎回表情がころころと変わる。

 それが原因で苦労することも多々あるものの、少なくとも日頃の会話で退屈することはまずないと言っていい。

 ……そうだ、退屈はしない。

 なずなと会話している時は、俺もまだ人間として生きているのだと確かめられる。なずなといる時だけは、俺もまだこの世界に生きているのだという実感を得ることができる。

 そう思えば唐突に始まったこの奇妙な家族関係も、そんなに悪いものではないかなと思える。

 さて。

 なずなをいじるのは楽しいが、いつまでもベッドで寝ているわけにもいかない。朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。俺は手足にいささかの力を込めた。


 ぐしゃっ。


 。壊れた拘束具がズタズタになってカーペットに落下した。


「やれやれ。また、皮膚の硬化が進んだみたいだな……」


 自由になった腕をさすりながら、俺は独語した。


 《神虫》の力は憑蟲の害毒から俺を庇護してくれる。

 一方その代償として、俺の体は少しずつ《神虫》そのものへと変質しつつあった。それは一見して分からない程度の、遅々とした変化だった。

 だが、俺が力に〈覚醒〉したあの日から徐々に、しかし確実に、俺の体は俺でない部分に蝕まれていた。

 俺の体を拘束していたベルトもただのゴムベルトではなく、力の暴走を抑制するための術が施された花降家特製の咒具ということだった――それも最近は一晩と効果が持続しなくなってきているが。


「あっ、あの、お兄ちゃん」

「ん? なんだ、なずな」


 俺が振り向くと、なずなは「ヒッ」と小さく声を漏らし、焦燥気味に目を泳がせた。


「その、朝ごはんできてるから。着替えたら、すぐ下りてきてね」

「ああ、今日はなずなが当番だったか。ありがとうな」

「お、お兄ちゃんのお世話は、私がしたくてしていることだし。それに、わ、私がやらないと意味がないから……そうでもないと、私、は――……」

「なずな……?」

「あ、うんん。何でもないの。そ、それじゃ、お兄ちゃんも早く準備済ませてね!」


 口早にそう言い残し、なずなは部屋を出ていった。



 現在、俺となずなは同じ屋根の下で暮らしている。

 義理とは言え家族となったのだから同じ家に住んでいるのは当然と言えば当然だが、この家はなずなが以前生活していた花降家の屋敷ではない。元の花降邸は憑蟲の毒に汚染され、現状は禁足地扱いとなっていた。

 生き残った花降家の人たちのはからいにより、俺となずなは近くに用意された一般の住宅へと住居を移されていた。


 そういうわけで、俺となずなは花降家の支援を受けつつも、基本的に二人だけの生活を余儀なくされている。

 花降家の使用人の人たちが、定期的に面倒を見にきてくれることにはなっているが、日々の生活の大半は自分たちでこなさなければならない。おまけに、俺の体は日増しに人間離れしていくという有り様だ。

 ままならないことは多いが、これが俺たち兄妹の日常だった。



      ◆















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