【メイ:過去編】メイくんの初恋①
僕が初めての恋に落ちたのは、高校に入学した日のことだった。
入学式の朝、足を踏み入れた教室は、初日だというのに賑やかだった。
黒板には「出席番号順に着席、男女交互列」と殴り書きされていて、全ての机の右隅にビニールテープが貼られ、その上にマジックで番号が書かれている。自分の出席番号が書かれた机は、一列目の最後尾だった。
前の席も斜め前も、鞄があるけど人間が不在。隣はまだ来ていないようだ。わざわざ席を立ってまで、初対面の他人とコミュニケーションを取る気にはなれない。
さしたる感慨もなく着席し、教室全体を眺めてみた。
担任が来るまでの間、皆こぞって雑談に興じている。一人でぼんやりしている奴もいないではないが少数で、ほとんどは前後の席で言葉を交わしていたり、一人の席を数人で囲んで盛り上がっていたりした。さっそく出来上がっている集団は、同じ中学出身にしては固まりすぎているし、学習塾で面識があった連中だろうか。
今日から学び舎となる
僕は学習塾に通ったことがないし、幼稚園から中学までは「桜川学園」という私立の一貫校に通っていたので、ここには誰一人として知り合いなどいない。
また浮くんだろうな。
別に構わなかった。
実の親が、他人の恨みを買うような仕事をしているのだ。反社会勢力というわけではないけど、僕から見れば似たようなものだ。合法だけど強引で、人情味の欠片もない商売。
素性が原因で、中学まで虐めを受け続けることにもなった。たまに同情心から近付いてくる人もいたけど、大抵の場合は親に「五月家の息子になんか関わるな」と言われて離れていった。この街では、立派な家ほど五月家のことを嫌う。更に言うなら僕は次男で、跡取りと言うわけでもないから、あえて親しくするメリットもない。
ただの「授業を受けて帰るだけ」というルーティンにすら支障が出たから、こうして県立に出て来たけれど、別に「一人が辛い」とか「友達が欲しい」とか、そういう気持ちがあるわけじゃない。もしも誰かと親しくなれば、家族の話も出るだろう。絶対に知られたくないし、気軽に友達を招けるような家でもない。
誰にも深入りされたくはない。友達なんて面倒なだけだ。
平穏な日々を送ることができればいい。それ以上は、何も求めない。
級友たちを眺め続けることに飽きた僕は、鞄から文庫本を取り出した。受験期に積読と化していたライトノベルのうちの一冊で、ジャケ買いした「魔法使いの羽ペンは奇跡を綴る」という異世界冒険譚。最新刊が来週出るから、その前に追いついておきたい。
ライトノベルに限らず、物語を追うのは好きだ。通学のお供は小説と決めているだけで、漫画でもアニメでもゲームでもいい。作中の世界に浸っている間は「僕」でいる事を許して貰える。
書店のカバーをかけたままの本を開いた時、隣の席に鞄を置く音がした。何気なく視線を向けると、そこにはすごく「真面目そう」な女の子がいた。黒い髪はきっちりと三つ編みにされ、前髪もヘアピンで留められて額が丸出し。眉の手入れをするとかそういう気配もない、お勉強だけをしてきました、という風情の子だ。この高校なら珍しくもないだろう。伝統校であることを誇る「県立筑原」の黒いセーラー服には、こうした生真面目さもよく似合う。
そんな彼女は僕と目が合うと、まるで花が咲くように、ぱあっと明るい笑顔を見せた。装いと表情のギャップに少し怯んでしまう。
「はじめまして、
「……
「変わった名前だね! どう書くの?」
「名字は
「そっかー! ねぇ、メイくんとタッくん、どっちの呼び方がいい?」
「え?」
どうやらオノミチさんは、僕に愛称を授けようとしているらしい。初対面の距離感として、それはいかがなものだろうか。鬱陶しいと思ったけれど、なんとなく邪険にもできなかった。悪意ゼロです、新生活が楽しみで仕方ありません、仲良くしたいです――そんな感情が、残らず顔に書いてある。
きっと、バカみたいに素直な子なんだろう。人を疑うとか、生まれてこの方一度も考えたことすらなさそうだ。親にも友達にも恵まれた、幸せな人生を送ってきたんだろうな……自分との境遇の差を思えば苛立ちも覚えるけれど、それは彼女に非があるわけではない。むしろ、こういう子が育つ土壌が現代社会に残っていたのなら、大変に喜ばしいことだ。
頭にお日様が詰まってるような子に、初日から嫌な思いをさせるのは、さすがの僕も心が痛む。突き放すまではしなくていいか、女子なら親しくなりすぎることもないだろう。一年間は同じクラスなのだから、交流くらいあっても損はしない。
「どっちでも、オノミチさんの好きな方でいいよ」
「じゃあ、メイくんって呼ぶね! 私のこともリコって呼んでいいよ!」
「わかった、リコちゃんね」
「ねぇ、ケータイかスマホ持ってる? 連絡先交換しよー?」
「は? なんで?」
その強引かつ流れるような展開に、うっかり本気で嫌そうな声を出してしまった。嫌なのは確かだけれど、そこまで強く拒絶を示す必要もなかった。やんわり断る事だってできたのだ。
ごめん、と言いかけた僕に気付かないまま、リコちゃんは鞄からスマホを取り出した。
「やっとスマホ買って貰えたから、メッセの友達登録第一号は、高校で最初にできた友達にしようと思ってたんだ!」
「友達?」
「うん! メイくんと私、もう友達でしょ?」
面食らった僕は、否定しようとした。僕らは友達なんかじゃない、ただの級友というだけだ、初対面から馴れ馴れしすぎるんじゃないか――そう、言おうとしたのだ。
だけど僕の唇からは、気の抜けたような吐息が漏れるだけだった。彼女の笑顔が曇るだろうと思った途端、拒絶できなくなってしまった。
何故だ?
理由もわからないまま、僕は彼女の笑顔を守る選択をする。
「僕スマホだけど、アプリ入れるところからだから、ちょっと待ってね」
「あっ、じゃあ無理しなくていいよ! データいっぱい使ったら怒られちゃうよね?」
「平気。うちの親、そういうの全く気にしないから」
「そっか、じゃあ……設定終わったら」
「うん、一番にリコちゃんを登録するよ」
やったあ、と嬉しそうに笑う彼女を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
ああ、おそらくこれが恋なんだろうな。運命論者でもないのに一目惚れだなんて、僕はそんなに飢えていたんだろうか――我ながら、チョロい。
しかしその理由は、自分でも全くわからなかった。
真面目臭くて野暮ったい、美少女というわけでもない、平凡を絵に描いたような女の子。僕が萌えるタイプというわけでもない。この教室の中にだって、もっと好みな容姿の女子は何人もいるのに、あっさりと心を捉えられた。
僕はこの、どこか暴力的とも言える、心を支配する感情へ服従することにした。
自分の中で楽しむだけだ、決して手に入れようとは思わない。たとえ想いが通じたところで、僕の素性を知れば離れて行くに決まっている。
表に出さない感情ならば、その正体が恋であろうと、もしくは性欲を勘違いした下衆な何かであろうと、何もかもが僕の勝手だ。嫌われなければそれでいい。仲良くできれば、なおの事いい。たったそれだけの話。
「少し時間かかりそうだから、他の人と話してきたら?」
「ううん、ここで待ってる。ねぇ、メイくんってどこ中学だったの? 私、
「僕は宇宙から来たの。だから誰に聞いても、僕のことは知らないよ」
「えー、なーにそれ?」
「だから、この星ではリコちゃんが、僕の初めての友達なんだよ」
「あははっ、それは責任重大だぁ!」
楽しげに笑うリコちゃんには、きっと一生かかっても、この会話の残酷さは想像できないだろう。
それでいい。何も知らないままでいいんだ。目の前の「メイくん」を見ている君に、わざわざ「五月尊」のくだらない過去など聞かせはしない。
「……あ、設定終わった? じゃあ申請飛ばすねー!」
「うん。友達第一号なんて、光栄だな」
「私もー! えへへっ、仲良くしようねー!」
生まれて初めてできた友達は、馴れ馴れしくて強引で、無邪気に笑う女の子。
僕が初めての恋に落ちた相手は、そんな可愛い人だった。
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