第17話 現実

「ワゥッ! ワゥッ! ワゥッ!」


 ギガントウルフの攻撃は未だに止まない。なんとか両手で持っている剣で受けているものの、もう何十分もの時間を耐えている。これ以上耐えろと言われても無理だろう。


 ……手が痛い。


「ワゥッ! ワゥッ!」


 なんと諦めの悪いわんちゃんだこと。俺は、半分諦めかけているっていうのにギガントウルフは血眼になって俺に攻撃を加えてくる。

 まぁ、俺がケガさせたのが原因だろうけど……。


「ワゥッ!」

「くっ……しまった!」


 耐えるだけが作業になっていたから気を抜いていた。思い切り剣を弾かれてしまう。


「ワゥッ!」

「いっ……!」


 イッテぇぇぇぇぇ……!!

 ヤバイ、まじで痛い。それ以外の言葉が出ない。


 俺の剣が弾かれてがら空きになった懐にギガントウルフの一撃を貰った。咄嗟に握っていた剣を離して、振り下ろした側に避けようとしたがモロにダメージをくらってしまった。


 あぁ、地面がひんやりして気持ちいい……。


「ゥゥ……!!」


 ……そんな俺に関係なしに、ギガントウルフは俺を見下ろしていた。


「くそ……」


 無理だ。


 こんなことなら転生して冒険者になって浮かれなければよかった。素直にチートがないと気づいた時点で、商人なり農民などになってのんびり暮らしておけばよかった。

 こういう場合、起死回生の一撃とか考えるべきなんだろうが、胸にくらった一撃がズキズキと痛むどころか、血がドバドバと流れていくものだから手に力が入らない。


 死ぬ。


 死んでしまう。また。


 また、何もしないまま死んでしまう。


 ……何を言っているだろうか、俺は。元から何もしたくなかったじゃないか。なのに、こうしてちょっとした好奇心から冒険者なんかになって何かをしようだなんてバカバカしい話じゃないか。


 あぁ、目も霞む……。

 このまま何もしないまま朽ちていくのか…。


「――やぁ、ラードちゃん! お待たせ! ママだよ!」


 あぁ、とうとうこの世界の過保護な母親の姿まで幻想で見えてきた。……もっと胸を揉んでおけばよかった。


「大丈夫? 血がいっぱい出てるけど?」


 ニーナが俺に近づくとギガントウルフは俺たちから距離をとった。


「かぁ……さん?」

「もぅ! ママだって言ってるでしょ? マーマ!」


 どうしてだ。どうしてここに幻覚ではなく、本物のニーナがいるんだ。


「いたい……」

「うんうん、痛いでしょうね。痛くて当然だよ、ケガをしてるみたいだから」


 ニーナは慌てる様子もなく、そっと俺の髪を撫でた。


「冒険者ってのはね、簡単な仕事はないの。ラードちゃんがいつも頑張ってるのは知ってるけど、いつも誰かが助けてくれるわけじゃない。自分も強くならなきゃ」

「なにを……いって……」


 ニーナは俺の髪を撫でるのをやめると立ち上がり、ギガントウルフの方に向きなおした。


「『ウォーターヒール』……これでラードのキズは塞いだよ。ほら、もう一回立ち上がって」


 ニーナはそう言って、俺の目の前に俺の持っていた剣を地面に刺した。


「私はラードを甘やかせてしまうけど……自分自身を甘やかすことはしないよ?」


 ニーナは俺の方に振り返っていない。だが、いつものように笑って言っているような気がした。

 その甘さにまた甘えてしまう前に俺は、目の前の剣の柄を握りしめ体を引き上げる。


「よしっ、なんとか気持ちは折れてないね! いい子いい子!」


 立ち上がるだけで精一杯だ。俺はギガントウルフを見据えるが、ギガントウルフに向けて一歩も歩き出せない。


「あとはママがなんとかするから休んでていいよ!」


 ニーナは、どこから取り出したのかわからないが、剣をギガントウルフに向けていた。


 …なら、なんでケガしている俺を立たせたんだ?思い切りクラクラするんだけど?


「一気にいくよぉ!」


 ニーナは、ギガントウルフに向かって走り出す。ギガントウルフもニーナ目掛けて攻撃を仕掛ける。


「遅いね、残念」


 ギガントウルフの手が届くよりも先にニーナの剣があっさりとギガントウルフの頭を下から貫いていた。

 まさに一瞬の出来事だった。俺たちがあんなに苦戦していたギガントウルフに、ニーナはあっさりとトドメをさしてしまった。


「よっと」


 ニーナは、ギガントウルフを貫いている剣を捻る。嫌な音が響く。


 ただの肉の塊となったギガントウルフはニーナの目の前に倒れた。ニーナは、ギガントウルフから剣を抜く。


「終わったよラードちゃん! ママ、強かった?」


 俺の方に振り返ったニーナはいつものように笑顔だった。


 これがBランク冒険者の実力なんだと、俺は改めて知った。







 しばらくすると、ロムとハンナが茂みの奥からやって来た。ロムに関しては少し服が焦げている気がする。


「ラード、大丈夫?服が血だらけだけど……」


 心配そうにロムが俺に聞いてくる。


「あぁ、心配ない。母さんに治癒魔法かけてもらったからキズは塞がってる。ギガントウルフ自体も母さんが倒したし……それより、お前たちもギガントウルフを倒したのか?」

「う、うん。なんとかね……ほぼハンナがやっつけたようなものだけど……」

「ふん、心配して急いできたけど意味がなかったみたいね」


 ハンナは何かご立腹のようだ。こちとらボロボロの状態だっていうのに。


「何か言いたげだな?」

「別に、あんたが素直じゃないだけよ」


 素直じゃないのはどっちなんだか。


「まぁまぁ二人とも。そういえば、ニーナさんはどうしてここに?」

「私は三人の帰りが遅いから見に行くようにって、ギルドから言われたから来てみたのよ。よく頑張ったわね、三人とも」


 えらい、えらいと俺たち三人をニーナは撫でまわした。ロムと俺は照れくさかったが、ハンナは満更でもないようで喜んでいるようだった。


「イテテ……僕のことを忘れないでほしいな」


 俺たちは声のする方へ振りかえるとそこには腕をケガしたマルクスが立っていた。


「ど、どうしたんですか! マルクスさん!」


 ロムはマルクスの方へかけよっていった。


「いやぁ、最後のやつに噛まれちゃってさぁ……しばらく外での依頼とかしてなかったから体鈍ってるのかも知れない。ニーナ先輩、噛まれた所治して下さいよ」

「全くだらしないなぁ~男の子でしょ? 気合いでなんとかしなさい」

「気合いでなんとかできたら腕から血なんてでませんよ」


 マルクスはロムに支えられて、ニーナの所までやって来て治癒魔法をかけてもらった。


「『ウォーターヒール』……はぁ、マルクスくんも歳をとったねぇー」

「やめて下さいよ、僕はまだ二十代ですよ」

「私だってまだギリギリ二十代だよっ! 嫌味な言い方するじゃないかっ!」

「いてて……無理やりキズを癒そうと魔力を濃くしないでください! すごくキズに染みます!」

「生きてるって素晴らしいね」

「なっ……歳の話をしたのはニーナ先輩の方じゃないですか」

「戦闘訓練を怠ける君が悪い」

「うっ……それは歳とは関係ないじゃないですか」


 マルクスは、ギガントウルフを三匹も相手にしていたのだが、腕を一度噛まれた以外にケガはなかった。Cランク冒険者も伊達じゃないってことか。たまに、マルクスがCランク冒険者ってことを忘れそうになるけども。


「さぁ三人とも! 帰って今日の反省会をするわよ!」

「えぇー今から? 母さん、俺さっきまで死にかけていたんだけど……」

「その事も含めてすぐに反省会開いた方が、身につくものも身につけやすいでしょ?」

「何も今日じゃなくても……俺はもうヘトヘトだよ」

「駄目だよラードちゃん。冒険者の失敗は死を意味するから生き残っただけでもすごいこと。でもね、そんな何回も助かる保証なんてどこにもないの」


 ニーナは急に真剣な表情を見せて俺たち三人に向かってそう言った。


「ロムくんとハンナちゃんもわかるでしょ? 今回のことは自分たちに何が足りなかったのか」

「それは……」


 ハンナは口を開こうとするが、すぐに閉じてしまった。


 そんなことわかっていた。何もかも足りてなかった俺たちには。

 力も速さも技巧もすべて、俺たちには足りていなかった。


「ニーナ先輩、さすがに反省会は明日でいいじゃないですか?今日の試験結果も明日の朝には出ますし、そんなに急ぐ必要はないかと」


 マルクスの言葉を聞いてニーナは、俺たちを見渡し少し考えてから話し始めた。


「うーん、そうだね。今日は三人とも頑張ったからね。今日はもうお休みにしよっか」


 ニーナはそう言いながらも、納得しているか微妙な表情を浮かべていた。


「とりあえず、帰ろっか。ギガントウルフの剥ぎ取りとか死体の処理はギルドに任せて大丈夫?」

「そうですね。他にもギガントウルフがいないとも限りませんし、この場に居続けるのは不味いかと思いますので、ギルドに帰ってから追加の冒険者を派遣するので大丈夫ですよ」


 ギガントウルフは群れで行動する生き物だ。今回ははぐれということで、一匹だけだと思った俺たちは、試験としてはぐれギガントウルフを討伐しようとしたのだが、結果として五匹もギガントウルフを相手にすることになったのだ。はぐれじゃない時点で他にもギガントウルフがいる可能性が高い。


「ギガントウルフは賢いですからね。あの一番大きいギガントウルフがボスだったんだと思います。ニーナ先輩がボスを倒したことでしばらくは僕たちを襲ってこないとは思いますが、疲弊してると気づかれたらまた襲撃してくるかも知れません」


 マルクスは不安なことをさらりと言いやがった。


「まぁ早く撤退しましょ」


 ニーナは俺に背を向けてしゃがんだ。


「ほら、ラードちゃん。もう立つのがやっとでしょ? ママがオンブしてあげる」


 ……まじか。

 血が足りなくてフラフラするのは確かだが、この状況でも母親の背中にオンブされて帰るのはさすがに恥ずかしいぞ。


「ほらほら~」


 後ろ側に向けて手のひらを広げてニーナは俺にオンブを催促してくる。

 咄嗟に俺はロムとハンナの様子を見た。


「ぼ、僕は大丈夫だよ。服がちょっと焼けただけだし、そんな大きなケガはないよ」


 なんで服が焼けてる? ロム


「本当にだらしないね、あんたは。さっさとニーナさんにオンブされて安静にしてなさい」


 嫌味を言ってくるハンナ。


 やれやれ。

 俺は《嫌々》ながらも体力的に限界が近いのでニーナの背中に体を預けた。


「よぉし、三人とも!家に帰るまでが冒険だ!レッツゴー!」


 さっきまでの思案顔は影を潜め、ニーナはいつも通りのニーナに戻っていた。







 こうして、Eランク試験は散々たる結果に終わった。

 ロムとハンナでギガントウルフを一匹倒したようだけど、俺自身は三人の中で役に立ったとは思っていない。ボスのギガントウルフをひきつけていたが、あっさりとやられてしまった。訓練で体力をつけていたので少しはやれるかと思っていたが、あまかった。

 ニーナが来ていなかったら死んでいた。今さらながらその事を思い出し、帰り道の俺は手が震えていた。ロムやハンナ、マルクスは気づいていない様子だったが、俺をオンブしているニーナはそんな俺に気づいていつも唄ってくれていた子守唄を唄ってくれた。


 子守唄の冒険者と現実の冒険者は全然違う。違うことは知っていたのだが、違う世界から転生したせいで、未だに現実を現実として受け止めていなかったのかも知れない。

 まさに死ぬほどの痛みを感じてそのことを知るなんて、我ながらバカなんだなぁと思う。


「母さん、その子守唄はなんていう名前の歌なの?」


 ニーナが歌い終わるのを待ってから話しかけた。いつも気になっていたその歌の名前を聞いてみた。


「ん? これ? これはねぇー私も私のお父さんから聞いていた話なんだけどねぇ。いつもお父さんがしてくれた話をラードちゃんに聞かせてるだけだから、わからないや」

「そんなんだ」

「うん、お父さんも私が子供だった頃に死んじゃったから名前も聞かずじまいだったなぁ」


 ニーナはそう言うとどこか寂しそうな表情を浮かべていた。

 俺の知らないニーナの過去に触れた気がした。そもそもニーナが冒険者をやっている理由を俺は知らない。


「母さんはなんで冒険者になったの?」

「それはね、私のお父さんも冒険者だったからだよ。お母さんは私を産んですぐに死んじゃったみたいで、冒険者だったお父さんといろんな所を旅をしながら暮らしていたら、冒険って楽しいなと思ってね。知らない所で知らない人と会って仲良くなっていろんなことを共有してさ、ワクワクの連続だね」


 ニーナの母親もニーナが小さい頃に亡くなっていたのか。

 でも、父親が亡くなってからニーナはどうしたんだ?


「子供の頃にお父さんも死んじゃって一人になったけど、冒険者になって友達がいっぱい増えて寂しくはなかったよ?」


 そう言いながらもやはりニーナは少し寂しそうな表情のままだった。こういうニーナの分かりやすい所を、俺も受け継いだのかも知れない。


「ラードちゃんはどうして冒険者になったの?」


 ニーナが逆に俺に冒険者になった理由を聞いてきた。そう言えば、誰にも言ってなかった。


「俺は……」

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