(完結まであと4話)第46話 あたし、強くなったからね


 美紀ちゃんはこう言った。

「好きなんでしょ? 先輩のこと」


 揺らいだのは、一瞬だけだった。

「……え、ううん、そんなわけないでしょう?」


 わたしはすぐに表情を戻すといつものように微笑んで美紀ちゃんに答えを返した。

けれど、美紀ちゃんは納得しなかった。


「だったら、どうして先輩の告白を断らなかったの?」

 何度も聞いた質問。わたしはほとんど条件反射のように口を動かす。


「だって、わたしが断ったら美紀ちゃんが本当に代役になってしまうから。けど、入れ替われば鹿島さんも気づくと思ったの。自分が本当に好きなのは美紀ちゃんなんだって」

 わたしが大切なのは美紀ちゃんだけ。

 恋愛とか男の人を好きになるとか、そういうことはよく分からない。

 けれど、美紀ちゃんの真剣なまなざしはそんな殻をあっさりと破ってどんどんと中へ入ってくる。そして、


「……じゃあ、どうして花壇のこと、あたしに内緒にしてたの?」 

「…………」


「別に責めてるんじゃないの。……でも、この前だけじゃないんでしょ? 告白された時も、その前も、お姉ちゃん、先輩とここで会ってたんでしょ?」


 わたしには、答えられなかった。

 そう。

 わたしが花壇の世話をしていたのは本当。

 そこにときどき鹿島さんが来ていたのも本当。

 それを美紀ちゃんに言っていなかったのも本当。

 ただ、わたしには内緒で逢い引きをしているつもりなんてなかった。

 そのはずだった。

 

 でも……。


「お姉ちゃんは、先輩が好きだから内緒で会ってることを話しづらかった。お姉ちゃんは先輩が好きだから告白された時に断れなかった。そうでしょ? もしかしたら、頷いちゃったのも自分でも無意識だったのかもしれない。でも、すぐに後悔してやっぱりダメですって言おうとして顔を上げて、その時に、気づいちゃったんでしょ? あたしが全部見てたことに」


「…………」


「それで、こんなことをする以外に、先輩をあたしに譲る方法が思いつかなかった。……違う? だって、告白にうなずいたお姉ちゃんを見ちゃったら、どんな風に言葉を繕われても、あたしはお姉ちゃんが遠慮してるんだとしか思わないから。だから、わざと先輩の気持ちを踏みにじるようなことをして、自分は先輩のことなんて何とも思ってないって思わせて……」


「違うわ」と叫ぶ。

 それは、自分の口から出たとは思えないほど、必死な言葉だった。

「わたしは本当に鹿島さんのことなんて何とも思ってないの。だって、わたしが大切なのは美紀ちゃんだけだもの。花壇のことを黙ってたのだって、ちょっと言いそびれてただけで……」


「……もう、いいよ。お姉ちゃん」

「本当よ、美紀ちゃん、信じ」

「もうやめて!!」

 悲痛な声に、ハッとなって言葉が途切れる。


「……違うの、わたしは本当に」

 それでも、わたしは否定する以外に何も思いつかなかった。

 だからわたしは何の力もなくしてしまった言葉を呪文のようにただ繰り返す。

 それを美紀ちゃんは力無くうつむいて耐えるように聞いていた。

 やがて美紀ちゃんは顔を上げ、捨てられたようなまなざしを向ける。


 そして、美紀ちゃんは疲れ切ったように「ねえ、お姉ちゃん」と弱々しく笑った。

「あたしは、いない方がよかったの?」


 一瞬、美紀ちゃんが何を言ったのか理解出来なかった。

 言葉は静かな波紋のようにわたしの中に広がっていき、心臓はいつの間にかきりきりと締め付けられるように痛みはじめ、


 ――あたしは、いないほうがよかったの?


 もう一度、美紀ちゃんの声が頭の中で反射する。

 足下が抜けた。


 全身から力が消え失せて気持ち悪い浮遊感に支配される。

 足下が震えてそれ以上立っていられなくなる。

 胸の鼓動が痛みを増し苦しさで気が狂いそうになる。


「どうして……?」

 絞り出すような声でそう尋ねた。


「どうしてそんなこと言うの? わたしはそんなの思ったこと一度もない。いない方がいいだなんてそんな、だって美紀ちゃんはわたしの大切な」


「だってそうじゃないっ」

 悲痛な叫びにわたしの呪文が断ち切られる。


「……そうやって大切だって言って、あたしのためって言って、お姉ちゃん、いつもガマンしてる。倒れるほど無理して、好きなのにわざと気持ちを踏みにじるようなマネして、いつだってあたしのせいで苦しんでる!!」


 違う、と言いたかった。

 わたしはムリなんてしていない、苦しいなんて少しも思っていない。

 そう言ってあげたかった。


 なのに、わたしは何も言えなかった。


「あたしは、どうして助けられてばっかりなの? あたしはどうしてお姉ちゃんの邪魔してばっかりなの? あたしって、そんなにお荷物なの? もう、こんなの嫌だよ……。あたし……、あたしは……、あたしだってお姉ちゃんの役に立ちたいのに……」


 わたしは、お母さんになりたかった。


 お母さんが死んでから、美紀ちゃんはふさぎ込んで泣いてばかりいた。

 だからわたしはお母さんのマネをして料理を作って、美紀ちゃんの頭を撫でて、夜は子守歌を歌って一緒に眠った。いつでも必死に小さなお母さんを演じていた。


 わたしはただ、美紀ちゃんに笑っていて欲しかったのだ。

 けれど……、


「……あたしだって、お姉ちゃんが大好きなんだから!! あたしだって、お姉ちゃんに笑ってて欲しいんだから!! だから、もっとあたしを頼ってよ。倒れるまで我慢して無茶なんてしないでよ! 先輩のこと好きなら、はっきりそう言ってよっ!!」


 思いは美紀ちゃんも同じなのかもしれなかった。

 美紀ちゃんが合気道を始めたのはなぜか。

 美紀ちゃんが時折甘えるように奔放に振る舞うのはなぜか

 美紀ちゃんがいつも元気に笑っているのはなぜか。

 失敗しても失恋しても、めげずにいつでも笑い続けているのは、わたしがそう望んだからではないのか。


 ――あたしがお姉ちゃんを護ってあげるからね。


 思い出す。


 美紀ちゃんが合気道を習い始めた頃のこと。

 近所の男の子をケンカで負かして師範さんに怒られて帰ってきて、美紀ちゃんは鼻っ柱に絆創膏を貼り付けてもらいながら「あたし、強くなったからね」と呟く。

 

 お父さんが遅くても、お母さんがいなくても、あたしがお姉ちゃんを護ってあげるから。だって、あたしはお姉ちゃんが……


 そして幼い美紀ちゃんは照れくさそうに、「大好きだもん」と口にする。


「お姉ちゃん、今度こそ、ホントに正直に答えて」

 もう、ダメだった。


「好きなんでしょ? 先輩のこと」


(つづく)


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