第35話 え~、ウッソ~、サイテーじゃない?
「おかえり美紀ちゃん。雨は大丈夫だった? 濡れたなら、お風呂はもう沸いてるから」
「…………」
返事はしない。
無言のまま玄関をくぐり、階段を上って自分の部屋に入ってカーテンを閉め、濡れた洋服を着替えた。
最近のあたしとお姉ちゃんはいつもこんな調子だ。
お姉ちゃんは、いままでと何も変わらずに話しかけてくれる。
けれど、あたしは、どうしても以前のように接することができないでいた。
最初は、単純にお姉ちゃんのことがイヤになったから。
でも、今は違った。
きっと、怖いのだと思う。
あたしは、お姉ちゃんに嫌いだと言った。
大っ嫌いだといったのだ。
それなのに知らんぷりしていつも通りに接することなんてできない。
謝った方が良いのか、それとも向こうが悪いってタカをくくっていた方が良いのか、あるいは何もなかったようにうやむやにした方が良いのか……。
気持ちっていうのは、言わなくても伝わるモノなんだってずっと思っていた。そう勘違いしてしまうくらい、あたしとお姉ちゃんは、ずっとうまくやって来れていた。
いつも仲が良くて、ケンカなんてしたことなくて……。だからなのかもしれない。
こんな時、どうやって仲直りすればいいのか、あたしにはまるでわからなかった。
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夜中。
トイレに目が覚めて暗い廊下を歩く。
ふと、半開きになったお姉ちゃんの部屋のドアから明かりが漏れていた。
何時だかは分からないけど、あたしが布団に入ったのが12時だったから、少なくとも1時半はすぎていると思う。
ドアからは、明かりと共に、ひそひそと微かな声が漏れ聞こえてきた。
一瞬電話かと思って耳をそばだてたけど、すぐに違うことに気がついた。声はこう言っていた。
――大変だ、大変だ。女王様のティーパーティーに遅れてしまうぞ。うっさ、うっさ。
『イリスとエリス』に出てくる白ウサギのセリフだった。
元々はお姉ちゃんが演じるはずだった役。でも、今はあたしが代わりに劇に出ることになっているのだから、練習する意味はないはずだった。
となると、入れ替わりがバレた時の保険?
慣れない部活に、劇の練習。
それに加えて、朝練にお弁当作り。
明日は、いったい何時起きなのだろう。
もちろん『美紀』のクラスの出し物もあるはずなのだ。
それでも顔色一つ変えないお姉ちゃんが驚きだった。
あたしには、とてもマネ出来そうにない。
どうして、一つ子なのに、こんなに違うのだろうか……。
才能の違い、のはずはない。
一つ子のもう一人が自分よりすごかったら、『才能の差』だなんていう言い訳は通用しない。
だって、持って生まれた才能は遺伝子の一つ一つまで全く同じはずだから。
あたしたちの違いはいつも本人の責任で、神様のせいにして言い逃れしようとしても、結局、自分の努力が足りないからだってそう言われるのがオチなのだ。
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それからの日々は、それこそ羽が生えたように飛び去っていった。
お姉ちゃんは相変わらず超過密スケジュールを苦もなくこなしていたし、健吾は相変わらず水面下であたしをからかい続けていたし、けれど、あたしと先輩はギクシャクしながらも次第に距離を縮めていった。
ただ、それと同時にあたしの罪悪感も膨らんでいった。
先輩は、どうして気づかないのだろう。
気づいてくれないのだろう。
そして、2週間があっという間にすぎ、文化祭を明日に控えた金曜日の朝。
あたしは赤いリボンで飾った二本のテールをなびかせ、C組のドアをくぐる。
「おはよー、ミサちゃんっ」
そう呼びかけると返事が返る。
「おっはよ~~、美紀ちゃん!」
ミサちゃんの明るい声が妙に懐かしく感じる。
思わず『久しぶり』と言いそうになった言葉を飲み込んで、廊下側から3列目、前から4番目。
何の変哲もない席に鞄を置いて座り、隣の真希ちゃんに手をふる。
「おはよ~~!」
素直に明るく元気よく。
だってあたしは朝倉美紀だから。
先輩がお姉ちゃんに告白してから、もう2週間が経ってしまった。
で、さっきからあたしはC組にいて『美紀ちゃん』と呼ばれているけど、別に入れ替わりがバレてしまったわけではないし、やめてしまったわけでもない。
やむを得ない事情があって、今日だけは元に戻ることにしたのだった。
やむを得ない事情……。
それは、全校一斉の指紋検査だ。
昨日、二年生の体育の時間に入れ替わり事件があった。
もちろんあたしたちじゃない。
詳しいことはよく知らないけど、入れ替わったのは二年の橘佳織先輩と橘沙織先輩で、目的は体育のテストのため。
そのせいで、今日は文化祭前日だというのに急遽、指紋検査が行われることになったのだ。
普段は自由な校風で通っているウチの高校も、こと入れ替わりになると過剰なくらいの反応を見せる。
双子枠をウリにしている高校だから、入れ替わりがあると世間の風当たりが強いのだそうだ。
手始めに全校一斉の指紋検査。
それから全校集会があって校長先生のなが~いお説教があって、それが終わってからもまだ、教室に戻って担任の先生からお説教と愚痴のあいのこのような話をネチネチと聞かせられるのだ。
入れ替わりは、普通のカンニングよりも処分が重くて、しかも、周りにすごい迷惑がかかるからみんなの反応も冷たい。
少し耳を澄まして教室の様子を探ると、そこら中がその話で持ちきりだった。
『ったく、怠いよな~』
『たかが体育で何考えてんだか』
『ねえねえ、知ってる?』
『橘先輩たちってデートの時も入れ替わって遊んでたらしいよ』
『え~、ウッソ~、サイテーじゃない?』
今更ながら、自分とお姉ちゃんがどれほど危ない橋を渡ってきたか実感させられた。
橘先輩たちの処分は最低でも3日間の学校謹慎。
生徒指導室にカンヅメで課題やら反省文やら親の呼び出しやらのオンパレード。
もちろん体育のテストは0点。
何部だったかは知らないけど、部活の方でもおしおきがあるだろうし、何より、これからずっと、校内を歩くたびに後ろ指を指されることになるのだ。
『ねえ、アレってどっちかな?』という風に。
「美~~紀ちゃんっ」
――あら、美里ちゃん。と口をついて出そうになる言葉を押しとどめた。
今は『美里ちゃん』ではなく、『ミサちゃん』が正解。
「ん。なに? ミサちゃん」
違和感があった。
2週間もお姉ちゃんをやっていたせいか、今や『美里ちゃん』の方が自然と口に上るようになってしまったようだ。
この分だと、先輩のことだって『鹿島さん』と呼びかねない。
もっとも、『健吾くん』っていうのは絶対に使わないだろうけど。
「んっとね、美紀ちゃん、なんか浮かない顔してるから大丈夫かな、と思って……。もしかして、健吾のバカがまた何かやらかした?」
「ううん。そんなことないよ。だいじょ~ぶっ。指紋検査と全校集会が憂鬱なだけ」
「そっかぁ。よかった。でも、未だに信じらんないな~、健吾と美紀ちゃんがつきあってるなんて。健吾はともかくとして、美紀ちゃんは絶対、あの独りっ子のこと好きだと思ってたし」
あの独りっ子というのは多分先輩のことだろう。
なかなかどうして、これでミサちゃんもけっこう鋭い。
あたしはタラリと冷や汗を流しつつミサちゃんの言葉を否定する。
(つづく)
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