第36話 もう、お嫁に行けない
「そっかぁ。よかった。でも、未だに信じらんないな~、健吾と美紀ちゃんがつきあってるなんて。健吾はともかくとして、美紀ちゃんは絶対、あの独りっ子のこと好きだと思ってたし」
あの独りっ子というのは多分先輩のことだろう。なかなかどうして、これでミサちゃんもけっこう鋭い。あたしはタラリと冷や汗を流しつつミサちゃんの言葉を否定する。
「な、なに言ってるのミサちゃん。あたしは最初っから健吾が好きだったんだって。せ、先輩はいい人だけど、別に、そんなんじゃないもん」
すると、ミサちゃんは、急に顔を近づけ声を潜め、
「ホントぉ? 優ちゃんに遠慮してるんじゃないの~? だってほら、美紀ちゃんたちがつきあいだしたのって優ちゃんたちがつきあい始めてすぐだし。ホントのトコはどうなのよ。別に誰も聞いてやしないし、あたしは誰にも言わないから、ね?」
ね? と言われても困る。
「んもう~。ホントも何も、最初っから、あたしは健吾のことが好きだったんだって」
「あやしい~~~~」
「あ、あやしくなんてないわよ」
「じゃあ、誓える?」
「な、何を?」
「ふっふ~ん……。あ、そうだ。こんなのどうかな? 『朝倉美紀は中里健吾を愛してます。世界中の誰よりも』って。……むふっ。別に教室中に聞こえる大声で言う必要はないから」
そんなの誓えるか。
でも、あやしいあやしいを連発するミサちゃんは、そうでもしないと納得しそうになかった。
まったく、この姉弟は二つ子なのに本当によく似ている。
あたしは意を決して息を吸い込み、けれど、ミサちゃん以外に聞かせる必要がないことに気がついて声を潜め、一言。
「……。朝倉美紀は、中里健吾を愛してます……」
「その後は?」
「(くぬぬ……)んもう、『……世界中の誰よりも』 これでいいの?」
「きゃ~~~~~~。頬を赤くしちゃって美紀ちゃんってばカワイイっ。ああ、二人の愛は本物だったのねぇ~~~~」
と、そのとき
「おー、美紀もなかなか素直になったじゃないかぁ」
後ろからの声。ちょっと待て。
完全に思考がストップして息も止まった。な、何でコイツがここに?
――健吾だった。
「いやあ、まいったな。こんなトコでラブラブ宣言か美紀ぃ。……ナハハ。嬉しいけど、そういうのは二人っきりの時にしないか?」
いやぁぁあぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もう、お嫁に行けない。
ドラマや少女漫画で何度となく見つつも一生使うことはないと思っていたこの言葉が、頭の中をぐるぐると暴れ回っていた。綺麗なパンチを顎にもらって足にキているボクサーみたいな意識の片隅で、健吾とミサちゃんのコントが早送りで展開されていた。
「おう美里。ちょっと美紀を借りるぞ」と健吾。
「借りるも何も、アンタの彼女でしょ?」とミサちゃん。
「けど別に所有物じゃねえだろ」と抗弁する健吾に「甘い! なにその軟弱ぶりは!」とミサちゃんが叱咤する。
軟弱は関係ないと反論する健吾に、男は強くあれと諭すミサちゃん。
と、そのあたりでもう話がなんだかわからなくなってしまって、気づいたら健吾に引きずられて廊下にいた。
着いた先はお姉ちゃんのクラスの前だった。
そこでようやく我に返って、あたしの手首を掴んだ手を振りほどこうともがく。
「ちょ、ちょっと離してよ。教室戻らないと。アンタは二つ子だから関係ないかもしれないけど、もうすぐ指紋検査が始まるんだから」
「いいのか? 鹿島が、優紀さんトコに来てるぞ?」
――よくなかった。
ぼーっとしていた頭が一瞬で切り替わって思考を始める。
先輩がお姉ちゃんのところに? 朝っぱらから一体何の用だろう。
『あたし』は、特に約束をしてたつもりはないし、お姉ちゃんにメールが入った様子もない。
けれど、A組のドアから中を覗くと、窓際の後ろの方の席に、確かに先輩とお姉ちゃんの姿がある。
先輩はアレでいて、けっこう突拍子もないところもあるから、『急に優紀ちゃんの顔が見たくなった』っていうのもありだとは思うけど、それにしても……。
「妬いてんのか? 顔が歪んでるぞ。まったく俺というモノがありながら……」
「うるさいわね」
まったく、ムカツク奴だ。
だいたい、健吾がここに連れてきたりしなければ、見苦しく嫉妬することもなかったのだ。
お姉ちゃんはどうせ先輩のこと何とも思ってないんだから、自分からいちゃいちゃするはずないし、ベタベタするはずもない。
嫉妬することなんて何もないのだ。
でも、どうしてだろう。
そう確信していても、どうしても、二人から目が離せなかった。
@
指紋検査が終わって、全校集会の最中も、あたしはずっとお姉ちゃんの方を見ていた。
一時間目が終わって、授業の合間の休憩になると、やっぱりあたしはお姉ちゃんのクラスに足を運んだ。
中には入らずに、近くにいた茉莉ちゃんに健吾を呼んでもらう。
茉莉ちゃんは、『普通に入ればいいのに……』と不思議そうな顔をしていたけれど、あたしはまだお姉ちゃんと顔を合わせる勇気が出ないのだ。
「ん、何か用か? 美紀」
あたしは、健吾を廊下に引っ張り出すと小声で尋ねる。
「朝、先輩、なんの用だったって?」
思いっきり、呆れたような顔をされた。
「……おまえ、んなこといちいち聞きにきたのか? 彼氏が他の女と話してたら、逐一内容を把握しないと気がすまないってか? さっぱりしたようでけっこう独占欲強いのな」
ドキッとした。
「ち、違うわよ。だって、お姉ちゃんは『他の女』じゃなくて、『あたし』なんだから。何を話したのか知っておかないと、困るのは『あたし』なんだから」
そうやって言い訳したけれど、本当は図星だったのかもしれない。
先輩がお姉ちゃんに何を話したのか。
お姉ちゃんが先輩に何を話したのか。
知りたくて堪らなかった。
自分の知らないところで二人が一緒にいるなんて、耐えられない。
「ま、そういうことにしといてやるけどよ、だったら、優紀さんに聞けばいいだろ? 俺だって、いちいちそんなことまで把握してねえよ」
「そんなこと言ったって……」
もうお姉ちゃんとは一週間も口を聞いていないのだ。
一体、なんと言って話しかければいいのか。
「なんだよ、まだケンカしてるのか? お前と優紀さん」
「…………」
あたしは、黙って首を縦に振った。
「普通に話せばいいじゃねえか。別に、美紀はもう、ぜんぜん怒ってないんだろ? 優紀さんだって、前と変わらずに接してくれてるんじゃないのか?」
それは確かにそうだ、けれど。
「でも、やっぱり……。ねえ、健吾。あたし、どうしたらいいのかな。今だってお姉ちゃんが何考えてるのか一つもわからなくて、どうしてこんなことしたのか、ホントにあたしのためなのか、いつも頭をぐるぐる回ってるの、それに……」
「それに……?」
「ねえ健吾。お姉ちゃんって、普段はいつも誰と一緒にいるの?」
(つづく)
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