エピローグ 今日もいい天気

(完結まであと2話)第48話 それがあいつのいいとこだからな

「別れてください」

 

 夕日に染まった放課後の体育館の裏。


 を身につけたあたしの静かな声が響き渡る。

 

 その声を聞いた先輩は、ハッと目を見開いた後、沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。刺すように痛い沈黙の後、先輩は口を開き、

「どうして、って訊いてもいいかな……」


 その時、遠くで歓声が弾けた。

 後夜祭が始まったのだ。

 実行委員の挨拶と共に有志のバンド演奏が始まり、流行のポップスナンバーが流れ、生徒達は思い思いの時を過ごす。中庭のステージに集まる生徒もいれば後夜祭には無関心でそのまま帰宅する生徒もいるだろう。


 あるいは校舎内で二人の世界に浸っているカップル達もいるはずだ。あのままお姉ちゃんのフリを続けていれば、あたしたちもその類のカップルの一つだったかもしれない。

 でも……

「……先輩が、好きだからです」


 言ってしまった、という思いが最初にあった。

 あたしの口から出たのは、考えていたのとはずいぶん違った言葉だった。

 

 最初は、自分が優紀ではないことを告げてそれでおしまいにするつもりだったのだ。

 だからこれは自分にとっても全くの不意打ちで、けれど、先輩にとってはさらに予想もしていなかったことのようだった。

 

 呆然とした先輩が何かを言おうとするのをさえぎるように、あたしは青いリボンを外し、さらに言葉を重ねていく。


「あたしは、美紀なんです。あたしは先輩が好きだったから、無理を言ってお姉ちゃんに代わってもらったんです。ごめんなさい。先輩がお姉ちゃんに告白した次の日から、先輩がお姉ちゃんだと思ってたのは、ずっとあたしだったんです。先輩とデートしたのも、キスをしたのも、雨の日に一緒に帰ったのも、全部」


 そう、そして、先輩はそれに気づかなかった。


「でも、もうやめることにしたんです。だって、お姉ちゃんも先輩のことが大好きですから」


 多分、あのままお姉ちゃんを続けていれば、今でもあたしはお姉ちゃんの代わりに先輩の横にいる。それでも、そんなことを続けていたら、あたしの心が死んでしまう。


 そんなのあたしじゃないから。


 正々堂々、まっすぐに。

 それが朝倉美紀なのだから。


「あ、けど、勘違いしないでください、あたしはあきらめるつもりなんてありませんから」


 積極的に、強引に。

 多少の虚勢はご愛敬。

 だから、あたしは笑った。


「アハっ。……そうだ! あたしにキスをした責任はちゃんと取ってくださいね?」

われながら、ずいぶん、身勝手なことをいうものだと思う。けど、こうでもいわないと、わがままな自分を演じていないと、後ろめたさで尻込みしてしまいそうだった。


「……美紀ちゃん。僕は」


「ストップです」

 

 沈黙を破って口を開いた先輩を手の平で制する。


「謝らないでください。悪いのはあたしなんですから。でも、告白の返事をしようとしてるんなら、今はダメですよ。だって、先輩は、あたしとお姉ちゃんの見分けが付かないんですから」


 そして、あたしは最後にお姉ちゃんっぽく微笑んで見せた。


「……ふふっ。そう、もしかしたら、わたしは、美紀ちゃんのふりをしているだけで本当は優紀なのかもしれませんよ?」

 

             @


 ――あたしが無理を言ってお姉ちゃんに代わってもらったんです

 その言葉をわたしは体育館の曲がり角のところで聞いていた。


 思わず、ため息をついてしまう。


 遠慮はなし。

 お互い全力で正々堂々。

 美紀ちゃんはそう言ったはずなのに、


「……まったく、あいつ、ほんとに馬鹿じゃねえの?」

 

 隣の健吾くんが悪態をつく。

 その言葉に一瞬反感を持ったけれど、本音を言えば、わたしも同感だった。

 わざわざわたしをかばって自分が悪役になる必要なんてどこにもないのに……。


 けれど、


「ま、それがあいつのいいとこだからな」


 その通りだった。

 明るく、元気で、たまにわがままも言うけれど、本当はすごく優しくて心がまっすぐな美紀ちゃん。

 わたしの自慢の一つ子。


「ふふっ。本当に、そうね」


 肩をすくめながらつぶやく健吾くんに、わたしは、笑いながら同意のうなずきを返す。


「どうせ、後で優紀さんがちゃんとホントのことを鹿島に伝えるつもりなんでしょ?」


 もちろんつもりだった。

 だから、わたしは肯定の代わりに微笑みを返した。

 それにしても、


「色々協力してもらってごめんなさいね。でも、健吾くんは、これでいいの?」

「なにが?」


「決まってるでしょう? 美紀ちゃんのことよ」

「美紀がどうかしたって?」


 健吾くんは、眉を持ち上げて両手を広げておどけたような仕草をした。


「もう、とぼける必要はないのに……。健吾くんが美紀ちゃんを好きなことなんて、とっくのとっくに分かっているんだから」

「…………」


 健吾くんは、優に十秒くらいは固まってから、全身がしぼんでしまうくらいのため息をついた。

 うつむいた表情が自嘲気味に笑っているのはなんとなく分かった。


「どうして、健吾くんは美紀ちゃんに素直にならないの? 一時期はあんなに仲がよかったのに、今は意地悪ばっかりするのはどうして? あれじゃあ、好きになろうと思ってもムリだと思うの。だって、美紀ちゃんが好きなのは」


「アイツが好きなのは、優しくて大人っぽくて何もかも包み込んでくれそうな奴。 要するに、優紀さんっぽい人。……そんなことくらい分かってるよ。でもって、俺はどう逆立ちしたってそういう奴にはなれないってことも……」


 第一、ガラじゃない。

 健吾くんは、そう締めくくって口を閉じた。


「だから、ひねくれて悪戯をするの? ヤケになって諦めて?」


 健吾くんは、下を向いたまま苛立たしげに石ころを蹴飛ばす。そのまましばらくつま先でぐりぐりと地面を掘り返しながら、


(つづく)

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