(完結まであと5話)第45話 ……その方が、お前らしいよ

「来なくていいよ」

「はぁ?」

 美紀ちゃんの話が掴めずに、健吾くんは口を半開きにして尋ね返す。

 わたしにも話がまったく見えなかった。

 

 美紀ちゃんは1人、当然というような顔をして話を続ける。


「だから、別に見に来てくれなくっていいって。健吾を呼んだのはね、それを言おうと思ったの。ムリに見に来る必要はないでしょ? だってあたしたち、ただの腐れ縁なんだし」


 ただの腐れ縁、という言葉に健吾くんは慌てて、

 「ちょ、ちょっと待てよ。俺はお前の……」

 彼氏、と言おうとした健吾くんの言葉を遮り、美紀ちゃんは一言。


 「別れて」


 ざわざわと、コート中に困惑のどよめきが広がっていった。

 幼なじみカップルの突然の破局。

 

 しかも、二人は特に喧嘩した様子もなく、美紀ちゃんの口調は「今日は大根買って帰るから」っていうくらいなんでもないただの内輪の雑談みたいで、


「なんで?」


 健吾くんは、端から見ればずいぶん落ち着いているように見えた。

 怒るでも悲しむでもなく、ただ疑問を疑問のままに返す。

 それは周囲の誰もが思う共通の疑問だった。

 その答えを求めて、周囲の視線が美紀ちゃんに集まる。


 けれど、美紀ちゃんは怖じけた様子もなくハッキリと。


「あのね、あたし、もうやめることにしたの。こんなこともう全部。……全部やめて、これからは正々堂々勝負する」


 美紀ちゃんは、まっすぐ健吾くんの方を見ていた。

 けれどそれはきっとわたしに向けられた言葉だった。

 それが美紀ちゃんの答え。

 

 それは全てが徒労に終わった証だった。

 全身にまとわりつくような疲労感が満ちる。

 けれど、同時にどこか誇らしい気分になるのはなぜだろう。


 それから美紀ちゃんは視線を外し、一瞬だけわたしの方を見てこう言った。

「……振り向いてもらえなくても、それでもあたしはかまわないから」


 迷いのない美紀ちゃんの目は、本当に綺麗だと思った。


 それで、わたしは自分が何をしたかったのか分からなくなってしまった。

あとに残ったのは泥のような困惑だけ。

「……そっか」


 健吾くんは、笑っているのか悲しんでいるのかよく分からない表情をして、ただ美紀ちゃんを見つめていた。

 

 それはどうしてか、うらやましげな表情だった。

 やがて、健吾くんはいつものように肩をすくめ


「そうだな。……その方が、お前らしいよ」

「まあねっ」


 健吾くんの言葉を受けて、美紀ちゃんは満面の笑みを浮かべてうなずいた。

 ざわめきがコートを満たし、相手の選手もコーチも、鹿島さんを含めたテニス部員全員が不可解な顔をして二人の様子をうかがっていた。


 それもそのはずだと思う。

 別れ話をしているはずなのに、二人の間にはいままでよりもずっと親密な雰囲気がただよっていた。


 まるで、何もかも話し合える兄妹のような……。

「……ま、どうせダメだろうけど、せいぜい頑張れよ」

「……ちょっと、何よその言い方。もっと心を込めて応援出来ないの?」

「できるわけねえだろ。ったく、ホントお前ってさ……」

「なによ~」

「……やっぱバカだろ?」

「うるさいわね、バカにバカって言われたくないわよ」

「へいへい。そいつは悪かったな」


 健吾くんはそう言って肩をすくめ、美紀ちゃんは声を上げて笑って、


「……じゃ、もう行くね。試合あるし」

「おう」


 それから、美紀ちゃんはわたしの方に向き直った。

 困惑は、まだ去っていなかった。


「……お姉ちゃんさっきはごめんね。ホントは、あたしもお姉ちゃんに大事な話があるんだ」

 わたしはぼんやりとしたまま美紀ちゃんの言葉を聞く。


「……だから、劇が終わったら花壇のところに来て。待ってるから」


 うなずいていいものかどうか分からず、わたしは曖昧な頷きを返す。

 返事をしながら、もう一度、美紀ちゃんの言葉を頭の中で反芻し、

 ――劇が終わったら花壇のところに来て。


 え、劇?

 気づいた。


 今の状況で劇といえば当然2年A組主催の劇『イリスとエリス』のこと。

 すっかり忘れていた。

 朝から美紀ちゃんに振り回されっぱなしだったせいかもしれなかった。

 そう。

 当たり前の話だ。

 テニスの試合に美紀ちゃんが出るなら、劇に出演するのはわたしなのだ。


 貧血のところにさらに血の気がひいていく思いがした。


 確かにセリフは主役から脇役まで完璧に入っている。

 

 けれど、一度の合わせもリハーサルもなしにいきなり舞台に立つなんて………。



 結局、結果は散々だった。


 ろくに練習していなかった美紀ちゃんの試合は6-1の惨敗だったし、わたしはセリフに気をとられて、セットの草むらに躓いてズッコケて、観客を爆笑の渦に巻き込んでしまった。


              @


「劇はどうだった? お姉ちゃん」


 わたしが花壇につくと、美紀ちゃんは格技場の建物に寄りかかってわたしを待っていた。


「……もう、見てたんでしょう美紀ちゃん? 散々だったわ」

「……アハハっ。でも、白ウサギって元々あんな感じだもん。あわてん坊で、ちょっとマヌケで……。だから、ぜんぜんおかしくなかったよ。セリフはぶっつけ本番だとは思えないくらい完璧に入ってたし。あたしの試合よりずっとマシだったよ」


「……ううん。そんなことないわ。美紀ちゃんの試合だって、始めてまだ半年で、しかもここ2週間はろくに練習してもいなかったのに、ホントに頑張ったと思う」


「……ありがと。でも、次はしっかり練習しなきゃね」


 美紀ちゃんがそう言って、わたしたちは小さく声を上げて笑った。

 けれど、笑い声はすぐに静けさに飲み込まれる。

 二人の間を冷たい風が抜ける。

 風に運ばれて、祭の喧噪が遠く校舎の方から聞こえてきた。


「……ねえ、美紀ちゃん」


 これ以上、先延ばしにはできなかった。


「どうして、急に全部やめる気になったの? だって、昨日までは、そんなつもりじゃなかったんでしょう?」


 美紀ちゃんは、「うん」と頷いて


「……ごめんね、お姉ちゃんに黙って勝手なことして」

 それからしばらくの沈黙が続き、やがて、美紀ちゃんは意を決したように口を開く。


「でも、やっぱりこんなことやめようってそう思ったの。こんなの、あたしのためにも、お姉ちゃんのためにもならないって。だって……」


 うつむいていた美紀ちゃんが顔を上げ、真っ正面からわたしを見据えた。


「……ねえ、お姉ちゃん。正直に答えて」


 わたしには、わかっていたのだと思う。


 美紀ちゃんが何を訊こうとしているのか。

 美紀ちゃんの真剣な目がそれを物語っていた。

 そして、それが分かる程度には、わたしは自分の気持ちを自覚していた。

 それは、わたしの中でどんどん重みを増していきながらも、決して形を取ることのなかった一つの答え。


 美紀ちゃんはこう言った。


 (つづく)

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