【ヒマワリ:大学編】ジンブンのオノミチさん③
私がオノミチさんと遭遇してから、ちょうど一年が経った頃。
県展に出品する作品を描くために、実習室で居残り作業をしていたハヤトのところへ顔を出すと、ハヤトは何故か床に倒れこんで寝ていた。
「うおっと、屍ですなぁ。県展の絵、うまくいってないのかね?」
「いや……やっちまった……」
呻くハヤトの傍に、スケッチブックが落ちていた。ピロールレッドの油絵具で『目障りだ露出狂!』と大きく殴り書きされている。
実習室にはハヤトしかいない。窓の外を見ると、日本庭園の片隅に男子学生が何人か集まっていた。泣いている女の子を宥めているように見える。男の子たちに囲まれて、涙を零しながら健気に笑う女の子は、何かのコスプレ衣装を着たオノミチさんだった。
どうやら撮影会をしていたらしい彼女に向かって、ハヤトはこのスケッチブックを掲げてしまったようだった。
「何やってんの、バカ。これじゃもう、モデルになんかなって貰えないよ?」
私がチクリと言うと、ハヤトは「それどころじゃなかった」と言いながら起き上がった。
「だってあの衣装、露出高すぎだろ……すごいポーズで写真撮らせてたんだぞ、嫁入り前の女が屋外であんな格好をだな」
「嫁って、価値観古っ……まぁ、本人は覚悟の上でやってんでしょーに。だからわざわざサークル作って、取り巻き固定してるんでしょ?」
「俺がここから見たってことは、取り巻きでなくても撮影できるってことだ。もしあんなもんがネットにでも流れてみろよ、オノミチが死ぬほど後悔するに決まってんだ……」
「だからってさー、こんな形で嫌われ役になる必要、あったの? 見えてるぞー、だけで良かったんじゃないの?」
「……細かく考える余裕がなかったんだよ」
言いながら、私ちょっと意地悪かも、とは思った。好きな子だから物申したかったに決まっているのに、肝心のハヤト本人が、自分の気持ちに全く気が付いていないんだ。
正直、すごく焦れる。せめて「どうやら俺はオノミチに惚れたらしい」くらいのことを言ってくれれば、私だってハヤトを諦められるかもしれないのに――。
ああ、もう。何で気付かないのよ、馬鹿。アンタはオノミチさんのことが好きなんだってば。
私の気持ちなんか無視して、あんな隙のない女の子に、一目惚れなんかしちゃってさ。
「ほんとーに、どうしようもないヤツぅ」
「うるせ、仕方ないだろ……ま、どうせオノミチは俺が誰かもわかってないだろうしな」
アンタも相当な有名人だけどね、と言いかけて、やめた。
チガヤちゃんやスガさんが言うには、ハヤトは「美術科の変人」という呼び名で学内に名を轟かせているらしい。
確かに、背が高く顔立ちの整っているハヤトは目を引く。それは高校時代に嫌というほど立証された。それなのにいつも小汚い格好をしていることが、変人と言われる
実際、たまに見た目で寄って来る女の子がいて……でもそういう女の子たちは、少し喋るだけで泣き出すか怒ってしまう。いま、オノミチさんが泣いてるみたいに。彼女は不可抗力だから可哀想だけど、言ってみれば当たり屋に遭遇したようなものだ。
窓の外を見ると、サツキくんがオノミチさんを抱き締めていた。他の取り巻きさんたちもまだ周囲にいるから、二人は公認の仲なのかもしれないし、彼女たちにとってあの程度のスキンシップは普通なのかもしれない。
絶対に普通と思うわけがないイトコ殿が視線を向けてしまわないように、私はイーゼルの横に立った。
「サツキくんはわかってるんじゃないの?」
「構わんさ、アイツとだって話したこともない。もし文句でも言いに来たら、俺は逆に、惚れた女にあんな危ない橋を渡らせるなと言ってやりたいね」
惚れてるかなんてわかんないじゃん、って言おうと思ったけど、このまま二人が恋人同士だと思っててくれれば……オノミチさんのこと、自然と諦めてくれるかもしれない。
あえて何も言わない私は、やっぱり意地悪だ。
ハヤトが照れ臭そうな顔で「オノミチにモデルを頼んだ」と打ち明けたのは、その翌日のことだった。
昼休みの終わり頃、ようやく学食の定位置へ顔を出したハヤトは、オノミチが来たんだ、と言った。一緒にいたニッシーとカメは興味津々で、リコ姫が何事だ、とそわそわしている。
「
「おっ、いきなり連れ込んじゃったか」
「バカ、人聞きの悪いことを言うな!」
人聞き悪いとかお前が言うのかよ、とニッシーが笑った。
あんな最低の出会い方をしておきながら、オノミチさんはわざわざハヤトに会いに来たんだ。普通なら「二度と関わりたくない」と思うものじゃないのかな。
ついチガヤちゃんの言葉を思い出し、もしかして彼女はハヤトを狙ってるのかな、なんて思ったりもしたのだけれど……次の瞬間、そんな疑いを向けてる場合じゃなくなってしまった。
「んで、何で泣かせちまったんよ?」
「俺、クソビッチとか言っちまってさ……したことないのにひどい、って」
「うっわ、マジで最低なやつやん」
「ハヤトそれ、今までの中でダントツ最低じゃね?」
「だよな……腕を掴まれて、焦っちまってさ。取り巻きに見られたら、オノミチが困るんじゃないかと思ってな……」
「だからってさぁ、もっと言葉選べって」
「こういう時こそ、普段の行いが物を言うわなぁ」
妬いたりなんだりする前に、ただただ呆れるしかなかった。ハヤトにしては珍しく、全く根拠のない悪口だ。よっぽど冷静さを失くしてたんだろうな。
「だが……それでも、モデルは引き受けてくれるらしい」
「はぁ!? 裸婦画やろ!?」
「ああ。アイツ本当に、何を考えてるんだろうな」
「ハヤトも何考えてんだかわかんねーけど!?」
驚きまくってるニッシーやカメと同じように、私も全く理解できなかった。そんなタイミングでヌードモデルを頼んじゃうハヤトのことも、引き受けちゃうオノミチさんのことも。私たちはどこまでも凡人で、常識や規範を捨てられないから。
ああ、もう、お似合いじゃないか。生まれてすぐから一緒にいる私でも、こういう時のハヤトは全然理解できないのに……オノミチさんは簡単に、同じ世界に入り込んでしまったんだ。
私がどんなに逆立ちしたって、勝てっこない。見ている世界が違いすぎだ。
「まぁ、良かったんやない? 念願叶ったんやからさ」
「そう……だな」
「全裸のリコ姫かぁ、間違っても襲うなよ?」
「モデルにいちいち欲情するかっての、ニシと一緒にするなよ」
ニッシーの軽口をかわしたハヤトは、それでも耳まで真っ赤になって、私は何も言えなくなった。好きなんでしょ、とからかいたい気持ちもあったけれど、わざわざ自覚させてやることもないよね。ハヤトの恋を応援はするけど、絶対にお節介は焼いてやらない――そう思ったのに、カメが余計なことを言ってしまった。
「でもさ、ハヤト、あの子に惚れちまったんよな?」
少しの間があって、ハヤトは何かマズいものでも食べたみたいに顔をしかめて、それから「わからん」と呟いた。
「惚れるくらいに向き合ってみたい、とは思うけどな」
「やめとけやめとけ、アレは惚れても苦労するだけだって」
「だろうな。それでも俺たちは、きちんと信頼関係を築くべきだろ……二人きりの部屋で脱いでくれ、なんて無理を言ってるんだからさ。だからもっと、俺もアイツを知るべきなんだ」
ハヤトはリュックを抱えて立ち上がり、そのまま食堂を出て行った。残された私たちは呆気に取られてしまって、ただ見送ることしかできなかった。
「……アイツ、彼女とか面倒臭ぇって言ってたのになぁ」
「せやね。否定せんってことは、やっぱもう惚れとるんやろね」
「まさかハヤトが、オタサーの姫に引っ掛かるなんてな」
「可愛いのは否定できんしなぁ……それに、意外と根性ありそうやん? そういう意味ではハヤト好みっぽい感じもするわ。実際どんな子なんやろね」
「あー、まあ確かに、知りもしないで悪く言うのはナシだな」
何気なく交わされる、ニッシーとカメの会話。私の知ってるオノミチさんは、すごく素敵な女の子だけど……いま、それを伝えることは出来なかった。
あの日の自分の汚さを、この二人には言いたくなかった。
ハヤトの初めての恋が、幸せなものになればいいのに――そう願ってはみたものの、その時の私には「無理なんだろうなぁ」としか思えなかった。
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