第38話 多分、四月からずっとだぜ?

「あ、鹿島」


 ――え? もう一度振り返って前を見る。健吾が示した先には、確かに渡り廊下を横切る先輩の姿。あたしたちには少しも気づいていないようだった。


「後をつけるぞ、美紀」

「ちょ、ちょっと……」


 そんなのもういいから帰ろ、とそう言いたかった。

 そう言いたかったはずなのに、あたしはそれ以上何も言わずに忍び足で歩く健吾の後ろをついて行った。


 第一校舎の横を通って、渡り廊下を横切って、突き当たった体育館沿いに歩いて角を右に曲がってついた先は……。


 ――あ、優紀ちゃん、来てたんだ

 ――はい。雨も3日くらい降っていませんし……、ここのところ忙しくて美紀ちゃんに任せてばかりでしたけれど。


 ――実行委員だもんね。大丈夫? ちょっと疲れてるみたいだけど。なんなら休んでてよ。後は僕が全部やっとくから

 ――ふふっ、大丈夫です。ありがとうございます。もう文化祭も明日ですから、実行委員の仕事も一段落しましたし、それにわたしが勝手にやってることですからそこまで頼れませんし。


 あたしと健吾は、曲がり角のところで止まって覗き込みながら二人の会話を聞いていた。


「ねえ、『美紀ちゃんに任せてた』とか『勝手にやってること』とかって何の話? あたし別に何もやってなかったけど」


「多分、あれじゃねえの?」


 健吾が指さした先には花壇があった。

 

 体育館裏のさびれたイメージにはふさわしくないくらい手入れが行き届いていて、煉瓦の囲い中には季節ももう秋だというのに色とりどりの花が咲き乱れている。


 お姉ちゃんは、その縁に立ってジョウロで花に水をあげていた。


「『美紀に任せて』っていうのは、多分、最近は美紀の姿で来てたってことだろ? そう言えば優紀さん前に言ってたな。去年の園芸部が卒業して荒れかけてた花壇の世話をしてるって」


「えっ?」

「えっ、って美紀は知らなかったのか?」


 ――知らなかった。


 そもそも、こんなところに花壇があることさえ初耳だ。


「いつから?」

「多分、四月からずっとだぜ?」


 そういえば、お弁当を食べにお姉ちゃんの教室に行ってもいない時が何回かあった。

 きっと別の友達と食べてるんだろうって気にもしなかったけど……。

 そう考えてみると夏休みもそうだ。

 お姉ちゃんはときどきあたしの部活にくっついて学校まで来ていた。

 

 そのときは図書館を開けてもらうって言ってたけど、もちろんそれも嘘じゃないと思うけど、ついでにここにも来ていたのかもしれなかった。


 でも、どうしてお姉ちゃんはあたしに秘密にしていたのだろう。


 それに、お姉ちゃんが花壇の世話をしてるのはいいとして、ここに先輩までいるのはなんでなのか。


 その疑問に答えるかのように、先輩はもう一つのジョウロを手に取り花壇の脇の木陰に歩いていった。


 目をこらすと、そこには当に壊れかけと呼ぶにふさわしい水道があった。

 高さは膝くらいまでしかなくて水道管は曲がっていて、おまけに口のところはつぶれている。

 水が出たら一体どんな風になるのだろう。 

 それは『そこにある』と言われなければ2.0のあたしの視力でも見つからないほど存在感が薄かった。


 でも、迷う様子のない先輩を見る限り、少なくとも先輩がお姉ちゃんを手伝うのは初めてじゃないのだろう。


「あ、鹿島がこっち向くぞ」


 あたしたちは急いで首を引いて校舎の角に引っ込む。

 奥の水道から花壇へ向かう途中、先輩の視線がこちらの方に向くのだ。


 しばらくして覗き込むと、先輩はお姉ちゃんと並んで水をまいていた。

 ――あ、優紀ちゃん、ここ雑草生えてるけどどうする?

 ――そうですね……。本当は抜いた方が良いんでしょうけど、見に来る人も少ないですし、あまり大きくもならないと思いますし、そのままにしておいてあげませんか? 

 ――うん。了解


 お姉ちゃんは、少しも緊張しているそぶりを見せなかった。

 あたしと先輩のギクシャクした様子とは大違いで、二人はすごく自然体で、長年連れ添った夫婦みたいで、そんな光景からあたしは目を逸らせずにいた。


 どうして?


 どうしてお姉ちゃんはここのことをあたしに黙っていたのだろう。

 どうして……。


 視界の中でお姉ちゃんが踵を返した。

 軽やかな足取りで奥の水道まで歩いてジョウロの水を換え、また花壇へ向かう。その途中、


 振り向いたお姉ちゃんとあたしの視線がぶつかった。

 視界の中でお姉ちゃんの目が大きく見開かれ、


 それから、あたしのもやもやとした感情は、一瞬で消し飛んでしまった。


 それどころじゃなかった。

 

 先輩のことも入れ替わりのこともケンカのことも何もかもどうでもよくなって、あたしは力の限りに叫ぶ。


「お姉ちゃんっっ!!」


 必死だった。


 大声を上げるのが恥ずかしいとか、覗いていたことがバレるとか、そんなことは頭の片隅にも上らなかった。


 あたしの頭を占めていたのは目の前の光景だけ。


 お姉ちゃんが、倒れた。


 全身の力が一瞬で消え失せたように、お姉ちゃんはその場で地面に崩れ落ちた。

 転んだのとは違う。

 バタンッという感じでもなかった。

 倒れた、というよりも、膝からぐにゃりと曲がってそのままへたり込んで………。


 お母さんが死んだ時、それがどんな風だったかは覚えていない。


 お母さんは仕事先で倒れてそのまま病院に運ばれて、連絡を受けたお父さんがあたし達を連れて病院に駆け込んだときにはもう、お母さんは冷たくなった後だった。

 だけれど、あたしは毎晩想像した。


 枕に顔を埋めながら、お母さんが倒れたその瞬間を。

 つい今朝まで優しげに笑っていたお母さんが、二度と帰らなくなったその瞬間を。


 お姉ちゃん――!


 イヤだった、怖かった、泣きたかった、助けて欲しかった。

 お姉ちゃん――!! 

 お姉ちゃんっ!! お姉ちゃんっ!お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん……………。


お姉ちゃん――――――。


(つづく)


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