第39話 心配かけてごめんね

 それから何がどうしたのかあまり覚えていなくて、気がついたら保健室で、お姉ちゃんはベッドに寝かされていて、あたしは健吾に肩を抱かれて落ち着かされていて、お姉ちゃんの横には先輩がついて手を握っていた。


………んっ。


 寝返りをうつみたいに身動ぎをしてお姉ちゃんが目を醒ました。

「お姉ちゃん!!」


 健吾の腕をはねのけてお姉ちゃんに飛びつく。

 「大丈夫!?」「どこか痛いところはない!?」「お水飲む!?」「熱計る!?」「何か欲しいモノはない!?」

 思いつく限りの言葉を口にする。

 それを柔らかく制したのは保健の柿本先生だ。


「ちょっとちょっと美紀さん。気持ちは分かるけどもうちょっと落ち着いて。優紀さんは大丈夫だから、ね? 多分、疲労性の貧血と睡眠不足ってとこ。あ、そう、優紀さん。昨日は寝たの何時?」


 ――貧血? 睡眠不足?


 慣れない部活に劇の練習。

 朝練にお弁当作りに家事全般はいつものこと。

 言われてみれば、お姉ちゃんは倒れて当たり前なのかもしれなかった。


 柿本先生が驚きの声を上げる。


「寝たのは2時で、起きたの5時半!? ……『ここのところずっとそうです』ってねえ。まったく、いつかの美紀さんといい、よく似てるわよね。頑張り出すと歯止めがきかないんだから」


 柿本先生の呆れた声は少し笑っているようで、それで何となくお姉ちゃんは大丈夫なんだっていう実感が持てた。


 ベッドの上のお姉ちゃんにしがみついたまま、あたしは長い長いため息を吐いた。


 あたしが風船ならその一息で完全にしぼんでしわしわになってしまっていたと思う。

 へなへなになって立てなくなってしまって、あたしはお姉ちゃんの寝ているベッドに顔を埋めた。


 ――よかった。本当に、よかった。


 安心したら、なぜか涙が溢れてきてしまった。一度、鼻をすする。

「ごめんね美紀ちゃん。心配かけて……」


 お姉ちゃんのその言葉に、あたしは顔をベッドに埋めたまま首を振った。

「……ううん。あたしだって、全部お姉ちゃんのせいにして、全部お姉ちゃんに押しつけて、お姉ちゃんが大変なの知ってたのに手伝いもしないで、料理だって洗濯だって全部お姉ちゃんに任せっきりで………」


 入れ替わるならば、何もかも全部入れ替わるべきだったのだ。

 それなのに、お姉ちゃんは学校では美紀、家では優紀のほとんど一人二役。


 あたしは大変なところだけお姉ちゃんに押しつけて知らんぷりしていた。

「ホントに、ホントに、ごめんねお姉ちゃん……」


 涙でぐしょぐしょになった顔を上げられなくて、あたしはベッドに顔を押しつけて何度もごめんを繰り返した。


「美紀ちゃん、どうして謝るの? 美紀ちゃんが謝る必要はないでしょう? お願いだから謝らないで。……ね? 全部、わたしが勝手にしたことなんだから……」


 そうじゃない。

 確かに元はと言えばお姉ちゃんの始めたこと。

 あたしのことなんて少しも考えずに、先輩の気持ちなんてぜんぜん無視して身勝手な計画を立てたのはお姉ちゃんが悪い。


 でも、身勝手なのはあたしも同じだ。

 それどころか、もっとひどい。


 お姉ちゃんのことなんか何も考えていなかった。

 お姉ちゃんが分からない、って、どうやって仲直りすればいいのか分からない、って言い訳して、ずっと逃げたままだった。


 慣れない部活にも疲れた様子を見せないお姉ちゃんを見て、夜遅くまで劇の練習をしているお姉ちゃんを見て、どうして一つ子なのにこんなに違うのかなって馬鹿な自己嫌悪に浸ってた。


 お姉ちゃんだって辛くないはずないのに。


 ムリしていることなんて、少し考えればすぐに分かるはずなのに。

 だって、お姉ちゃんの身体はあたしの身体なのだ。

 それも、合気道や部活で鍛えていないあたしの身体。


「ごめんねお姉ちゃん。お姉ちゃんにムリさせて……」


 涙腺が腫れて鼻が痛くて、声を無理矢理絞り出した喉が痛くて、けれど、うつむいた頭を柔らかく撫でられてあたしはゆっくりと顔を上げた。


 お姉ちゃんは、お母さんみたいだった。


 だから、より一層遠くに行ってしまいそうで怖かった。


「美紀ちゃん、わたしは大丈夫だから。ちょっと眠いだけだから。大丈夫、どこかに行ったりしないから。……だから、泣かないで、美紀ちゃん」


 身体を起こしてあたしの頭を撫でて肩を抱いて、お姉ちゃんはあたしの涙を拭いてくれた。それから、ぽつりと、一言………。


「……心配かけてごめんね、美紀ちゃん」


 ……あたしは、お姉ちゃんの腕の中で首を振った。

 本当に、本当に久しぶりにお姉ちゃんの声を聞いた気がした。


           @


 昼休みが終わって、けれど、お姉ちゃんは、もうしばらく保健室で眠っていくことになった。


 本当はずっと側についていたかったけれど、柿本先生に有無を言わさず追い出されてしまって、午後からは文化祭の事前準備で大忙しということもあったし仕方なくあたしたちは教室へ戻ることにした。

 

 階段のところで先輩と別れて、健吾と二人になる。


「よかったな。優紀さん、無事で」

「………うん」

 

 まだまだ分からないことはたくさんある。

 本当にお姉ちゃんと仲直り出来るかどうかもまだ分からない。

 けど何よりお姉ちゃんが無事だったのだから今は喜ぶべきだった。


「まったく、優紀さんも、相変わらず無茶やるよな……。ハハッ。鹿島も、ホントに心臓止まりそうな顔してたし」

「……うん」


 健吾もお姉ちゃんが倒れて動転していたのか、いつものいじわるな物言いがすっかりナリを潜めていた。

 ……ふと思う。


「ねえ、健吾」

「何だ?」

「健吾って、お姉ちゃんのこと好きなの?」


(つづく)

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